ドット道東という一般社団法人が設立されました。
久しぶりのnoteを書きます、えいふうです。
前回はnote始めたこともあり、自分が写っている写真をカバー画像にしたのだが、連続で写っているやつになってしまった。やだなあ。笑
約3週間ほど前、ある法人が立ち上がりました。
その名も、「ドット道東」
法人や活動の詳細や経緯については以下のnoteを見てください。
「いつも会っている道東の人たちって誰なの?」「どうやってつながったの?」と聞かれることが多いので、この機会にどんな風に出会ったのかを時系列で振り返ってみる。
「ドット道東の人たち」と私①(遠軽の人たち)
今お世話になっている道東の人たちと最初に関わったのは3年前、大学2年生のときだ。
「北海道の右上の方出身の人と会いたい」というある人のツイートが回ってきた。それは、同郷北海道遠軽町の出身、さのかずやさんのものであった。(とても穏やかな人柄なので今はかずきゅんと呼んでいる。)
地元の嫌いなところは閉鎖的なところだった。
大学進学のために井の中の蛙が初めて地元を離れ、札幌という都会を満喫していたわけのだが、人口も多く物質的にも経済的にも豊かに見えるその土地で、なぜかずっと頭の片隅に地元が居座っているのだった。
そうした想いを抱える中で、「よくわからんがこんなすごそうな人が同じ地元出身の人でいるのか」と驚き、思わず連絡を取った。
今思い返すと、日程調整もまともにままならない、相当失礼な連絡をしたのだが、しぶとく丁寧な連絡をしてくれた(面倒くさかっただろうなあ...ごめんなさい)。
よくわからんがすごそうなその人は「オホーツク島」というメディアを立ち上げていた。そして、そこで取り上げられていたのは、「なにもない」「閉鎖的」と思っていた地元にIターンし新規就農した、江面さんという夫婦の姿だった。
衝撃を受けた。
きっとそこに自分の思う「おもしろさ」「楽しさ」はあったのに、自分が勝手に「閉鎖的」と思っていて、ただ見えていないだけだった
そんなことを思い、地元遠軽を、オホーツクを、改めて知ろうと自分なりに動いてみた。
「ドット道東の人たち」と私②(脳天直撃学校祭)
そうした中で、出会ったのがドット道東・代表理事中西拓郎さん、その人である。
そこから、あれよあれよという間に、脳天直撃学校祭という、奇妙な名前のイベントに巻き込まれることになった。スタッフでもないのにSNSで拡散していたら、しっかりと捕まえられてしまった。
そんなこんなで、北海道のみぎがわ道東の人たちとの関わりが加速度的に増えてきた。
ちひろさん、かずきゅん(一方的に知ってから2年後に初めまして)、はらちゃん、神宮司さん、せいしゅうさん、しげのざさん、ゆうごさんさおさん夫妻、えまさんたちにはここで出会った。
「ドット道東の人たち」と私③(つながりの先に)
そのあとは、「道東」という共通項のおかげで出会った人たちと各地で様々な形で再び会う機会が増えていった。
ある日には、かずきゅん主催で北海道の遠軽町白滝の江面さんのところにて、合宿が開催された。
蝦夷丸さん、みなみさんあみさん姉妹(casochi)、かしこさん、だいちさんたちにはここで出会った。脳天直撃学校祭から1か月も経っていないときである。
それからも、引っ越しの手伝い(を口実)として、脳天直撃学校祭の時に会った神宮司さんがいる大樹町に行ったり。
おかぴさん、せいこさん、学部の後輩のなかいちゃんもやってきた
大樹町で出会ったおかぴさん主催のホッカイドウスープという催しに参加するために、津別町に行ったり。次の日にはカヌーのガイドと撮影としてぶんちゃんにお世話になり屈斜路湖でカヌーに乗ったり。
津別には服部さん、谷さん、オンラインで加藤さん。そして、3年前に出会った津別の立川さんや浦幌の先輩のもりけんさんもいたのが個人的に感慨深かった。
脳天直撃学校祭を機に深川市で踊り始めたゆうごさんさおさん夫妻が、当時きっかけとなった場のゲストとしていたALL YOURSの木村さんを呼んだイベントに行ったりとか。(このツアーではめぐみさんとちゃんと話せた)
津別で出会った服部さんが道東の人たちを巻き込んで、NoMaps釧路・根室のアフターミートアップに呼んでくれたりだとか。
場は清水さん。登壇者にはちほっしゅさん、参加者として諸々をデザインしたしょうごさん、コピーを書いた荒水さん、教育大釧路校の「Kataro You」の学生たちもいた
各地にあった、ただ一つの点たち。それらが繋がり、線となり、面となる。
その面は動的で、常に同じ形をしているわけではない。日々新たな点とつながり、そのつながりも時に強まったり弱まったりしながら、道東のあたらしい輪郭を形作っていく。
そんな一部始終を何度も見てきた。
「ドット道東の人たち」とは何なのか
ここで整理しておくと、「一般社団法人ドット道東」の設立メンバーは下のnoteの写真にある5名(左から、神宮司さん、しげのざさん、たくろーさん、かしこさん、ちひろさん)だ。
ここまで書き、整理をしたものの、一つ疑問に思った。
「ドット道東の人たち」とはなんなんだろう?
