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2023年のまとめ(1月〜12月のできごと)

2023年は怒涛の年だった。来年私は年女といわれる干支を迎える。
人生でベンチマークにしている数値ももたず、環境条件も考えたことがないのだがいわゆる生活が大きく変わると言われるイベントがたくさんあった。
トンデモ経営(仮)のレシピ会社(仮)で大規模整理解雇も体験したし、結婚をしたし、個人の仕事だけは淡々と積み上がっていった。

1月:昨年の年末から続いていた仕事を清書まとめ、ゆっくり目にスタート。連載ものを抱えていたので、どれくらい原稿に余裕をもたせるかを考えながらスケジュールを組んでいたが、編集者さんからの年末進行お知らせメールが迷惑フォルダに分類されるという珍事件を体験した。原稿を刈り取られる作家の気持ちが少しわかった。地道にヨガに通っていたので健康を保てている。

2月:遠くに引っ越す友人と会食や、生まれたての赤ちゃんに会いに行くなど、近年控えていた集会的なものが増えている。人と話すのはとても楽しいし、3年分の変化が濃縮されているから話題がつきない。人同士の距離感は3年くらいが良いかも知れない。
友人に誘われて死ぬほどでかいパンケーキを恵比寿に食べにいって、顔サイズのパンケーキが3段くらい生クリームと合わせて出てきた。驚いたのは、店内の女性がみんな完食していたこと。

3月:春になってきたのでオリーブ2鉢を植え替えした。片方は花がついていたので、数年後に実がなるかもしれないという期待がある。また、寒さのせいでバロックフィカスを枯らした(春先になっても結局復活せず…)ので涙ながらの別れ。
渓流釣りのためにタイイングを始める。鳥の羽根は脂がついていて管理が悪いと腐食してしまうとのこと、なかなか難しい。管理の問題でたくさんマテリアルを集めて大掛かりとはいかないが、手先に神経を使う良い趣味になっている。六本木ビルボードのライブに行ったが、昨年のブルーノートのほうが環境も内容も格段によかった。

4月:仕事仲間と江ノ島に行って灯台を登ったり、早朝長距離自転車で運動不足を発散したり、渓流に行ったりしている。実家へ母の誕生日を祝いに久々に戻る。ケーキを用意していくのだが、いつも私が食べたいケーキをバスに乗って買いに行くのが少し好きだ。

5月:大阪にふらっと行く。某有名人と写真を撮ってもらい、いい思い出になった。本場のたこ焼き(どろソース)は2回食べれた。梅田は人が混みすぎている。東京にもどり、都内のシェアオフィスで仕事をしているあいだフラっと平日に空いているだろうギャラリーに行ったら、ばったり知り合いに会った。その後約束していない後輩と流れでご飯に行ったり、寿司をにぎる知人を友人宅に呼んで寿司パーティーしてみたり、いつもは誘ってこない親友が映画を見に行こうと声をかけてきたり、不思議な合流が多かった。この頃から友人に進められて鍼に行っている。会社でタコスをつくった。

6月:連載が無事終了し、ひといきついていたらデザイン仕事雇われで片足を突っ込んでいた会社が大規模リストラをするとのこと。半数近くが退職で私も同じく。内心、自分の仕事に専念できるな〜と思っていたので気楽だった。このタイミングで翌月から他の組織でデザインを見る係になったり、役割ごと仕事が分岐していく予定があったた。雇われと並行するのは仕事漬けになるのでどちらか降りるか?とかんがえていた。定常の時間がリリースされたのでラッキーだった。
改めて、イラストを描くのはいつも主観なので心地いい。デザイン&ディレクションなど伝える仕事は客観と行き来し心を使う。
もう一つのきっかけは、世界的に有名な水彩の先生のアトリエに、通いになったことだ。月頭に(デスゲームのお誘いのように)唐突な電話をいただき、一日だけ返答の猶予をもらった。仕事も辞めて通おうと思っていたので、実はいいタイミングだったかもしれない。(全社リストラのお達しはその数日後)その次の週には結婚報告(唐突)などで奔走していて、家でゆっくりしている時間がほぼなかった記憶がある。

7月:生活が諸々変わる。仕事、私生活、生活スタイル、もとから定形などはないので変化することにストレスを感じてもないのだが、胃腸炎になった。私の知人は入籍や同棲を始めると高確率で胃腸炎になった話をきいていたが、同じくだった。また、急にSNSで話しかけていただき編集の方に焼肉を奢っていただいたり、元同僚から変なメッセージが飛んできて焼肉に行ったりした。
結婚を決めたので、揃いの指輪を買いに行った。少しカーブが付いている変わったデザインだが、着けてからいままで全く違和感なく指に収まっている。仕事が忙しい中で私ひとりの人力引越で暑い中運ぶ荷物が重く、また新居まで坂だらけのため多少イライラしていたと思う。リストラのレシピ会社では送別会などを盛大に行った。もらった写真はピンボケしていた。それくらいがちょうどいい組織だった。

8月:諸々の挨拶を再度。また書類の証人記入のため会食を開いたのだが、人を呼びつけておいてお祝いをたくさんもらった上に奢っていただいたり、ありがとうございます。人からこれほどお祝いされることがあったかなと思い返してみたが、自分のことは自分の中で完結させることが多く外に発信しないため良い友人達に囲まれているなと感じる。友人の運転練習で伊東までドライブに行ったり、家で餃子パーティーをしたり、親友2人に報告をしてジビエを焼いた。

