前のお便り:往復書簡 #4 守りの「無知」と丸腰の「証言」 「弱さについて語る」だけではなくて、「弱いものとして身をさらす」ことが求められているのだと思います。 この言葉が、ストンと胸に落ちてきました。弱さについて語ることと、「弱いものとして身をさらす」ことはきっと違うことですね。 僕はこれまでの人生でずっと正義について語ってきたけれど、「裁かれる側として身をさらす」ことはしてこなかったように思います。 常に傲慢で、正しさを知っていて、そうでない人間や振る舞いをジャッ
弱さとは何か、それは「自分がそうであることを認められないこと/わからないこと」と捉えることができるのかも知れない。そんなふうに宮田くんのお手紙を読みました。 つまり、自分がこういうところが弱いんだと自ら認識したり、人にそれを前提として受け入れてもらったり、そうでないにしても謝ったりすることを通して、自分がそういう人間であることについては認められている状態は、ある意味では「弱さ」ではないのかもしれないということだと思います。 この話を受けて、すぐに思い出したことがありまし
ここ数年、文章というものを書く機会がめっきり減っていた。昔は目的もゴールもなくひたすら自分の考えを書いていたのに、いまでは「なんのために書くのか」「どこで書くべきか」といったことを考え始めてしまい、クライアントワーク以外でものを書かなくなってしまった。 そんなわけで今回もご多分に漏れず、夫婦の往復書簡だというのに、目的は、ゴールは、そのための適切なアプローチはなんてことを考えていたらいつまで経っても書き始められないので「えいや」と書き始めてみる。 4月6日である。春で、花
宮田くんへ。 往復書簡のお誘いに応じてくれてありがとう。長い間、ケアや他者について考えてきたのですが、なかなか1人では煮詰まっていたところに、こういう機会が得られてとても嬉しいです。話題はあっちこっちに飛んでいくと思いますが、お互い書きたいように書いていきましょう。 ケアってなんでしょうね。色々な本を読んでみましたが、どうやら話はいろんな方向に広がっているようです。看護師や介護士といった専門職が持つ能力や関わりとしてのケアといった文脈もあれば、学校教育におけるケアもあれば