非日常はゆっくりと日常を蝕む
こんにちは。
今月3日、私が朝起きると、シナモン文鳥のエマさんが亡くなっていました。
画像の下の方の子です。とても毛並みが美しい(*ˊᵕˋ*)
ちなみに上は、桜文鳥のメメさん。
メメは、去年の10月1日に亡くなっています。
二羽とも病死でした。
日に日に体が弱くなっていく中、生きようと懸命でした。
こんな重い話はもたれてしまいますね^^;
今日の本題。
メメさんとは約9ヶ月、エマさんとは1年2ヶ月生活しました。
それだけ生活していると、彼らがいるのが当然の生活になります。
『日常』
『当たり前』
始まりはなんだってそうです。
新しいものに対して、最初は特別な気ばかりして、夢中になる。
でも、気づけば慣れて、当たり前になってしまう。
そして終わりもまた、同じです。
なくなったものに対して、最初は違和感を感じ、虚しくなる。
でも、気づけば慣れて、当たり前になってしまう。
『非日常』も、続けば『日常』、『当たり前の時間』になっていきます。
そしてかつてあった『日常』は、ゆっくり時間をかけて『非日常』、『特別な時間』になっていきます。
そして最後には、『思い出』になるのでしょう。
ありふれた日常にはいつだって、非日常への落とし穴が潜んでいます。
今、自分の周りにいる人・あるものとは、いつか必ず別れがやってきます。
別れが過ぎると、しばらく『非日常』が続いたあと、それが『日常』へと変貌してしまいます。
そうなったときに残るものが、素敵なものでありますように。
これから出会う全てと、別れる全てに対し、寛容でありたい。
よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。