9月:元事務所の社長+αにとても良いお寿司をおごってもらった。アトリエの先生の個展にお伺いしたら、その時連れて行った夫の事を年末まで覚えて頂いておりびっくりした。私が費用を全面的に持つので睡眠に投資したいと強く主張し、良いベッドマットレスを買った。中旬からは2週間ほどフランスとデンマークにいた。モナリザを観る、と目標リストに書いていたのが叶ってしまった。後半は北海道に夫婦旅行をした。広い。美味い。いい気候のときに行けてよかったし、目の前で見るヒグマは圧巻すぎて爆笑してしまった。化け物すぎる。

10月:家に観葉植物が増えていく。引っ越してきたので近場の図書館インフラを開通させる。アトリエ2回目で戦々恐々。アトリエにはモチーフがたくさんあり、通路を通るたび壊さないか心配で蟹歩きをしている。式の場所をサクッと決めて相談に行く。友人たちと小田原で浜焼きを食べる。zepp台場に行くがさらに体験が良くなく、当分ライブから足が遠ざかりそうになる。急に大学の同窓会に呼ばれて20人ほど旧友に会う。高くてでかいパフェを食べきれない。

11月:サクッと決めた式場の打ち合わせとドレスのフィッティング。いくつか着たが、ドレス決めが早すぎて担当者が驚く。これに限っては体験したので言えるが、ウエディングドレスの似合う似合わないというのはあまり無いなと思う。服の本質でもあるが、ドレスは職人によって最終調整されるのでフィット感はどうとでもなるし、中に入ってる人間が良いならそれで良い。
埼玉の有名な豚屋さんで豚を食べる。入り口のオブジェが泣き腫らした豚のようでガン見した。初フレンチ試食会。下戸なので満腹&酔いでフランス人どうなっとんねんと感じる。久々に実家へ顔を出すと青い花柄の皿に乗った生姜焼きが出てきて懐かしくなる。屋外スケッチで東大キャンパスへ行った。地下施設が全体に広がっており、繋がっているようで気になる。

12月:イラスト展のプレオープンに代官山へ行くが、同行した人が他人の顔と名前を覚えていて尊敬しかない。自分は全く人の顔名前を覚えられないので疲弊し、隙間なく話しまくって疲れる。朝3時からの運転に乗ってみんなで気球レースを見に行く。極寒すぎて体調を崩す。北関東は舐めるな。
体調が終わっているがドレスの最終フィッティングで南青山へ向かうと、ドレスの号数が一段下げられていて前にも後にも引けず状態。ニコニコしていた担当者さんから「痩せも太りもしないでください」と真顔で言われる。帰りに好きな作家が渋谷で久々の個展をしていたので油彩を買う。それからは体調を崩したくなかったので家で引きこもりながら仕事を進める。
翌週の結婚式、当初は家族だけ呼んで小さくやろうと思ったのだが、親友2人には挙式だけ出てもらった。入場時、2人とも教会の新婦席で爆笑しすぎだろと思って笑っていたら、どうやら派手に号泣していたらしい。さらに笑った。後日、式の話を忘年会でしたら大学の旧友から「私は親友だと思ってたよ…呼んでよ…」と言われた。ズッ友だよ!
式はやってよかった。周囲の同世代から式などよりも自分たちにお金をかけたいという話もよく聞く。その通りだとも思うが、やってみるとこれほど周囲から祝福されること(私は自分の家族も少ないため、今までの人生で社会人として多少の利害が関わるだろう以外の祝福はあまり経験がない)と、それについての感謝を改めて述べる場としては小規模ながらも良いものだった。周囲の人のために執り行う(&美味しいごはんを振る舞い、挨拶をまとめてする)というのが近かった。
友人の式に出席した事も多く、自分が未熟な頃は場の華やかさばかりに目が行っていた。参加者が多いとホストとコミュニケーションも薄いし、観覧型イベントとして同窓会的に出る、という印象だったので自分が結婚してから式のやるやら自体を考えていた。自分が落ち着いている状態で周囲のことを考えられて、是非と内容を決める事できたので満足しているんだと思う。また関わってくれた人達が良い人ばかりで、すべて恙無く進行&協力してくれたため、というのはいうまでも無い。(私は立派な人格者でもないので、その点は本当にラッキーである。)
また、通っていたアトリエで水彩をどうやって描いていくか少しずつだが手数が出せてきた。このまま描き続けてみたい。来年はずっと描いていたい。

というわけで生活が大きく変わったな〜と雑に思っていたが、書き出してみると大きく変化したことは、実は無い。
一本の線で日々の物事がつながっていて、ポイントがいくつか出てくるのでそれをどう扱う、人とコミュニケーションをどうとるかという事に対応したという印象だ。人生が他者によって影響されるということは無い。自分で選択し、進めていくことの連続だなあと、こうなって気づいた年だった。
来年は、水彩を描きたい。まだ上手でもないし技術もないし、良いところも自分でも訴えられない状況。なのでもっと観察して得られるものを取っていく、2024年も更にがめつく過ごそうと思います。