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初めての子育てはゴールの見えない『障害物持久走』

子供が産まれて幼児になるまで。

昼間復職するまでは『ワンオペ孤育て』だった私は、常に細切れ3時間睡眠で頭痛と肩こりと腰痛に悩まされ、我が子の1番可愛い時代を記憶喪失のように覚えていない。なんてもったいないことだ。

でも、今その時代にタイムスリップしてもきっとそれ以上うまくは出来ないだろう。

コロナ禍の初産は、子供を安心して人に任せる事もできず、ただただ1人で頑張るしか無かった。

夫の仕事も不安定で、夫にもこれ以上負荷をかけられ無かったし、両親も仕事や介護や持病で頼れなかった。これは、現代では決して珍しい話ではないと思う。

実家が遠いとか、実家と縁が薄いとか、未婚や離婚、経済的な問題…孤育てになる原因はいくらでもある。

我が子の赤子時代の写真や動画を見ると、あんなに辛かったのに、子供と接する自分の明るい声や優しい言葉にびっくりする。よくこんな余裕があったもんだ。

そして、他人の子供のように現実感が無い。
自分の子供で、覚えてるエピソードも沢山あるけど、昨日のことのようにその小さな赤子を抱いていた感触を思い出す、ということは出来ないのだ。

人はこのタイミングで第二子が欲しくなる、というのは大いに納得だが、私の場合、第二子も同じことになる確信がある。
なんなら、子供が2人になることでいよいよ今度こそ身体的に再起不能になる可能性も高い。

1人目の時ですら、子供が一歳になった頃だったろうか?寝不足がいよいよ辛くなり、朝から晩まで頭が痛く、ある日ハンマーで叩かれているような後頭部痛で吐きそうになった私は1時間だけ夫に子供をお願いして、脳外科を受診した。色々検査をしてもらった結果、先生は『過労ですね…』と心配そうに告げた。

『誰か頼れる人ができると良いんですけどね…』それは無責任でも他人事でもなく、踏み込みすぎないギリギリのラインの、先生の優しさだったと思っている。

復職してからも1年は『復職ガルガル期』だった。これは私の作った言葉ではなく、産後の復職などをテーマのマンガで出てきて、『これはまさに』と思って心に残っている言葉だ。
(なのに、そのマンガのタイトルと作者は失念)

仕事をしっかりやりきって、定時に帰るので精一杯。なのに周りは余計な仕事を増やしたり、雑談をダラダラ話しかけてきたりする。

『こっちは遊びでやってるんじゃねーんだよ、一分一秒争ってんだよ』

と、ガルガルしてしまうのは、産後復職あるあるだと思う。

個人差はあれも1〜2年も経つと、子供の成長とともに仕事のやり方を変更することにも慣れてきたりして『私は職務と育児の兼業主婦だから、どちらの仕事も手を抜けないんです』位の心構えでいられるようになった。

職務は会社員だが、子育ては私が個人事業主だ。
(パートナーと共同経営だけれど)私がいないと回らない。そう思うと、時として子育てに全力になることと仕事をほどほどに頑張ることへの罪悪感は消えて行く。

給料は必要だけど、給料以上に働く必要はないのだ。子育てはお金は発生しないけど、ここで愛情をきちんと形にしていくことが、ひとりの人間の人生を左右するし、その子の親である自分の人生もかかってくるのだ。

子供は『愛情の貯金箱』と聞いた事がある。
これには賛否両論だが、自分自身しっかり愛情をもらった人には、深い愛情を持っている。
見返りを求めてではなく、人を大切に思う気持ちを教えるために。これからも子供を大切に思っている気持ちは素直に伝えていきたい。

子供がもう少しで就学、というところに来て思うことは子育ては『ゴールの見えない障害物持久走』。

そんな競技はないのだが、本当に『いつまでコレが続くの…?』だらけなのだ。
『いつになったらゆっくり眠れるの?』
『いつになったらキッチンに隠れないでゆっくりアイスを食べれるの?』
『いつになったらこの子は自分が疲れてることに気づいて泣くのをやめて自ら寝るようになるの?』
『いつになったら汚れたパンツとシーツを洗わなくて済むの?』
ゴールが見えない中、頑張り続けるのは誰でもしんどい。障害物はわんさかやってくる。
体力と気力で何とかやっていくしか方法のない持久走なのだ。ペース配分もコース下見も無いまま、ただただ走り続けるのみ。

今は眠れて、仕事と子育てのバランスが取れているだけ本当に穏やかな日々だ。

PMSも不眠も高血圧も薬で何とかすれば良い。
とにかく、使えるものは全部使って、私は明日もこの障害物持久走に挑んでいくのみだ。

全国の子育て中の皆さん、お疲れ様です!!!

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