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本と、ゲームと、アニメと、音楽

こんばんは。

昨日に引き続き、今日もなにもできない1日になってしまいました。

でも、どうしてでしょうね。
前ならもっと、自己嫌悪だとか虚無感だとかに苛まれていただろうに、昨日も今日も、あまりそういう感じがしないのです。


なにをしていたの?

昨日は、9時ぐらいには起きることができたような気がします。

ですから、1日の時間というものがとても長くて、まあやろうと思えば何でもできたような1日でした。

今日は13時をすぎた頃に起きたので、1日の時間としてはとても短かったですね。
流石に、起きたときにはだいぶショックでした。(昨日はいつもよりは早く寝たつもりだったので)


昨日今日と、合わせればたくさんの時間があります。

そのほとんどを占めるのが、ゲームです。

働けよニートが。


ストレス

働けという言葉は、もう百万回は自分に言っている気がします。

人の金で暮らしている身ですから、もっと質素な生活すべきなのかもしれないし、そこまでせずとも表面上はそうであることを装うのが正しいのかもしれませんけれど。

私は、自分が『遊ぶ』ことを隠したくないです。

正確には、自分が感じた世界を記録として残しておきたいだとか、それを見た誰かと同じ気持ちが共有できたらいいなだとか、そういうことを思っています。


そもそも、そういうことは働けるようになってからすることだって言われそうですね。

それに対しては、反論の余地がありません。私の負けです。

「労働」よりも「娯楽」の方が簡単で、成果が目に見えやすい。
私はそれに、甘えているだけなのですから、怒られて当然です。


けれども、私だって生きている人間です。

なにもしていなければストレス発散の必要がないって思われがちかもしれませんが、なにもしないことというのは、案外大きなストレスなのです。

もっと言うと、「なにもしない」ということよりも、「したくてもできない」ということの方がストレスになります。
(私にとっては仕事がそれに該当します。)

ですから結局、ただ息をして生きているだけの私でも、ストレスの発散って必要らしいのです。


夢を見たい

それで、私のストレスの発散方法の一つが「ゲーム」というだけのことなのですが。

私にとって、「ゲーム」がなぜストレスの発散になるのかというのを考えてみたのですよ。


で、よく考えたら、「ゲームだから」ストレスが発散できているわけではないなって気づいたのです。

むしろ、ゲームと呼ばれるもののうちほとんどは、ストレスになります。

対戦型なら、負けたり味方と連携できなかったりすれば、誰だってストレスを感じるでしょう。

よくある携帯ゲームなら、レベル上げや素材集めのために周回したり、毎日コツコツログインしたりしなければなりません。それだけ頑張っても、結局は運(ガチャだとかドロップだとか)であったり。
ぶっちゃけ、そういうのは嫌いです。疲れますし。

ゲームのどこにストレスを発散させてくれる要素があるかって考えると、よく分からなくなりました。(おい)


そこで、別のストレス発散方法になにがあるかなーって、思い返してみたのです。

パッと思いついたのが、本、アニメ、音楽。
そこにゲームも加えて、4つ。

それらに共通する部分って、「夢を見せてくれる」ってことだと思うのですよね。


だから私は、何か(本、アニメ、ゲームなど)を通じて夢を見ることが、ストレス発散に繋がっているのだろうなぁと。


夢…だけ?

でも、夢を見たいだけなら、ぶっちゃけ何かを妄想するだけでもストレス発散になりそうだなって、思ったんですよ。

もちろん、何かを妄想してても、大してストレスの発散にはなりません。

実際、小説を書くこと、設定を練ることは楽しいですし、それなりのものがかければ爽快感を感じるのですが。
日によっては、とてつもないストレスを感じることもあります。(超短期的なスランプのようなものです。いいものができない時は、どうしたってできない。)


だからもう少し掘り下げて、「夢」からなにを得ているんだろうなぁと考えてみました。

それで私の答えは、「感動」なのではないか、と。


心が動けばストレスになる、ばかりではない

ストレスって大抵、自分に過度な刺激が与えられたときに感じるものです。

けれど、刺激が全くないというのは、それはそれで大きなストレスになってしまいます。

人間、なにもかも、程々がちょうど良いらしい。


「心地よい」と感じる程度の刺激ならば、ストレスの発散になる気がします。

私にとって、何かから与えられる「感動」というものは、心地よい刺激に分類されるもののようです。

だから、「感動」を求めて、本を読んだり、アニメを見たり、ゲームをやったり、音楽を聴いたり…。

無気力な人でも取りやすい行動、「見る」だけでも可能なアニメだとか、「聞く」だけでも可能な音楽やドラマCDとかって、どうしても手が出しやすいものになってしまうんだなって。

読書って、少しでも体力のある時でないと、なかなか気持ちが起こらない…。

読書ほどではないにせよ、ゲームは、アニメより体力が必要かなと思います。

音楽 < ドラマCD ≦ アニメ < ゲーム < 読書


音楽って最強なんだなぁ…。


不安

これから私は、いつかきっと社会に出るんだと思います。

なにかしら仕事をして、お金をもらって、そうやって生きていくようになる日が来るのだろうと思います。


そうなった時、どれくらいのストレスが私にかかるのかは分かりません。

過去の経験上、ストレスがかかるというよりも、時間経過で自分が壊れていくような心地しかしたことがありませんから。

「社会に身を置くこと」と「自分」というものを、どう両立したりいいのか分かりません。
そもそも両立することが可能なのか?って気持ちもあります。

現状から既に。
地域活動センター程度の人との関わり合いの中での、ほんの些細なストレスさえも、3日くらい引きずっちゃうようなどうしようもない人間です。


今のストレス発散方法は今だからできることであって、未来では役に立たないでしょう。

「その境遇に置かれてしまえばどうにかなる」って言う人が居ますが、私もそう信じて就職して、大失敗していますからね。

同じことを繰り返していては、本当にいつか、たまたま偶然助かろうと思ってした自殺未遂が未遂ではなくなってしまいそうで恐ろしい。
そうなった方が社会のためかもしれませんけれど。


いつまでこの生活が続くのだろう。
いつまでこの生活を続けていても許されるのだろう。

私はいつから自立できるのだろう。
私でも、自立はできることなのだろうか。

よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。