見出し画像

『選手ファースト』の報道とは(『感動』の押し売りは要らない)

少し前の日経新聞夕刊にバルセロナ、アトランタ五輪女子マラソンメダリストの有森裕子さんの連載がありました。タイトルは、『社会との伴走 問い続け』。

その最終回の冒頭部分を以下に引用させて頂きます。

SMAPの「世界に1つだけの花」には「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」という歌詞がある。
 
2002年から知的障害者を支援するスペシャルオリンピックス日本にかかわるようになったのですが、ことあるごとにこの曲が「ふさわしい歌」として象徴的に流されていることに、とても違和感を覚えました。
知的障害者だって勝ちたい人はいます。曲がすてきなのはよく分かります。でも「1番にならなくてもいい」というのは、そもそも他人が決めることではありません。
03年にアイルランドで行われた世界大会を実際に見た時、その思いは確信に変わりました。バスケットボールでは日本チームが決勝で負けました。選手たちは泣きながら悔しがった。どうしても勝ちたかったのです。でも涙を拭いて礼儀正しくお礼を言って競技を終えた。アスリートとしての思いは「オリパラとまったく同じだ」と思いました。
「スペシャルオリンピックスで勝ち負けは関係ない」が決まり文句で「彼らは天使だ」といった特別視する風潮もありました。それこそ「感動ポルノではないか」と私は思いました。障害者は人を感動させる存在ではありません。

以上の記事での彼女の考え方に、私も賛同します。

以前『スポーツ実況の危うさ』という投稿をしましたが、報道としての商品価値を高めようと、伝えるマスコミ側は、あの手この手で、競技の模様を脚色して来ます。

競技開始前に延々と選手に纏わる人間ドラマを見せたり、実況中に選手のアクシデントを強調して流したり、家族に関するエピソードを紹介したりと、その事例は、枚挙にいとまがありません。

上記のスペシャルオリンピックスの選手たちも含め、競技に参加する全ての選手は、勝利を目指して、その試合に勝つ為に邁進しているはずです。

その真剣勝負の緊迫感、勝敗が決まる緊張感、勝者の喜び、敗者の悔しさを、映像を通して、視聴者それぞれの感性により楽しむのが、スポーツ放送が持つ魅力だと思います。

そして、選手たちの勝負に徹する姿を、脚色無しに、ありのまま伝えることが、『選手ファースト』の姿勢に繋がるのだと考えます。

昨日、全国高校駅伝の模様が放映されていましたが、競技そのものの魅力を伝える姿勢がとても感じられ、過剰な脚色、演出が無く、シンプルに駅伝競走を楽しむことが出来ました。

選手も一人の人間ですので、様々な人生模様の中で、日々トレーニングを積み、目標とする大会で勝つことを目指しています。

マスコミの皆さんには、その試合での勝利に向けた選手の姿を、ありのままに、等身大で伝えて欲しいと切に願うとともに、意図的に脚色した『感動の押し売り』だけは、控えて頂きたいと、強く思う次第です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?