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清算したいことリスト

こんにちは。

実家から帰ってきて1週間。
やっと、元の自分の生活というものが戻ってきて、心身ともに安定したなぁという感じです。


二十歳に向けて4本目

今回の帰省は、振袖の前撮りのための帰省でした。

そういうイベントがあると、いよいよ二十歳を迎えるんだなぁって、近いような遠いような現実味を感じます。

ちょうど良い機会ですし、実家にいる間、色々と考えていたこともありますし、さっくりと書いていこうと思いますよ。


囚われる

近いうちに、『トラウマ』についての記事を投稿しようと思っていて、もしかしたらだいぶそれと被ってしまう部分があるかもしれませんけれど。

私の20年間って、する必要のない苦労の多い20年間だったように思うのです。

家庭の事情とか、転校とか、心の病気とか、不登校とか。
なんでこんなに闘わなきゃいけないんだって、自分でも嫌になるくらいにしんどい20年間でした。

一つ壁にぶち当たるたび、なんとか乗り越え重ねてきた20年。

でも、乗り越えたからって、それがなかったことになるわけでも、問題でなくなるわけでもありません。

爪痕は、何かしらの形で残ってしまうもの。
私は今でも、いくつかのトラウマを持っていますし、トラウマ程ではなくとも、特定の場面において身が竦む心地になることもあります。

なんだかんだ、乗り越えきれていないのでしょうね。

これを、自分ではあまり言いたくはないのですが、側から見れば『過去に囚われている』ということになるのでしょう。

囚われたくて囚われているわけではないのですが…。


清算したいことリスト

本当は、『二十歳』を迎えるまでに清算してしまいたいな、と思っていたのですが。

冷静に考えて、ある期限までに清算しようと思ってできるようなものではないし、何かしらの状態に曝される必要があるものもあります。

ですからまあ、『二十歳』までにどうにかすることはできずとも、少なくともこれだけは清算しておきたい!という、二十歳までに負ったものを再認識しておこうかなと。


①家庭のトラウマ

まずはやっぱりね、これですよ。

というか、他のものはほとんど全て、根本的にこれが原因かもしれないとすら思っています。

それくらい、私に大きな影響を与えた出来事です。

まあ、そりゃそうですよね。
子どもが生きる世界ってとても狭いですから、究極的に家と学校だけみたいなところありますし、子どもの頃の家庭がその人の地盤を作っていたとしてもなんの不思議もありません。

ちなみに、離婚は私が10歳の時の話ですから、二十歳を迎えれば10年前の出来事になってしまいます。
言葉の上では昔の話だし、自分の中でも十分に昔の話のはずですが、それでも、私の中では乗り越えきれていない壁の一つです。

正確には、家庭の色々とか離婚とかから来た副作用的な部分が、私の中で残り続けています。
最初に言った通り、他のものはほとんど全て、根本的にこれが原因かもしれないってくらいですし。

ですから、これそのもに対してというより、これに付随する色々の清算が、私のしたいことになりますね。


②『お金』に対する恐怖

これ、だいぶ最近になって初めて気づいたことなのですが。
私って多分、『お金』に対して、色々な恐怖心を抱いているんですよね。

使ったりもらったり、持っていたりすることに関しては、特に大きな問題はないのですが。

主に、『お金が欲しい』と思うことに対して、なんとも言えない恐怖のような気持ちを持っているような気がします。

別の記事でそんな感じのことを書いたかもしれませんが。
両親共、お金に対して異常な執着というか、依存というか、そういうものを持っていたのです。

父は、とにかくお金が欲しいってタイプで。
夫婦喧嘩がエスカレートした中で、人に「金を出せ」と脅していたことがあります。
母は、お金に対する依存心が強く、金銭的な余裕がなくなると、とてもイライラし始めたり、パニックのような状態になったりします。

そういう両親を見ていましたから、そこまで人を変えてしまう『お金』が恐ろしく感じます。

ただ、生活保護を受けてもらっているお金に対しては、生かすために与えられていると理解しているので、世間に対する負い目くらいしか感じていません。

これについて私が問題視しているのは、『働く』ということの対価として『お金』が与えられるということに、恐怖を感じてしまうことです。

変な話、『働く』という行為自体が、『お金を求める』という行動のような気がして。(実際そうなのですけれども。)
『お金を求める』という行為は、父のようにお金に対して貪欲な人間の所業のような気がしてしまい、体の内側が罪悪感とか恐怖とかみたいな黒いドロドロとしたもので一杯になって、仕事について考えているといつの間にか脈や息が上がります。

