地図を広げて〈二話〉

 ドラゴンの飛び去っていた方向へと真っ直ぐ進み続けた俺は、いつの間にかジャングルのような場所に迷い込んでしまった。あまりにもたくさんの木が生えていて、葉が生い茂っているものだから、空がほとんど見えない。つたもびっしりで、この先へ真っ直ぐ進むには無理がありそうだ。

 そういえば、来た道はどっちだろう。
 どっちへ向かえば良かったんだっけ。
 どうやら俺は、完全に迷子になってしまったららしかった。

 迷ったら地図を開けなんて、よく言うものの、そもそも自分が今どこにいるのかが分かっていないのなら、地図を開いたって仕方がないだろうに。
 俺は例の古地図を開きもせずポケットに入れて、ただひたすらに進める方向へと進んでいった。獣道、なんてものがジャングルにあるのかどうかは知らないけれど、よくよく探してみれば、進める方向がどこかしらにある。

 しばらく、進めているのか戻っているのかさえも分からないまま歩き続けると、地面にあいている大きな穴を見つけた。何かの巣かな?なんて思いつつも、面白半分で中を覗いてみた。

「誰か、いる?」

 自分の声がこだまして返ってくる。
 中はかなり広いらしい。

『誰もいないよ。』
 消えてしまいそうなくらいの小さなささやき声が聞こえた気がした。

『でも、君を待ってるよ。』
『僕たちは地上の星だよ。』
『早く入っておいでよ。』

 どうやら、幻聴ではないらしい。
 穴の先は真っ暗で、静かで、普通だったら不気味がって絶対に中に入ろうとなんて思わないのに、さっきこの目で確かにドラゴンを見てしまった俺には、この先に行きたい場所があるような気がしてならなかった。
 頭を抜き、そっと足から穴の中へ入っていく。

 ズルリ!

「うわぁぁ!?」

 手を掛けていた穴のへりが崩れ、俺は穴の中へと落っこちた。

「いたた…。」

 まさかこんな冒険をするとは知らずに、半袖半ズボンなんかで来たものだから、肘を擦りむいてしまった。ジャングルの中を歩いてきただけでも十分、俺の手足は擦り傷だらけになっていたけれど、痛みを伴うほどの傷ではなかったから、傷らしい傷はこれが初めてだ。
 上を見上げると、ジャンプしてもギリギリ届かないくらいのところに、小さな穴が見える。丸く切り取られたジャングルは、ビー玉の中に閉じ込められた小さな世界のようで、さっきまで歩き回っていた場所だなんて思えない。

『こっちへおいで。』
『真っ直ぐ歩いてごらん。』

 また、不思議な声が聞こえた。俺はその声に導かれるように、暗闇の中へと歩いて行く。

『左側に尖った岩があるよ、気をつけてね。』
『滑りやすいから、ゆっくり歩いてね。』

 真っ暗で、全くと言っても周りが見えていないはずなのに、不思議な声が案内してくれた場所はうっすらと、俺の瞳に映るようになる。おかげで、俺はなんとか暗闇の中を進み続けることができた。

『そろそろ半分だね。』
『このお水は飲めるよ、一度休憩にしよう。』

 奥に進むにつれて、小さなささやきだった不思議な声は、はっきりとした声になり、不思議な声の案内があったものの輝きも、うっすらではなくしっかり視認できるくらいに増していった。
 だから、怖さも寂しさも感じなかった。光があれば恐れる必要はない。声があればひとりじゃない。

『段差があるよ、気をつけてね。』
『ちょっと崖のぼりをするよ。ここに足をかけてね。』

『着いたよ。ここの岩に腰掛けてごらん。』

 俺は不思議な声に助けられながら、俺はどこかにたどり着いた。どこかっていうのは、相変わらず自分が今どこにいるのかが分かっていないというだけのことだ。

 真っ暗なんだから分かりようがない。
 ———真っ暗なんだから?

 気づけば、さっきまで輝いて見えた腰掛けも、登ってきたはずの小さな崖も、何もかもが見えなくなっていた。

「おーい、誰か。いるんだろ?」

 一切の音が無い。
 無音の世界。

「…嘘だろ、さっきまでは…。」

 誰からの返事もない。光もない。
 何もない。

 先ほどまでは感じていなかった不安が一気にこみ上げてきて、でも、何も見えないから動くことすらできなくて、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう————

(ひたひたひたひた)

 無音だったその空間に、聴き慣れないけれど、聴いたことのあるような、規則的な音が響き渡る。

(ひたひたひたひた)

 その音は、だんだんと俺の方へと近づいてきている気がした。

(ひたひたひたひた)

 暗闇の奥に、うっすらと光が浮かぶ。
 それは、ひたひたという音が近づくのと同時に強くなっていって——。

「お届け物ですよ、エメラルドさん。」
『ありがとう、スズメさん。』

 小さなスズメが、これまた小さなライトと、小さなカバンを首から下げてやってきた。

「おやおや珍しいですね、人の子がこんなところに。…さては、宝石のみなさんがやけに嬉しそうだったのは、この子で遊んでいたからですね?」

 スズメのその一言で、闇の中に隠れていた宝石たちが顔を出し、自ら光を放った。
 赤、オレンジ、黄、緑、青、ピンク、紫、白。色とりどりの光が、上も下も右も左も、あらゆる方向から俺を取り囲む。

