英国判例笑事典 エピソード(1)          「クリケット場が先か? 家が先か?」

このシリーズでは、英国の裁判所の判決の中で、日本の判決では見たことがないような裁判官の発言を取り上げて紹介します。あるものはウィットに富んでいますし、あるものはまるでツイッターのつぶやきのようです。英国の裁判の面白い伝統です。

 1999年に百才で亡くなった、英国控訴裁判所判事のデニング卿は、いろいろな意味で英国の20世紀を代表する裁判官でした。大胆に正義を追及する判決は、しばしば型破りであり、時に「遠すぎる」将来を先取りするものでもありました。

ミラー対ジャクソン事件 [1977] 第1審
 原告ミラー氏はリンツ村のクリケット場(日本人にはなじみがありませんが、野球のような英国の国民的スポーツです)の隣に引越してきました。クリケットはバットと固いボールを使います。
 少なくとも3年間に13回、ボールが敷地に飛び込んできて屋根をこわされたりして、安全な生活を妨げられたというのです。ミラー夫人いわく、「ボールが飛込んでくると、選手は電話をよこすか、やってきてボールを返してくれというのです、それもずうずうしい態度で、とても|不躾<ぶしつけ>で、ひどく|傲慢<ごうまん>で、とてつもなく無知で……」。グランド使用の差し止めを求めて、第1審では勝訴しました。

控訴審 デニング判事
 「夏が来るとクリケットは皆の人気行事である。若者がゲームに興じ、老人が観戦する。リンツ村にも自分達のクリケット場があり、もう70年もの間ゲームが繰り返されてきた。毎週末に試合……、他の日には……陽のある限り練習……。」 ☚ もうこれで判決がどうなるか予想がつきませんか!
 「ところが70年もたった今、第1審の裁判官はもう競技を続けてはいけないというのだ。最近引越してきたクリケットぎらいの住人は、4年前までは牛が草を食べていたクリケット場の端の牧場のあとに建った家を買った。動物たちはクリケットにとりたてて不満を言うことはなかったが、新参者はボールのことに文句を言ったのである。」
 「第1審の裁判官は、全く気がすすまなかったものの、止めさせる命令を出さずばなるまいと考えた。もしそうなったらクリケット場は他の用途に使われることになるのだろう。多分もっと家が建つか、工場かもしれない。若者はクリケットをやめて、他のことをすることになるだろう。村中が情けないことになるに違いない。これというのも新参者がクリケット場の横に家を買ったからだ。……」
 まるでアガサ・クリスティーの小説を読んでいるようですね。編集してはありますが、すべて判決中にあったことです。デニング卿は「家が先にあって、クリケット場が後からできたなら」使用を差止めることに異議はないと言っています。もちろん法的分析に怠りなく、「クラブによるクリケット場の使用は合理的か?」を検討して、「70年間もゲームをして、誰もケガ一つしていないのに、突然そのはずれに家が建ったからといって、同じことが手の平をかえしたように生活妨害になる筈がない。若者に戸外でスポーツをする機会を与えることと、他人が自分のプライバシーに首をつっこむようなことを許さない、ということを比較して考えなければならない」と続けました。デニング卿の答えは言うまでもありませんね。ミラー氏の逆転敗訴です。
 「法は正しい目的を達成する為の手段だ」と考えたといわれるデニング卿にとっては、スポーツマンシップにのっとった判決だったのでしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?