そう感じる出来事がここ最近、2つあった。
1つは上述したNoMapsのイベントにて、道東の先輩たちの魅力を聞かれたときのこと。
「道東の先輩たち」というときの括りが広く(「道東の先輩=上の5名」というわけでもない、あいまいで、うまく答えられなかったのだ。一番年下なのにね!!!!(ツイートされたのを見て割と落ち込んだのは内緒)
もう一つは、つい先日の「じゃない方」論争である。
上の5名以外の人たちで、5名の所信表明ラッシュを見て、「ドット道東おまつりみたいでずるい」と「じゃない方」noteとして投稿しようとなった(このnoteもその一環です)。すると、「じゃない方」論争が起きた。...よね?
閉鎖的で、固定的な境界線を溶かし、他の点と結び、新たな輪郭を作る。作り続ける。そこに「じゃない方」はない。
("個人的"には「~の方」「じゃない方」という人がいてもいいと思っている。
時には「じゃない方」で、時には「~の方で」、時にはそんな呼称も無い個人として、その人が生きやすい形で関われて、そうした違いを認められる関係があるのであれば、自己中心的かもしれないけどそれで良いのではないかな。知らんけど)
地に足をつけ各地の人たちとつながりながら、新しい動きを展開している。そこでは5名の他にも、この記事に書ききれないほどのたくさんの人たちが、同時多発的に新たな価値を生み出す動きに関わっているのだ。
「お世話になっている」ドット道東の人たち
この人たちと一緒にいると、単純に楽しい、おもしろい。
それぞれに孤独も絶望も感じながらも各地で取り組む人たちが、時には酒を飲み語らい、時には遊び、時には馴れ合いではなくそれぞれ(の地域)が抱える課題や悩みに本気で応える。アホじゃないのにアホを気取り、ユーモアと謙虚さを忘れずに振る舞う。
そうした姿勢を、関係を、間近で感じることのできるというだけで、なんだか自分にとっては、ここに居たいと思えるのだ。
しかし、正直に言うと、今はこのnoteを「ドット道東じゃない方」として書いている。SNSのプロフィールなんかにも、道東という言葉は載せられても、ドット道東という言葉は”まだ”載せられる気がしない。
それは、この人たちといると、引け目やジェラシーを強く感じるからである。
この人たちほど価値を生み出せていないし、タフな姿勢も持ち合わせていない。出会いや経験値が違いすぎて単純に話についていけないときがある。
それは、機会を与えてもらってばかりいる、という強い負債感があるからである。
冒頭で、『今お世話になっている「ドット道東の人たち」』という表現を使った。「お世話になっている」ばかりで、それを返せているのか、次の人に送れているのかが分からなくもなる。
えいふうの所信表明
今自分は、北海道十勝郡浦幌町で「うらほろスタイル」という取り組みに関わっています。
どれだけ願っても自分は自分でしかないのだから、今いるところで、自分に今できることをしていく。
それは自分が生きやすくなるように、そして教育に関わる仕事として目の前の人たちのために。
新たな出会いに心躍らせ、ひとつの「点」として地道にやっていきたいと思っています。”結果として”負債感や自信のなさが払しょくされたり、「地域のために」という部分に繋がったらいいな。
とはいえ、先日も「偽善」と言われたりだとか、外の活動の発信はどうなのかと言われたりで、どうしたらよいものかと途方に暮れていたりもしていて。
何をやっても批判は来るものなので、そうした人も納得するような、結果や価値を示していきたい。そして、大切な人たちが、次の世代の人たちが、そういった苦しみを味わうことが少なくなるようにしたい。
(もちろん、逆境に耐えること自体は美徳ではないので、正しい方向を見極めたうえで、の話。)
今は小さいことしかできないけど、そうした先に、「お世話になっている」あの人たちと、お世話になるだけではない別の関係も含んで、きっとともに新たな輪郭を作っていける。そう思えるときがくる気がしている。
ドット道東の人たちの所信表明
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