【取材旅行】奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室
前日に奈良県立万葉文化館を駐車場まで行ったもののタイムアウトで断念していたので、再訪しようと藤原宮跡の大内裏跡を左手に走行していたところ
突き当りの道案内看板の「奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室」の文字が飛び込んで来ました。
「そこ行きたい!Uターン!!」とドライバー(夫君)に無理強いしいしい向かったのがこちらでした。
「行きたい」の第六感に従って良かった・・・!!!
それが一番の感想です。
見応えたっぷりでした!!!
館内に入るとまずガイドのおば様が受付前のショーケース展示の説明をしてくれました。
「日高山瓦窯」と呼ばれる遺跡の展示説明でここで藤原宮の瓦の多くが作られたそうで、近年発見されたばかりとのことでした。
そう、ここでの重要ワードそれは「瓦」です。
圧巻だったのが、瓦だけを展示した資料室。
見やすい!見比べやすい!!
しかもこうやって瓦が並ぶ姿は美しく…キャッチ―で、学芸員さんのセンスの良さがすごいなぁと…博物館好きとしても惚れ惚れしてしまいました。
展示と陳列が麗しいだけではなく、説明もわかりやすかったです。
こうして並べることによって差異もわかりやすく、それぞれの建物の重要度も一目瞭然ですよね。
(ちょうど執筆中の小説に瓦の描写を入れていたので、もっと現実味を帯びた情景に出来そう・・・!)
大きな展示室に入るとまず大きな実物大の祭具がお出迎えしてくれ、そのきらびやかさに驚きました。
これは大宝元年の元日朝賀で立てられた幡の再現という案内板がありました。
文武天皇を中心に持統上皇や元明天皇も眺めたのかぁ…飛鳥ロマンですね。
この展示室でボランティアガイドのおじ様が他の来館者の方に説明していたのを聞いていたのですが、藤原京の瓦は四国や淡路でも作られて(作らせて)いたそうです。(その数2万枚?200万枚?失念です)
「これだけの都の瓦ですから大和だけでは作りきれないです」とのこと。
近隣ではなく、海を隔てて淡路・四国というところが興味深いですね。
当時の朝廷の勢力が伺えます(色々な意味で)。
難波津から川で運ぶ方が陸路よりも搬入しやすいから…という理由もあるとは思いますが。
また、この藤原京は後世に呼ばれた名で当時は「新京」のような呼ばれ方をしていたそうで、そもそもこの地は「藤井の原」と呼ばれる湿地で古代から栄えていて古墳も多かったそうです。
その古墳を壊して京は建てられたそうで、古墳に祀られていたであろう埴輪なども出土しているそうです。
それを聞いて思ったのは…絶対に元々この地に縁のある人のやることじゃないな、と。
(だって自分の祖先の墓は掘り起こしませんよね)
天武天皇だからこそ着工出来たのでは?と思います。
藤原京からの出土品も時代に分けて展示してありました。
こちらも見やすい!
こちらの資料館の陳列方法本当に素晴らしいですね。
出土品の中には牛の骨も多いそうです。
使役したいた牛が沢山いたこと、そして寿命を迎えてしまった牛の多かったことを物語り、都の造営中の様子を想像するヒントになりますね。
また出土品と共に、王族・官僚・庶民の食卓の再現など当時の生活がわかる展示もありました。
呪術や呪いに使われた木簡や人型の展示も…!
これは興味深かったです!
ジオラマや当時の衣装の展示もありましたし、藤原宮での暮らしを身近に感じられるような工夫が多い印象でした。
また屋外にも礎石などを使った展示が。
古民家鑑定士としてはこれもまた興味深かった…のですが、
何せ暑くて暑くて暑くて…ゆっくり見るのは夏には無理ですね。
写真をダッシュで撮って撤収!(勿体ない)
古代史好きな方はもちろんですが、明日香の風光明媚を巡る旅の方にも立ち寄りをお勧めしたい資料館でした。