山行記2022-7 五頭山・菱ヶ岳(2022.07.16)と、名著『越後の山旅』の話など
7月16日、この日は平ヶ岳に登る予定でいました。
前夜、ようやく開通した国道352号線を辿って車で銀山平から鷹ノ巣まで入り、翌早朝に歩き出して山頂まで往復する予定でいました。
しかし、天気予報は雨。全国的に激しい雷雨の可能性がある、とのこと。
平ヶ岳は登り始めると10時間帰ってこれません。しかもスマホの圏外…
逡巡した末、自宅から一番近い「遠足で行く山」に登ることにしました。
新潟平野のどこからも見える庶民の山、五頭山です。
この五頭山ですが、昭和51年刊『越後の山旅』(藤島玄著)に、昭和5年、なんと今から92年前に開催されたマラソン大会のことが紹介されています。今でいうトレイルランですね。ずいぶん前に読んで面白いなあと感じていましたので、今回は当時のマラソン大会と同じルートを辿ってみることにしました。
ところでこの『越後の山旅』、とにかく名著で、紹介する山の登山ルートや自然環境だけではなく、その山に関わる人々の歴史や文化までよく目配りがされていて、山に対する畏敬の念を強く感じさせる内容になっています。
流れに任せて読んでいると50年程前までの日本では山に入ることは異世界への「旅」だったんだということが徐々に分かってきます。そしてそれが当時の開発とレジャーブームで壊されつつあったんだ、ということも。
ちなみに藤島氏は、山に登るときの履物として登山靴ではなく草鞋や地下足袋を履くことを強く勧めています。登山靴は頑丈なだけに荒々しく山道を削りお花畑を踏み荒らしてしまうことから「この阿呆らしい履物」とまでこき下しています。
こうした主張から、登山ブーム真っ盛りのこの頃、藤島氏は近代的な登山スタイルで山に入っていく、山への敬意を忘れ自分たちの日常を安易に山に持ち込む若者たちを苦々しく見つめてたんじゃないかな、なんて想像します。
さて話を戻して、『越後の山旅』に紹介されている昭和5年のトレイルラン、少し引用してみます。
ここで発着点として紹介されている出湯小学校は村杉温泉のところにあったそうですが、残念ながら1982年に閉校になったようです。
それにしても下駄や裸足で山道を走って1時間45分は驚異的。最新のシューズを履いた今のトレランの人でもこの記録はなかなか大変なのではないでしょうか。
さて、今回私は、出湯温泉よりもはるかに山に近いところからの出発。
五頭登山でおそらくもっともメジャーな五頭山スキー場コース登山口からのスタートです。
人気の山の一番メジャーなルートです。登山道はよく整備されていて登りやすい。目立った急登もありません。サクサクと登って行けます。
そして、やってきました五ノ峰。
五頭山というくらいなので峰が五つあるのですが、そのうちもっとも越後平野に近いのがこの五ノ峰。
広大な越後平野、その向こうの日本海、さらにその向こうの佐渡島と粟島が一望です。本当に素晴らしい眺め。
ここから越後平野を眺めるのはなんと30年ぶりです(歳とりました)。
おにぎりなど食べてのんびりしてから、四、三、二、一ノ峰と辿り、五頭山の三角点がある、通称五頭本山へ。
ここからは菱ヶ岳への縦走コース。
これまでの道より刈払いがあまり行われておらず、少しの藪が行く手を邪魔します。とはいっても大したことはありません。
飯豊連峰(来月行く!)を左手に見ながら快適な縦走路を進んで、1時間半ほどで菱ヶ岳山頂に到着です。
そして帰路へ。
途中、YAMAPに「熊を発見」とコメントが残されているところでサルの群れに遭遇しました。最初熊かと思って心臓が縮みそうでした。思わず右手に熊撃退スプレーを握りしめていました。
菱ヶ岳登山口(駐車場)へ到着。無事に戻って参りました。
さて、私のコースタイムはというと、休憩込みで約6時間。
92年前のトレイルランの優勝者が1時間45分で駆け抜けたコースをその3倍以上かけて歩いたことになります。しかも昔のコースはもっと距離があります。
いやいや凄いわ92年前の人。
詳細なコースタイム等はこちらをご覧ください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?