「知らない方が幸せなこと」と「知らないから幸せ」なこと。
こんばんは。
先週のお薬の飲み忘れをズルズルと引きずっています。
今週頭あたりに、やっと気分が元に戻り始めたかな?とか思っていたのに、どうやらそうでもなかったらしい。
時期的なもの?も、あるのかもしれない。
コロナだとか、復職考えなきゃだとか。
あーしんどいしんどい。
今日の本題。
はい。記事の題名の通りです。
「知らない方が幸せ」と「知らないから幸せ」を区別して考えたことはありますか?
それ以前に、二つとも同じやろって思う人もいるかもしれません。
私は、この二つ、明確に違うと思っています。
まあ、よくありそうでない具体例を挙げてみるとしましょう。
「知らない方が幸せ」な話
皆さん、お肉や卵って、日常的に食べますよね?
毎食とまではいかなくても、現代人ならほぼ毎日食べると思います。
そのお肉のために、豚さん、牛さん、鶏さんを殺す仕事をしている人がいます。
卵を作る養鶏場では、卵を産めない「障害を持ったひよこさん」が生まれると、人の手で、グッと。
窒息死させるそうです。
魚と違って、豚さん、牛さん、鶏さん(ひよこさんも)たちは、鳴きます。
豚さんや牛さんがどうやって殺されるのかは知りませんが、鶏さんは全ての羽を抜かれてから殺されるって、働いていた人から聞いたことがあります。
すごく痛いだろうな。苦しいだろうな。
スーパーへ行って、お肉や卵を買うことができるということさえ知っていれば、そういうグロテスクな部分は全て、知らない誰かが担ってくれています。
知る必要はありません。
むしろ、知ることで「お肉が食べられなくなる」って人もいるかもしれません。
「知らないから幸せ」な話
自分が親として慕っているのは、血の繋がりのない親っていう知り合いがいました。
中高生くらいまで、そのことを全く知らされず育ったその子は、ある身辺調査で「血の繋がりのある父は別にいる」と知ることになります。
今まで、そういう複雑な事情を知らなかったから、純粋に親として慕うことができたけれど、知ってしまった以上どうしようもない。
思春期という多感な時期も重なって、喧嘩をしたそうです。
(その後ちゃんと和解できたらしいです。よかった。)
結局、何がどう違うんですか。
実は二つとも、同じ話をしています。
ここまで記事を読んだあなたは、二つの話に対して「知らない方が幸せだな」と捉えることができると思います。
要するに、
「事実を知る前」は「知らないから幸せ」だったのに対し、
「事実を知った後」は「知らない方が幸せ」ということです。
「知らないから幸せ」は「無知」
「知らない方が幸せ」は「後悔」
知識というものは、宝です。
持っていて、損することはありません。
ものによっては、「人としての価値が高まる」こともあります。
その上、「知識税」なんてものは存在しないし、資産のように揉めることもない。
素敵。
でもやっぱり。
「知らなければよかった」と、後悔することはたくさんあります。
私の人生経験上、「経験しない方が幸せだった」って思うことはとてつもなく多いですし。
でもやっぱり。(2回目)
知らないからこその幸せって、小さな子が怖いもの知らず・世間知らずなのと同じだと思うんですよね。
いろいろ知っているからこそ、怖いもの知らずの怖さ、世間知らずの怖さを知ってるんです。
だから、「知らないから幸せ」っていうのは、単なる「無知」と同じだと思っています。
知ると臆病になる人
世間知らずの子供は、ある意味勇敢ですよね。
なんでもやろうとする。危なっかしいけど。
逆に、いろいろ知ってしまった人って、新境地へ一歩踏み出すことを尻込みします。
人って、知れば知るほど、臆病になっていくなぁって。
知ることで、知ることから遠ざかろうとするなぁって。
「大人になるとなかなかできない」とか「子供のうちにやらせたい」とか、小さい時に言われていたことが今ならよく分かります。
ところで、話は変わるのですが。
「知らないから幸せ」に近いことで、ずっと前から疑問に思ってることがあるんです。
「悪意に鈍い」のって、それは良いことなのかとか、幸せなことなのかとか。
その判断がきっぱりとできないというか。
きっぱりと決めるのは難しいだろうし、その時々によって変わるのかもしれないけどさ。
ちなみに自分は、悪意には鈍いけど、被害妄想はするタイプですね。(最悪)
それは嘘で、本当は、悪意に敏感だったりするかも?
内緒。
悪意には、気付かない方が幸せなのかな。
でも、知った方が自分を護ることに繋がるよな。
まとまりがなくなってしまったけれど、今日はこの辺で。
一週間お疲れ様です。
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