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BOOK REVIEW 『ヤラセと情熱 川口浩探検隊の「真実」』「反逆のテーマ」をBGM に、ノンフィクションでなくエンタテインメントに邁進したはぐれ者探検隊が明かす「真実」とは?


 2022年の映画・映像関連本、最大の収穫は『必殺シリーズ秘史 50年目の告白録』(高鳥都著、立東舎刊)と、ジョン・ウォーターズの著書2冊の出版(『ジョン・ウォーターズの地獄のアメリカ横断ヒッチハイク』国書刊行会、『厄介者のススメ ジョン・ウォーターズの贈る言葉』フィルムアート社、共に柳下毅一郎・訳)だ。ジョン・ウォーターズの2冊はバッド・テイスト映画の王者による小説+ノンフィクションと、芸術学校での卒業式スピーチをまとめたもので、今もなお猛烈な毒と反抗精神が健在であることを示した。『必殺シリーズ秘史』は50年に及ぶ人気時代劇の裏を支えたスタッフからエキストラに至るまで、撮影現場で何が起こっていたのかをつぶさに聞き出していくノンフィクションで、映画と比較されて見下されがちだったテレビドラマが映画を超える時代を追う労作ドキュメント。「必殺」ファンの支持を集めている。
 そして昨年末、「必殺」と同じく一世を風靡したテレビ番組の過酷な舞台裏を「探検」した本が出版された。時事芸人にして今年ラッパーのダースレイダーと共演・共同監督した『劇場版センキョナンデス』が公開されるプチ鹿島が実に8年の時間をかけて書き上げた『ヤラセと情熱 川口浩探検隊の「真実」』(双葉社)だ。


 未踏のジャングルに分け入り未確認生物や原始猿人を探索する川口浩率いる探検隊の冒険は、70年代末から80年代半ばまで熱心な視聴者と「あれはヤラセだ」という半笑いの批判を受けつつも高視聴率を叩き出した。その熱狂をリアルタイムで体験していた鹿島はまえがきでこう記す。

 まずオープニングからたまらない。「戦慄!毒蛇の猛襲!」など赤い毒々しいテロップが画面いっぱいに映し出され、「怪獣か!怪蛇か!」と迫る。そこへ田中信夫の名ナレーションが響き渡り、BGMとしてアメリカのテレビドラマ『特別狙撃隊S.W.A.T.』の「反逆のテーマ」などが流される。これだけで子どもは興奮して画面に釘付けになってしまう。そしてクライマックス、多くの回で、遂に未知の怪物を見つけるのか!? という混沌のとき「だが非情にも我々にゆるされた時間が終わるときが来たのだ」と田中信夫がゆっくりと語り始めるのだ。と同時に映画『ロッキー』のクライマックスでおなじみ「Going The Distance」が格調高く聞こえてくる。いつしか画面はボートに乗って夕陽に映える川口浩隊長の横顔のアップになる。この感動的なエンディングに「次も頼むぞ……」と小学生の私は思っていたのである。