『ごめんなさい、この綺麗な世界をプレゼントしたかったの。』
『ずっとずっと昔にも、小さな女の子がきてくれたのよ。』
『けれどもその子は、色とりどりに輝く私たちを見て、連れ去ろうとしたの。』
『それを思い出すと、怖くて輝けなくて…。』
『意地悪をするつもりはなかったの。ごめんなさい。』

 どこからともなく、優しい声が頭の中に響いてくる感じ。

「ここにいる宝石たちはみんな、友達であり、仲間であり、家族なんですよ。だから、絶対にとっちゃダメって決まりなんです。まあ、わざわざ決まりだなんて言わなくても、家族をとるだなんて普通しませんよね。怖い怖い。」
「それ…多分、俺のばあちゃん、だと思う。」

「えぇ!?」
(カラコロカラコロ)

 石が転がるような小さな音があちこちでして、あたりは再び暗闇に包まれてしまった。スズメが首から下げているライトが、とても小さいけれど光を放ってくれていたから、さっきみたいに不安に襲われずには済んだけれど。

『悪者だったんだ。』
『誰だよ、洞窟に入れた奴は!』
『さっさと追い出すんだ。』
『でも、この子が悪者だって決まったわけじゃないよ?』
『案内をしたら、さらわれちゃうかもしれない。案内なんてしたくないよ。』
『暗闇に閉じ込めておけばいいのさ。』
『かわいそうな子どもを見るのは嫌だな。』
『悪者なんだから、かわいそうなわけあるか!』
『本当に悪者なの?』

 あちこちから、不思議な声が響いてくる。耳で感じているんじゃなくて、頭の中に直接響いてきているような感じで、耐えられない。

「…じゃあ、私が出口まで案内するよ。それならいいでしょう?」

(カラコロカラコロ)

『スズメのライトは小さすぎる。』
『洞窟は、危ないところがたくさんあるからね。』
『怖がる石は隠れていればいい。』
『宝石は、輝いてこそ宝石だ。案内は任せてね。』

(カラコロカラコロ)

『ふん、どうなっても知らないぞ。』
『ちゃんと帰ってきてね?』
『やっぱり輝きたいな。お手伝いくらいならするよ。』

(カラコロカラコロ)

「どうやら、宝石さんも少しだけ、お手伝いをしてくれるらしい。私のライトじゃ心許なかったから、良かったね、少年。」
「う、うん。でも、宝石が喋るだなんて…なんか変。」
「何を言うんだい? 生きているのだから、おしゃべりくらいするだろう。」
「物は生きていない。そういえば、スズメが喋るのだっておかしい。」
「うーむ、少年のいうことはよく分からないね。なんだって生きているさ。それとも少年は、死んだ宝石や死んだスズメにしか会ったことがないのかい?」
「…生きていれば喋るというのなら、そうかもしれないけど。」

 煮え切らない中途半端な返事しかできなかった自分に、なんとなくモヤモヤとした感情が募る。

「さあ、こっちだよ、少年。出口はすぐそこさ。」
「え? でも、ここにたどり着くまでかなり歩いた気が…。」

(カラコロカラコロ)

 宝石たちの転がる音が、俺を笑っているように感じた。

『この洞窟は広いのさ。』
『この洞窟はどこにでも繋がっているのさ。』
『この洞窟は生きているのさ。』

 淡い光と、スズメの小さなライトを頼りに進んでいくと、今度は見たこともない小さな街にたどり着いた。

「あれ、さっきまで外はジャングルだったのに。」
「さっき、宝石たちも言っていただろう。あの洞窟は生きているんだ。生きているのだから、移動くらいするだろう?」
「は、はぁ…。」

 どうやら、この世界は僕が思っている以上に、僕の常識の通用しない世界らしい。

「そういえば、先ほど聞き忘れてしまったけれど、君はどこからきたんだい? 番地はいくつ? 目印の旗は何色?」
「ええと…あ、俺、ばあちゃんからもらった地図を持ってます。」
「どれ、見せてみなさい。」

 ポケットに折り畳まれていたボロボロの地図を差し出す。

「…これは…生きた地図だね、珍しい。」
「生きた地図は珍しいの? 生きた宝石や洞窟は珍しくないのに?」
「宝石や洞窟は、自然と生まれるものだろう。地図は、自然と生まれるものじゃあないよ。」
「じゃあなんでこの地図は生きているんだよ。」
「そりゃあ…。」
「そりゃあ?」

 スズメは黙り込む。

「…物知りのフクロウに聞くことだね。今日は確か、カエルのお遊戯会の日だろう。フクロウは昔から、お話をかくことが大好きなんだ。カエルのお遊戯会の脚本も、フクロウが書いているはずだよ。」
「スズメは知らないんだ。」
「そんなことはどうでもいい。さあ行った行った! 私は郵便のお仕事があるからね!」

 チチチと、スズメらしい可愛い鳴き声を出しながら、俺の肩に体当たりを二回すると、ひたひたと飛び去ってしまった。

「カエルのお遊戯会を見たら、もうこの世界にはいられないのかな。」

 幼い頃、ばあちゃんに言った、俺の行きたい場所。
 ドラゴンのいる島、宝石の洞窟、スズメの郵便屋、カエルのお遊戯会。

 行きたい場所へ全部行けたら、俺は帰ることになるのかな。
 それとも、俺はずっとこの、行きたい世界から帰れなくなるのかな。

「まあ、いいか。楽しいし。」

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