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二十歳になる前に、二十歳と向き合う

こんにちは。

短い文章ながらも、連日投稿ができて嬉しく思います。
ささやかではありながらも、いいねやフォローというものはとても大きな支えになっています。
ありがとうございます。

それから、最近は、夜型の生活がだいぶ改善しつつあって、社会復帰に向けて上手に進めていけているなという感じです。
こうして安定してnoteを連日投稿できているということが、何よりも分かりやすい『前進』の形ですね。


二十歳といえば

私はまだ19歳ですが、来年の誕生日1月23日を迎えると、20歳になります。

ですから、ギリギリ未成年のまま成人式を迎える早生まれになります。

そう、成人式。
二十歳といえば、成人式ですよね。

生活保護を受けている身ですから、お金はかけられません。

着物は、母が成人式の時に着たものが、祖父母の家に袖を切らずに保管されてるそうなので、それを着る予定です。(小学生くらいの時から決まっていました。)

着付けは、母の友人が和服の着付けを教わったらしく、その方にお任せ。

髪飾りは、母の趣味である水引とつまみ細工で、母が制作。

当日のお化粧は自分で、髪型のセットは母が。

そんな、私の成長を見ていてくれた人たちに囲まれての、誰よりも暖かな成人式になりそうで、成人式を迎える前から感謝でいっぱいです。

当日はどんな気持ちになることやら…。

そんな成人式を、本当の意味で気持ちよく迎えるために、『二十歳』について考えてみようかなと思います。

具体的にどういうことを考えるか、なんとなく決まっているようでほとんど決まってないのですけれども。

とりあえず、思い立った時に書こうかな、みたいな。

年が明けてから成人式までの間は短いですし、バタバタするかもしれませんから、期限は年度内として。

それまでの間で、書けるだけ書いてみようかなと考えています。


二十歳はお星さまのようで

ひとまず今回は、最初ですし、『二十歳』というものについて漠然と感じることを、サクッと書いてみようかなと思います。

幼い頃、例えば幼稚園とか小学生とか、それくらいの頃。

中学生や高校生というものですら、手の届かない果てしなく遠いところの存在、夜空に輝くお星さまと同じものだと感じていましたから、「二十歳なんて一生来ないんじゃないか」って思っていました。

実際に中学生や高校生になってみたら、「なっちゃったんだ」みたいな。

思い描いていた程には輝いてなくて、自由なようで不自由で。

何より、中身が空っぽのような、追いついていないような、空虚な感じがしたことを覚えています。

なんていうか、偶然手が届いた、憧れのお星さまだったはずなのに、手の中に納めた途端に石ころになってしまったような。

虚無感でもあったのかもしれませんね。

話を戻して。
成人式や次の誕生日を、まあまあ目前に控えた今でも、「成人式はこないのではないか」「私はずっと19歳のままで、20歳にはならないのではないか」なんて気持ちが、ないわけでもないのです。

頭では分かっているんですよ?

夏が終わって、秋がすぎて、冬に入って、年を越すと、やがて成人式の日が訪れる。

成人式が終わったら今度は、私の誕生日がくる。
その日、私は『二十歳』になる。

時間が止まることなんてありませんし、歳を取らないことだってありませんから、成人式も、20歳の誕生日も、必ずやって来るのです。

その日、その時こそは、今までみたいに、中身が空っぽだとか、追いついていないだとか、そういう風に思いたくないなって思います。

今度こそ、お星さまをお星さまのまま掴んで、二十歳として新たな好スタートを切りたい。


二十歳のスタートラインに立つために

もしかしたら、皆さんにとっては、『二十歳』なんてそんな大層なものではないのかもしれませんけれど。

『二十歳』という言葉にせよ、『成人式』という文化にせよ。
そういうのって、20歳という歳を『大きな節目』として考えられ続けてきた証拠であると思うのです。

先人が大切に思い、特別に祝ってきた。

そこに込められた思いは、本当にいろいろなものがあると思います。

親から子へ、子から親へ。
師から弟子へ、弟子から師へ。
大人たちから新成人へ、新成人から大人たちへ。

互いへの感謝
育ってくれたことへの安堵
新たな門出の祝福
大人としての敬意
ここまで歩んできたという称賛
これから先への期待

今の時代って、感謝をしなくても、育つことができてしまう時代だと思うのです。

それは、師と仰ぐ相手が短期的に変わるだとか、人との繋がり方が薄く広くになっているだとか。
結果、相手に対して深い情を抱かずとも良くなってしまっている、あるいは深い情を持つほどまで関係が続かないことが多くなってきているように感じるのです。

感謝という感情が薄くなりやすい。

それは、もしかしたら寂しいことなのかもしれませんけれど、時代の流れというのはそういうものなのだろう、だから仕方のないことだと、私は考えています。

だからこそ、数少ない節目くらいは、感謝をしよう、言葉で伝えよう。
それから、自分の成長を祝福しよう、一緒に育った友人を祝福しよう。
自分と相手への敬意を忘れずに。

そういう心の準備を、成人式の日と二十歳の誕生日までに、時間をかけてしていこうと思います。

よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。