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その後。。。

1582年(いちごぱんつ)
本能寺の変

家臣の反逆?
明智軍の反逆で、うたれた信長様ですが、
その後 豊臣秀吉を頂点とする
武家のピラミッドが形成されるまでには
かなりの時間がついやされたのではないかと
ソウゾウします。

本能寺の変は、いわゆる謀反。
『三日天下』という言葉が残っていますが、
しばらくは明智光秀の世がつづいたのだと思います。

しかし、信長にかなりの信頼を置かれていた
秀吉が、その後の武家社会で実質的に
リーダーシップを取っていった。

1585 秀吉公、関白に
(いご、▭はこをつくった ひでよしさま)
いちごぱんつ +三日天下(みっかでんか)の みつひで
とおぼえ、
1582+3= 1585とおぼえるとわかりやすい!

そこに武家たちの家臣が、心酔して
『秀吉の天下』になっていったのだと
ソウゾウします。

その統率力は強く、信長が『覇王』や『覇権』を
にぎっていたイメージが強いですが、
私は、秀吉の方が、このイメージに近い気がします。

人は立場や役職によって変化します。
外見も内面も。

信長によって見いだされ、天下一までのぼりつめた
『秀吉』という人物。
【アイデアマン】、【気が利く】、【武運がある】という
印象がつよいですが、
秀吉が長けていたのは
【リーダーシップ】、そして下剋上という言葉の通り
ヒエラルキーの下層から頂点まで昇りつめた
【確固たる実力】と【人身掌握術】、
そして【着実に天下まで昇りつめた経験に基づく自信】
これにより、信長後の『覇権』を掌握していった
まさに『白い悪魔』なのだとぴ。すけはソウゾウします。

対する家康様については
また次の機会に。


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