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『E.T.』町山智浩単行本未収録傑作選 80年代最大の大ヒット作にして、多くの人々に愛された映画。だが、スピルバーグは「この映画は個人的な映画」だと言う。『フェイブルマンズ』鑑賞に合わせて読むスピルバーグ私的映画論!

文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2005年2月号

「広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているところが目に見えるんだよ。……僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ……ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるけどさ」J・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』野崎孝・訳

「『E.T.』は(SF映画というよりも)郊外住宅地の心理ドラマなんだ。とても私的で個人的な映画なんだ」
 スピルバーグはインタビューで繰り返し、そう語っている。では、『E.T.』(1982年)が描いたのは、どんな「心理」なのか? なぜ「とても私的な映画が全世界で7億ドルもの興行収益を上げ、80年代最大のヒット作になったのか?
『E.T.』は、多くの民話と同じように、一見単純で子ども向けのおとぎ話のように見えて、実は様々な象徴や意味が幾重にも層を成す物語なのだ。

●A Boy’s Life

「君は子どもと一緒にいると楽しそうだねえ」
 1975年、『未知との遭遇』(1977年)の撮影現場でUFOにさらわれる子どもを演出するスティーブン・スピルバーグ(当時29歳)を見て、フランソワ・トリフォーは言った。UFO研究家のラコーム博士として出演していたトリフォーは撮影の合間に、素人の子どもたちを使った映画『トリフォーの思春期』(1976年)の企画を進めていた。
「君も子どもの映画を撮るといいよ」
 トリフォーはスピルバーグに勧めた。
 その言葉をスピルバーグが思い出したのは5年後、『レイダース/失われたアーク〈聖櫃〉』(1981年)のロケ先、アフリカのチュニジアだった。
「ロケ先には、話し相手がいなかった。恋人も親友のジョージ・ルーカスもカリフォルニアに残してきたし、ハリソン・フォードは地元の水に当たって寝込んでいた」
 ひとりぼっちで砂に埋もれた貝殻をほじくったりしているうちに、スピルバーグはいつもひとりぼっちだった子ども時代を思い出した。
「人形やテディベアや熊のプーさん相手に、自分自身と会話していた」
 孤独な子どもはイマジナリー・フレンド(想像上の友達)を作り上げてひとり芝居する。
「その友達が『未知との遭遇』でマザーシップから出て来たエイリアンたちのひとりだったら?」
 スピルバーグはさっそく、ロケ地に来ていたハリソン・フォードの婚約者メリッサ・マシスンに自分のアイデアを話していった。マシスンは高校生の頃、コッポラ家でソフィア・コッポラのベビーシッターをしていたが、フランシス・フォード・コッポラに手篭めにされた。そして公認の愛人として『地獄の黙示録』などのアシスタントを務めたが、ロケ先のフィリピンで出演者のハリソン・フォードと出会った。メリッサは79年にコッポラが製作総指揮した『ワイルドブラック/少年の黒い馬』で脚本家としてデビューしていた。彼女はスピルバーグの子ども時代の思い出をもとに脚本を書き始めた。
 それが企画発表時のタイトル『A Boy’s Life(ある少年の生活)』、後の『E.T.』だ。