「川口浩探検隊」はテレビ朝日が水曜午後7時30分からオンエアした『水曜スペシャル』の看板番組だった。エンタテインメント枠で先発の『木曜スペシャル』(日本テレビ系列)に追いつけ追い越せと企画されたシリーズだ。「川口浩探検隊」はその無謀な冒険映像が視聴者に受け、1985年まで続く。鹿島はまず取材の基本として大宅壮一文庫で番組の反響記事にあたり、「川口浩探検隊」にツッコミを入れた嘉門タツオ、「川口浩探検隊」の影響下で作られたTBSのバラエティで恐竜ミゴーや徳川埋蔵金の番組宣伝を担当した大川修司、川口浩のような冒険がしたい一心から本当の探検家になった高野秀行といった人物に取材し、「川口浩探検隊」が事実を記録するドキュメンタリーではなく、冒険エンタテインメントであったと外堀を埋めていく。
 彼らの証言から「川口浩探検隊」のコンセプトが手に汗握る面白至上主義を徹した番組であることを確信した鹿島は、いよいよ当事者である探検隊の面々と接触していく。彼らの真の仕事は制作会社のスタッフで、プロフィールも様々。若き日の思い出として「探検隊」の真相を吐露していく。ある者は撮影中に死にかけるようなトラブルに遭い、またある者は「みんな、どこまで話しているの?」と番組の正体を明かすことに躊躇する。そして取材の過程で最重要なキーパーソン、プロデューサーの加藤秀之の存在が浮かび上がる。「インディ・ジョーンズ」(タイミングからすると、おそらく『レイダース/失われたアーク〈聖櫃〉』)を観て興奮した加藤は「蛇をたくさん出せ」と無茶な号令をかける一方、若き探検隊の面々を可愛がった。しかしスキャンダルを起こしてテレビ朝日を追われ、その現在は謎……。
 鹿島は元探検隊の証言を集めるうちに、番組が終わってしまうきっかけになった2つの大きな事件にぶち当たる。ひとつはテレビ朝日のワイドショー『アフタヌーンショー』での不良リンチのヤラセ事件、もうひとつは三浦和義のロス疑惑だ。1984年まで異様な盛り上がりを見せていた「探検隊」にとって、この2つの出来事は文字通り逆風になった。1981年、ロス市警密着番組を密着撮影中の『水曜スペシャル』取材班が報道局に先んじて三浦と接触した“スクープ”は、その後の『週刊文春』による“疑惑の銃弾”キャンペーンへとつながっていった。日本で初めて三浦にインタビューした『水曜スペシャル』取材班の中には「川口浩探検隊」のメンバーもいた。彼は「探検隊」のグレーな仕込み現場を体験していたため、これは怪しいと感じたという。
 そして1985年、テレビ朝日は『アフタヌーンショー』でヤラセ事件を起こし、社会的に大問題となり、ついには社長が謝罪会見するに至る。鹿島は問題を起こしてしまった元ディレクターに接触することに成功するが、そこで問題はクリアにならない。この過程は渦中の元ディレクターが信頼したルポライターが書いた原稿を探すというミッションが加わり、ミステリアスな展開を見せる。
 かくして虚実ない交ぜの語り口が魅力だった「川口浩探検隊」の方法論が通用しなくなる時代が到来した。その分岐点が取材を通しての鹿島の読みの通り、まさに1984〜85年だった。85年、「川口浩探検隊」はガラパゴス島にロケした前後編が放映され、終了に至る。エリートぞろいのテレビマンからするとはぐれ者のアウトロー集団であった探検隊の面々は数ヶ月に及ぶ過酷なロケで得た経験により、その後も幾多の海外ロケ番組を手がけるようになる。ロケ中に必要な1トン近い機材を毎回運び、画面には映らない辛酸を舐めてきた現場を経験した「川口浩探検隊」の証言に続き、最後に探検の青地図を書いていた放送作家のノンストップなひとり語りが番組の正体を浮かび上がらせ、なぜ『水曜スペシャル』が一世を風靡したのかが明かされる。

 でもさ、こんなことを言っても、今のテレビの人たちにはわかんないと思うけど、彼らは視聴者を信じてないんだよ。君がさっき言いかかってたけど、視聴者を永遠に全員バカだと思ってるわけ。俺は違う。俺は、視聴者を信じてる。そこの違いなんだよ。

「川口浩探検隊」で放送作家をつとめた鵜沢茂郎の語りは読者を圧倒する。「探検隊」以外にもテレビ史に刻まれる幾多の企画に携わってきた鵜川は、現在のテレビが面白くなくなってしまった核心を言い当てる。そこには冒険がないのだ。その冒険はジャングルの奥地だけでなく、テレビ局のスタジオでもされなければならない。視聴者を刺激するための度胸が重要だ。「川口浩探検隊」はテレビに元気があった時代の徒花だったかもしれないが、視聴者を驚かせ、テレビに釘付けにする娯楽番組だった。テレビのコンプライアンスが厳しくなった現在、その冒険が蘇る日は来るのか? 鹿島の8年に及ぶ冒険(取材)はそんな問いを投げかけてくるのだ。

「川口浩探検隊」シリーズはその傑作選が、動画配信プラットフォーム「TELASA(テラサ)」で独占配信されている。(編集部・田野辺)



『ヤラセと情熱 「川口浩探検隊」の真実』
双葉社刊、本体1800円+税

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