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ある日の会話(その2)「俺、今まで一度も振られた事ないんだよね」に対する正しい返答 

お疲れ様です。

一昨日の話です。

私が前々からボランティアに興味があるという事を、
趣味の会で知り合ったC子さんに話していた。

C子さんは私と同年代で、IT関連のコンサルティングをしていている。顔が広く社交的で、何事にも意欲的な人だ。

今回のボランティアの件も、
①「ボランティアだからといってこちらが聞いていない事を押し付けられるようなものであってはならない」
②「どの媒体で募集をかけていて、どの団体が管理をしているのか知らなくてはならない」
③「説明会を必ず聞く必要がある」
という3点を確認するべきだと強く教えていただき、
今回、C子さんが説明会に誘って下さった。

希望していたボランティアは絵本を作ったり、おもちゃを手作りするような種類のものだったので、私自身が集中して作業がしたいという、むしろ自分の為のボランティア活動を考えていた。

自分自身、人と関わったり、その距離感を考えながら行動するのは非常に苦手で、説明会というものも気が重かった。でも今回は説明会を口実に、C子さんと会えて話せたら良いなと考えていた。
その事をC子さんに伝えると、C子さん自身は全くボランティアに興味が無く、私と帰りにカフェに寄れたら良いと考えてくれていた。ホッとした。

ボランティアの説明会で簡単なディスカッションがあり、私とC子さんと同じ組に、D男さんE男さんで4人組が作られた。話していると結果、私もD男さんもE男さんも、今回説明して下さった団体のボランティアには参加しないという事になった。もちろん最初から参加するつもりのなかったC子さんも同じく。
やはり、C子さんの言うように説明会を聞いておいて良かった。内容に受け入れられないものが多かった。

同世代であることがわかり、帰りに4人でカフェに寄る事になった。D男さんは既婚の会社員。E男さんは独身で自営業との事。4台分の車が停められるよう、駐車場の広いカフェに集合した。
私にとって、C子さんがいるとはいえ、初対面の人とお茶を飲むという事が珍しい事で、緊張した。本来苦手な場面である。

カフェに着くや否や、C子さんはトイレに行くと言い、化粧室に入って行った。
D男さんは、前に説明会に行った別のボランティア団体の資料を見せたいと、書類を取りに車に戻った。

私とE男さんは、店員さんにすすめられた一番広い6人座れるテーブルに向かい合って席についた。
お冷とおしぼりとメニューを置いた店員さんが、テーブルから下がったところで、いきなりE男さんがつぶやいた。

E男:「俺、今まで一度も振られたことないんだよね」

私:「…」

(いきなり何なんですか)
(なぜそんな事を言うのですか)
(このセリフと対になる答えなんか無いでしょう)
(「そうですか、男前ですもんね」…違うか…)
(振られた事しか無い私への自慢でしょうか)
(C子さん、お願いですから、早く化粧室から戻って下さい。)
(むしろ、化粧を直したいのは私の方です。焦りで汗だくです。)
(D男さん、お願いですから、早く車から戻って下さい。)
(私と同じ車種ですから、小さい車でそんなに書類探す場所なんて無いでしょう。)
(というか、E男さん初対面でなぜタメ口なのですか)
(これは素人大喜利なのですか)

会話のペースを乱さないように、無い知恵を絞り、渾身の答えを出す。

私:「あ、E男さんメニュー見ますか?」

この直後、D男さんが戻った。

D男:「いや〜確かに車内にあるはずだと思って探してたんだけど、鞄の中に入ってたわ」

(そりゃ良かった。紛失してなくて良かった。)

すぐ後に、C子さんが化粧室から戻る。

C子:「あ〜スッキリした。もれそうだったから笑」

(そりゃ良かった。それが一番良い)
(そう言えばC子さんは、私のように厚化粧ではないから、そんなに化粧直さなくて良いか)

C子:「ところで、英ちゃんとE男さん何話してたの?」

E男:「あ〜、俺が今まで一度も振られたこと無いっていう話。」

C子:「そうなんだ。で皆何飲むか決まった?」

私:「…アイスティーで」

そうだったのか。
答えは「そうなんだ」だ。
知らなかったのではなく、気づかなかったのだ。

翌日になって色々と思う事があった。

確かに、E男さんは所謂イケメンに該当するのだと思う。背が高くシンプルな顔立ちで。振られたことがないというのも、おそらく事実なのだろう。というのは、嘘を吐く意味もわからないという意味で。

ただ、一度も振られたことがない人というのは、例えば恋愛が絡んだ小説や映画に何を思うのかなと考えてしまう。リアルな痛みや悲しみや喪失感が伝わるのかと。感動もしないのかも。
確かに、映画も小説も恋愛とは関係ないものが多数で、振られる感覚というのは必要のないものかもしれないが、なんとなくそれはそれでさみしいというか。

振られてばかりの私が、私自身を励ますための言葉なのかもしれないけれど、「振られる」人生もまたそこに付随する感動もあるかと思う。

もしかしたら、この記事を読んで下さった方の中に、振られて落ち込んでいる方がみえましたら、どうかその痛みは、読む小説や、観る映画の為、また誰かの失恋に寄り添える感覚なのだと思っていただきたいです。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

明日も皆様にとって良い日でありますように。

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