●ナーズの復讐

「『E.T.』はあなたの子ども時代への復讐ですか?」
 スピルバーグはインタビュアーにこう聞かれた時、即座に答えた。
「そうだよ! まったくその通り! こうだったら良かったのになあ、って願ってたことを詰め込んだんだ」
 1970年、スピルバーグは、背が低く、やせっぽちで、ド近眼で、ミッキーマウスのように耳が大きく、典型的なユダヤ鼻をしていて、運動神経ゼロの子どもだった。成績はオールC。何ひとつ人並みに出来なかった。なかでも一番嫌いなのは体育だった。小学校1年の時、校庭で1マイル走らされたときもビリっけつだった。
「最後まで残ったのは僕ともうひとり、知恵遅れのジョンだった。すでに完走したクラスのみんなはジョンを応援した。『がんばれ! スティーブなんかに負けるな!』って。僕は転ぶしかないと思った。わざとつまずいて、ジョンを先に行かせた。みんながジョンを肩車して去っていくと、僕はひとりだけ校庭に残された。惨めだった。あの日のことは一生忘れない」
 スピルバーグは少年時代のほとんどをアリゾナ州フェニックスの郊外住宅地で過ごした。そこは白人中産階級に占められた保守的な地域で、学校はJockscracy(スポーツマン優位主義)に支配されていた。スピルバーグの高校時代の同級生ニーナ・ノーマンは「うちの学校はオシャレな娘かアメフト部員にしか価値がなかったの」と言う。
 学校でスピルバーグは「スピルバグ(虫けら)」というあだ名でイジメられた。水を飲んでいるとイジメっ子に後ろから頭をつかまれて蛇口に顔を叩きつけられ、血を流した。登校拒否気味になった。『E.T.』で主人公の少年が体温計を電灯で熱して仮病を使う場面があるが、あれはスピルバーグが学校をサボるためによく使った手だった。
「母は仮病だと知ってたみたいだけど、ダマされたフリをしてくれたよ」
 近所の「イジメっ子」のひとりスコット・マクドナルドは後に「スティーブはフットボールもちゃんとキャッチできなかった。男らしい遊びが下手だった」と回想している。それはスピルバーグの父にも責任がある。

●離婚家庭の星空

「僕は他の男の子のように父親とキャッチボールした記憶がない」とスピルバーグは言う。彼の父はGE(ジェネラル・エレクトリック)社の技術者で、大変なワーカホリックで夜明けと共に出勤して、家族が寝静まってから帰宅した。スピルバーグは母と3人の妹という女ばかりに囲まれて育った。両親は66年に離婚するが、それ以前から夫婦仲は冷め切っており、たまに父が家にいても、母と互いに口をきかないか、怒鳴りあっているかどちらかだった。「『E.T.』は離婚家庭の物語だ」とスピルバーグは言う。
『E.T.』の主人公は、エリオットという10歳の少年。郊外の住宅地に母と兄、それに妹と暮らしている。父親は離婚して遠くに住んでいる。エリオットは少しひ弱で大人しい男の子で、アメフト部の兄の悪ガキ仲間からはいつもWimp(へなちょこ)とバカにされ、どうも友達はいないらしい。当初、エリオットはスピルバーグ自身と同じく眼鏡をかけているはずだった。
 みそっかすのエリオットは、ある晩、物置小屋に何か奇妙な生き物が隠れていることに気づく。しかし、母も兄も信じてくれない。エリオットは淋しげにつぶやく。
「パパなら僕の言うことを信じてくれるはずさ」
 うんざりしたように母は言う。
「じゃあ、お父さんに電話すれば」
「できないよ。パパは恋人のサリーと一緒でメキシコに行っちゃったから」
 母はそのことを知らなかった。
「……あの人はメキシコなんて嫌いだったはずなのに」
 泣きながら寝室に走る母。兄がエリオットに怒る。
「バカ野郎! いつまでガキなんだ! 他人の気持ちも考えろ!」
「『E.T.』は僕の両親の離婚についてのドラマだ」とスピルバーグは言う。
 エリオットは黙って皿洗いの当番をしながら窓から夜空を見上げる。スピルバーグの父はSFや宇宙が大好きで、幼いスピルバーグを夜中に連れ出して流星群を見に行ったこともある。
『E.T.』には、こんな切ない場面もある。エリオットと兄はガレージで父の忘れていったシャツを発見して、思わずその残り香を嗅ぐ。
「オールドスパイスの匂いだ」
「いや、シーブリーズだよ」
 スピルバーグがガレージで発見したのは段ボール箱に入った父のSF小説やパルプ雑誌だった。スピルバーグはそれを読むうちにSFに夢中になっていった。家にも学校にも居場所のない少年は星空の空想に逃げ込んでいった。
「子どもの頃、僕がサンタにお願いした欲しいもののリストは友達だった」
 スピルバーグは語る。
「男兄弟か、父親代わりになってくれる友達が欲しかった」
 それはエリオットの家に星空からやって来る。

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