『お金』に対する認識を、もう少し一般的な認識に近くしてあげないと、お金で回っている世界で生きていくこと自体が困難になってしまうでしょう。
これから先、何をするにしてもバイトくらいはしなければいけなくなるでしょうから、そういう経験の中でゆっくり、意識に変革を起こして行けたらなと考えています。


③逃げてきたこと

私は今まで、不登校をしましたし、退学もしましたし、辞職もしました。

『逃げる』についてのエキスパートです。

誇れねぇ!

これも家庭の色々が影響してのことなのだと思いますが、自分の力ではどうにもならないことに直面した時、真っ先に逃げ道を探してしまいます。

就職した時も、最初こそ「頑張ってみよう」という気持ちが強かったはずですが、無理を重ねるうちに「頑張れなくなったらどうしよう」と考えることが多くなりました。

結果、私はラクな方へと逃げましたし、逃げた先で何をするわけでもなく、何かできたわけでもなく、順調に破滅の道を歩み続けてしまいました。

その時は、そうするしかなかったからそうしていたのでしょうけれども、結果的に『ただ逃げただけ』になってしまったという事実は、私が自信を喪失し、挫折するには十分の経験でした。

これにはどうしても、たった一度でも良いから『成功』という経験を掴むことが重要になってくると思います。

バイトを数ヶ月くらい継続するとか、学校に通い卒業するとか。

今すぐにとは行かずとも、社会復帰に向けて歩みを進める中で徐々に、清算できたらと考えています。


④自分を脅迫していたこと

逃げるから一転、自分が逃げないためにしていたことです。

心の問題でしんどくて、学校や会社に行くことができそうにもなかった時。

学生の頃は、母がヒステリ—を起こすから、それが私への脅迫となり、なんとか学校へ向かうことができました。

一人暮らしになって、同じような状況になった時、私が私を脅迫するしかありませんでした。
殴ったり切ったり打ちつけたり、お薬を大量服薬したり、色々な方法で自分を痛めつけて、自分を脅迫して、自分を動かしていました。

冷静に考えて正気ではないし、冷静に考えなくても正気ではありませんね、恐ろしい。

並の精神力でできる所業ではないというか、生物の所業ではない。

ポピュラーな言い方をすると、作為的な多重人格のようなものですから、脅す自分も脅される自分も自分で、それらを制御する自分も自分。

とにかく、自分への負荷が大きかったです。

それの副作用というか後遺症のようなもので、辞職してからもしばらくの間、幻聴が聞こえたり、現実が遠く夢の中のような心地がしたりと、色々と大変でした。

自分がやったこととはいえ、自分を大きく傷つけたことに変わりはなく。
しかし、それ以外に自分を頑張らせる方法を知らない私は、これから先、また、同じことをしないと言い切ることもできず。

なかなか清算が難しいことの一つです。

打開策としては、まず、無理が必要な頑張り方はしないことですね。
できる範囲のことから、できる範囲でやる。
そうしてゆっくり、できる範囲を広げていって、無理が必要だった部分を無理なくできるだけの要領を身につけて。

それから、頑張りすぎてしまった時に「もっと自分を頑張らせなきゃ」みたいな強迫観念も、どうにかしたいところです。
これは、一人でどうにかするには無理があると思うので、周りの人の力と知恵を借りながら、乗り越えていく必要がありそうです。


まとめ

私の同級生だった人たちって、今、こうやって私のように、何かを清算しなければとかって、考えているのでしょうか?

そもそも、清算しなければと思うようなことがない人だっているのかもしれないし、清算したいことがあったとしても、それをわざわざ『二十歳』という時期に合わせて考えようとはしないのかもしれません。

もっともっと根本的に、何かきっかけがあろうとなかろうと、自分と向き合うことをしない人、あるいは意識的に逃げている人の方が、割合多いでしょう。

そう考えると、私って、ちょっとズレてはいるものの、自分と向き合おうとしている分だけ、ほんの少しだけ、偉いのかな、なんて。

褒めてみたり。

二十歳まで、あと2ヶ月とちょっとです。

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