空と靑【千返万歌〈第1回 〉】
上原・若洲が返歌に挑戦! 一方の頭にふと浮かんだ短歌から、返歌の世界が始まります。そしてさらに、2首の世界から思い浮かんだ物語などをノールールで綴る企画です。初回第1回は上原発・若洲着。文章は若洲の担当です。
千返万歌
本歌
前髪が長くてマスク大きくて会議を聞いている空くん 上原ゑみ
返歌
文部省唱歌は空を手づからに塗らせたまひき一面の靑 若洲至
文章編:空と靑
「空」という語は幅広い意味を持つが、「そら」といえば、当然第一義的には “the Sky” である。この言葉に、多くの人は限りのない可能性や、晴れ渡った空間への期待感を感じるだろう。一首目における空くんのご両親は、彼の将来への希望を込めて、この言葉を選んだのだろう。
もともと「そら」は天界の下に位置する人間界の上方を意味する言葉だったが、当時の人にとって、自分たちの世界の上端さえ捉えることが困難だった。そこから転じて、曖昧でうつろなことも「そら」と呼ぶようになった。正確性が保証されない暗誦=「そらんじる」や、茫漠とした希望=「絵空事」という言葉に、そのニュアンスを感じ取ることができる。
現代に生まれた空くんは、何らかの理由によってその多義性を体現しているようだ。
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晴れているときの空は青い。疑問を持ったことはあったとしても、異論を唱える人はほとんどいないだろう。なぜなら青は、黒から白までの色彩を幅広くカバーしてきた語であって、現代においても当てはまらない色調がほぼないからである。かつては空はともかく、海も、木々の葉も、恐らく曇天や墨も、「あをい」と考えられたはずだ。
しかし空は本当に青いだろうか。正確には、本当に青いだけだろうか。他の答えを持ち得ないだろうか。クロード・モネの『睡蓮』の水面が映す空は確かに青い。しかしそこには青を作り上げる白や赤や様々の色がある。色は三原色に分割できるという科学的知見を得た画家の、芸術界における技術的革新を見て取ることができる。アンリ・マティスの『豪奢、静寂、逸楽』の空には、青は際立たない。朝や夕方の風景と見ても良いかもしれないが、この色の散らばりは昼間の明るさを表現しているように思える。『ダンス』では背景が青く塗り込められているが、これは空というよりまずは人物群との対比を際立たせる要素としての意図的な青だろう。二人の画家はともに、空がただ単に青いとは考えていなかったはずであり、だからこそ今でも革新者として名を刻んでいる。
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ゑひは、青いものをあえて青いと言わないことも良しとしている。青いものが青いことはもちろんだし、それがあるから世界が回るのだけれど、そう言っているだけでは何も起きないのも、また真実である。印象派や野獣派(フォービズム)が強い逆風の中で芸術史に名を遺したことを思うとき、我々はどこか自信を得た気分にもなる。
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