2021/03/10『魚を捌く』
こんばんは。
さっきまで弟たちとゲームをしていました。気がついたらこんな時間。
時間を忘れて楽しむというのは本当に素敵なことですが、生活を壊さないように気をつけねば。
今日は、気分的に、魚を捌くところから1日がスタートしたと思っています。
実家から、サバが2匹、送られてきたんですよ。
特に名産ってわけでもなし、港的な場所へ出かけたわけでもなし、コストコで安く売っていたから買って送ってくれたらしいです。
私は、確か小学6年生くらいの頃、どうしてかは忘れましたが魚を捌けるようになりたくて、練習しました。
近くのスーパーで「お魚を一匹、捌かないでください」と買い物へ出かけ、一般家庭で使われるただの料理包丁でサバを捌いたのが始まりでした。
ちなみに、その料理包丁はあり得ないくらい切れ味が悪くて、ソーセージすらまともに切れませんでした。皮が切れない。
まあそれでも、それっぽく捌くことができました。
当然最初は、店にパック分けされて並んでいるものほど上手くいきませんでしたけどね。
今まで捌いたことのある魚の中で、一番しんどかったものは、タイですね。
弟が釣って帰ってきたので、捌くしかなくて。
それまで、アジとサバ以外の魚を三枚おろしにしたことはなかったので、初めて鱗を剥がしたのもタイです。
気持ち良いくらいに剥がれるけど、めっちゃ飛ぶ!
ちなみに、使った包丁は例のソーセージがまともに切れない家庭包丁だったのですが、これでクソほど硬いタイを捌くのはアホのやることですね。
怪我しなくて良かったです、本当に。
今はね、百均のものですが、ちゃんと研がれた出刃包丁を使っているので、腕は大して昔と変わっていないでしょうけれど、それなりに上手く捌けます。
そうそう、今日捌いたお魚、最初に捌いた1匹目はめちゃくちゃ身が引き締まっていて、捌きやすかった上に、捌いた状態の見栄えも最高でした。
もう1匹は、先に捌いたお魚さんと比べると、若干身がゆるいというか、引き締まりが足りないというか。
お魚によって、こんなに違うんだなぁとびっくりしながら捌いてました。
今まで感じたことのない実感だったので、結構楽しかったです。
↑手前の方が引き締まったやつ。
1日の始まりがそんなでしたから、施設へ行ったのは午後です。
お昼ご飯をお弁当に詰めて、行ってきました。
施設の近くにある商店街で、催しをしていることを聞いたので、一人でぶらりと散歩してきました。
商店街の優しいおじさんおばさんに出会えて、優しさというか、地元愛というか、そういうものを全身で浴びてきました。
施設に戻って、職員さんに撮ってきた写真を見せて、そこでまたお話をして。
今日は、充実を、上手に作り出せた1日でした。
やっぱり、出かけるのって素敵ですね。
出かける先があるというのも大切ですし、そこで何をどう楽しめるかも大切です。
何かに出会って、何かに惹かれるたびに、私は、あらゆる出会いが大好きで、あらゆるものを愛したい人なんだと気づかされます。
それから、そういう自分を、自分で言うのはおかしいですが、尊いもののように感じます。
感性が豊かというか、鋭いというか。
人が見落とすものを見落とせなくて、無視できるものを無視できないからこそ、大切にできる気持ちがあるのではないかな?と。
きっとこれは、誰もが持てる感情ではないし、持っていたとしても大切にしようと思えない人の方が多いものでしょう。
成長の過程で失ってしまうとか、経験が忘れさせてしまうというか。
純粋とか、無垢とか、そういうものの一種なのかもしれません。
自意識高すぎますかね。
自惚れているつもりはありませんが、この場合はむしろそれが厄介かもしれない?
なんだかんだ、それなりのボリュームになってしまいました。
かいていることが楽しくて、ついつい長くなってしまうんですよね。
この年になって、素直に楽しめることがあるだけでも幸せ者だ。
それでは今日はこの辺で。
また明日。おやすみなさい。
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