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私感『国内半導体産業の盛衰』

最近、私が出勤前に必ず行っていることがあります。それは、自宅玄関のドアを開けると遠方に望める半導体工場『キオクシア四日市工場』の存在を確認することです。

私にとって同工場は、特別な存在です。

最初のキャリアとなった社内の情報システム部門から、人事制度を利用して異動した先が、半導体製造向け高純度薬品の営業職でした。

勤務地は、名古屋駅前にあった中部支社。担当先の中で最も重要で、売上規模の大きかった顧客が、前述キオクシア四日市工場の前身であった東芝四日市工場でした。

冒頭の写真は、キオクシアのホームページに掲載されている2年前の同社四日市工場の全景を写した航空写真ですが、私が担当し始めた1995年当時は、写真左側中央部の2棟しかありませんでした。

20年程前、上記事業から離れて以降は、同工場を訪れることはありませんでしたが、昨年、再び、同工場に関わる仕事を担当することになり、久しぶりに同工場に出向いたら、6棟が稼働中で、7棟目の建設に着手した矢先でした。

要塞のような工場群を目の当たりにして、私は、日本国内の半導体産業の盛衰を感じずにはいられませんでした。。。

私が半導体産業に関わっていた90年代中頃から10年程の期間は、未だ、国内半導体産業は、世界に立ち向かおうとする気概が、かろうじて残っていた時代でした。

特に、前半の5年程は、毎年、大手だけではなく、中堅どころまで、設備投資を継続していて、日本各地で新工場建設案件があった為、その流れに何とか乗り遅れないようにと、懸命に全国を飛び回っていたことを記憶しています。

しかし、私が半導体業界を離れた2000年代中盤以降は、東芝以外は、何らかの形で、事業の縮小或いは事業譲渡の道を辿ることになったのでした。

その衰退の理由は、幾つかあると思いますが、私の感想としては、マネジメント、特に経営判断の遅さに原因があると考えています。

半導体が使われる先のアプリケーションが、日進月歩で進化するスピードに乗り遅れない様、日本以外の欧米、韓国、台湾の各半導体メーカーは、我先に設備通しを繰り返していました。

その一方、日本の半導体メーカーは、その情勢を眺めながら投資を判断するに至っていました。

結果、日本の半導体メーカーが設備投資した工場が稼働し始める頃には、既に、海外メーカーが、先行者利益を獲得して、業界の趨勢は決していた状況が、繰り返されていったのです。

実際、私自身、半導体製造用材料の営業活動をしていて、上記のような国内半導体メーカーの経営判断の遅さを、現場で肌感覚で感じていました。

現在、世の中は、空前の半導体不足に陥っています。その影響は、私たちの身近な電化製品の納期までにも及んでいる程です。

よって、日本政府もここ数年、国内の半導体産業を再び成長させようと、国内投資向けに補助金を出すなどの施策を打っています。

半導体の奪い合いが世界規模で起きている中、再び、日本国内の半導体産業が、勢いを取り戻す日が来ることを、関係者の一人として、願って止みません。

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