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めちゃくちゃ病んでると、死刑執行を待つ人みたいな気持ちになってしまう

こんにちは。

今日は久しぶりに、精神病(うつ病)で仕事ができなくなり、生活保護を受給して生きている私の、鬱々とした時のことを書いてみようと思います。

とはいえ、本当に鬱々しているときに執筆なんてやってられないので、鬱々したときのことを”思い出しながら”のお話です。


私が恐れるもの

最近は、だんだんと調子が良い日が増えてきて…とはいえ、昨夜は本当に自殺しに行きそうな危険なテンションをしていたのですが。

どこかで自棄を抱えつつも、生きてることを楽しむ日が増えてきました。

こうやって元気になってきたところで、私が直面している課題は「今後どうやって社会復帰していくか」です。

正直、時々でも自殺しに行きそうなテンションになっちゃううちは、社会復帰を考えるのが怖いです。

今までの経験が、失敗として自分に深く根付いているというのもありますけれど。

それ以上に、自分が恐ろしいです。


それは、誰?

これは働いていた頃の話になりますが。

当時、いつも後ろから、私の命を狙ってる女の人の気配とか、声とか、色々なものを感じていました。

「ミスしたら殺される」「ちゃんとしなきゃ殺される」

もちろん、実際そんな人はいません。

当時の私ができる、私の頑張らせ方が、自分を追い込んで逃げるという選択肢を無くすことだったんですよね。


それから、去年、ODで救急搬送されたときの話。

私に記憶が残ってないのに、私は警察と話していて、警察の方から「すごくしっかりした受け答えをしていた」と言われたよ、とか母から聞いたんですよ。

自分の知らないところで、自分が生きてる感覚って分かりますか?

本当に怖いというか恐ろしいというか。
もう、理解とか許容とか、そういう範疇の話ではないんです、本人からすると。


そんな経験をした私は、結果的に、自分に対して漠然とした恐怖を感じます。

そんな気持ちを抱えているので、何に対しても臆病になってます。

自分で自分が御せない。一体私は、どうなっているんだろうか。


「社会復帰したくないだけだろ」って思う方は、それも間違っていません。

実際、とても怖いので、社会復帰したくないです。怖い思いはしたくない。


犬の方が働ける

私ができることといえば、皆様の税金で暮らして、こうして一銭の価値にもならない文章を書いて公開し、青空文庫で読書をし、呼吸をし、あとはなんだろう。

もういっそ、端的言ってしまえば、食う、寝る、遊ぶ、ですよ。

犬の方がまだ、社会に貢献できてます。

盲導犬とか、警察犬とかさ。

ペットの犬だって、家族に愛されるという仕事を十分に全うしています。


対して私はどうでしょう?

社会悪ですよ。

睡眠障害だから、「寝る」ことを「頑張って寝る」とか、おかしい。

うつ病だから、「食う」こと、「遊ぶ」ことを、「頑張って食う」「頑張って遊ぶ」とか、ふざけてる。

これっぽっちも笑えねぇんだよ。


私が生きていられる世界は、とても平和

働かざる者食うべからず。

もしも、世界中を巻き込むような災害か何かが起こったとして、衣食住どれか一つが欠けるような、とんでもない事態になった時。

何の生産力も持たない私は、真っ先に切り捨てるべき対象です。

だから、こんな私みたいな動物を生き存えさせることができる世界は、本当にもうそれだけでありがたい程に平和だと思います。

逆に、もしも世界が平和ではなくなった時は、喜んで首を差し出そう。


私の命は誰の手に

こんな自棄に浸ることのできるうちは、とても平和な世界ですね。

でも、本当にそうなってしまった時、私はいよいよ死ぬことになるんだろうな。

人権も何もないでしょう。一般的な人間としての価値がないのですから。


そう考えると、私の命って、私が持ってるようで持ってないんだなって思ってしまうのです。

いつまでもこの暮らしができるわけではない。

だからこそ、早く自立をしたい。


しかし鬱は恐ろしい

自立をするより、死ぬ方が、ラクで、一瞬で、未来を描きやすいです。

描く未来は空白・虚空。美しい。
人は死に魅入られやすい。

でも、まあ、自殺は怖いです。

苦しいのは嫌だし、去年の一件でどれだけ周りに迷惑と心配をかけるかもよく分かりました。

もしかしたら、死に対する恐怖より、罪悪感の方が勝ってるかもしれない。

まあどちらにせよ、私は自分で自分を殺すことは、なかなかできないんだろうなぁ。

だからこそ、もういっそ世界に殺されてしまいたい。


ここまで利己的になれるなんて、自分でもびっくりです。


生きるためには

このままだと私は死刑囚です。

いつか世界に殺される気がします。

そうなる前に、私が私として私のまま、私の力で生きる方法を、見つけなくてはいけない。


そう、強く思います。

こうして言葉にすると、ちょっとだけラクになれますね。


いつか、世界に愛されてみたい。

それは、生かされるということなのか、殺されるということなのか。

報われる時を待つ人は報われません。

よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。