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【コダイ妄想】「山」と「海」の国、それが日本!

前回の記事で「海路」と「陸路」についてお話しましたが、
古代の日本は「海」と「陸」で全く違う文化だったと考えられます。

海は船を使い、九州から日本海側の航路と瀬戸内への航路、
機内を琵琶湖経由で川伝いに日本海側に抜ける路、
四国沿岸~紀伊半島から東国・上総方面への航路、
ざっくりその5パターンがあったと思われます。

これは、古事記において大国主(オオナムチ)が辿った道程であったり、
沖縄の貝を使った装飾品が北海道で見つかったり、
越国のヒスイが九州や朝鮮半島で見つかったりしていることから
容易に想像できます。

また、それとは別に陸路ももちろんあったでしょう。
ですが、神武天皇紀の東征やヤマトヒメの伊勢への旅程、
ヤマトタケルの苦境などなどを思うに、
一筋縄ではいかないものだったのでしょう。

騎馬民族の技術を伝え、信濃国界隈や上毛国界隈で馬の飼育が始まってから
陸路は活性化していったのだとしても、
山の多い日本では陸路の道程はやはり容易なものではなかったと思います。

神武紀の街道の整備の描写も「我が国はこの頃から陸地を整備していたんですのよ!」という対外的な虚勢ではないでしょうか。

陸に住む人々と海を行く人々とは古代どころか近世頃まで乖離があったと思うのです。

私は、海の神、山の神、海の民、山の民、という描写がこのことを如実に伝えてくれていると思います。

山の神=国つ神、海の神=天つ神
そう捉えると、古事記の話はすっきりして来ます。

よく語られる「天つ国はどこ?」論争も
「天」=「海」だと考えるべきだと思います。

どちらも読みは「あま」ですよね。
古代の日本語は漢字よりも音を大事にしていたと思いますので
(万葉仮名が音の文字ですからね(甲乙群の漢字で意味を分けていたとしても、口頭では同じ音ですよね。イントネーションが違っていたのかもしれませんが))
「天つ国」は三次元的に「空」として捉えていたのではなく、
二次元的に「海」として捉えていたのではないでしょうか。

遠くに行くことを子供に説明するときに
「海の向こう」とも「空の彼方」とも表現することは
この名残なのかもしれません。

そして、この「海つ国」は九州だと私は考えます。
…このお話はまた後日…。

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