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大人になりたいの?
こんにちは。
昨日は予定予定で、結局投稿し忘れてしまいました。
連続記録は途絶えてしまいましたけれど、まあ、自分が楽しめれば良いでしょう、ということで、気ままに投稿していきますよ。
二十歳と向き合う企画、2本目
タイトル画像?からも分かるとおり、二十歳と向き合う企画の2本目の記事になります。
いい感じのことを思いついたので、書いてみようかなって。
一応、二十歳関連の記事をまとめる系のマガジンを作ってあるので、もし気になる方はそちらも見てみてくださいね。
では、本日も、さっくりした記事を書いていきますよ。
どんな大人になりたいの?
『二十歳』を迎えると、お酒が飲めたり、タバコが吸えたり、できることの幅が広がるのは、誰の目から見ても確かなことだろうと思います。
それは「大人になった」という、分かりやすい証明でしょうし、もしかしたら二十歳になること・大人になることについて、そういうことを一番楽しみにしている人だっているかもしれません。
そういうふうになった時、私はどんな大人でいたいのか。
理想の大人像のようなものはあるのですが、それは私がなりたいものとは少し違うように思います。
だからと言って、大人の私の理想像のようなものがあるわけでもなく。
やっぱり、「二十歳になるんだ」という実感が欠けているからでしょうけれど、二十歳になったところで私の生活は変わらないだろうし、私の意識も、もしかしたら全く変わらないかもしれないなと、感じてしまうのです。
変わる必要
意識も生活も何も変わらないままっていうのは、つまり、今の私が今の私のままということです。
それって、歳ばっかり大人になっちゃって、中身は子どものままってことになってしまうのだと思います。
もちろん、二十歳を越して、大人の年齢になったからって、意識が変わる人なんてそうそういないでしょう。
最初は特別感があっても、慣れてしまえば日常で平常になってしまうわけですし、何より、意識を変えずとも生きていく上で困ることはないでしょうから。
変わる余地のない人、なんていないと思いますが、変わる必要のない人というものはとても多いです。
普通に学生生活が送れているだとか、普通に社会人をやっていけているだとか。
そういう人って、わざわざ変わろうとしなくとも、今のままが続けば今のままの幸せはそれなりに続いていくわけです。
今に甘んじているわけでなく、満足しているのならば、自分を変えるだなんてむしろしないほうが良いことなのかもしれません。
しかし私は、変わる必要のある人です。
自立した生活を送れるようにならなければいけませんから。
自立した生活を送れるようになるためには、病気をどうにかしなければいけない、生活習慣をどうにかしなければいけない、日常のメンタルコントロールを上手くできるようにならなければいけない、体力を付けなければいけない…など、課題は山積みです。
たまたま都合よく、『二十歳』という節目があるわけですから、そこにあやかろうというわけです。
大人になりたいの?
こうして書いていると、というか。
タイトルをつけた時点から、自分の中にぼんやりとあった疑問にぶつかっているのです。
「私は、大人になりたいのか?」
思春期の子どものような、幼い疑問ですよね。
でも、今の私のこれは、思春期に持つような意味合いではなくて、病気に負けまくって自信を失っているというか、自棄を起こしているというか。
もう、人生なんて、どうにでもなってしまえばいいのに、みたいな。
そういう気持ちから来ているのです。
いつだって、一瞬でも気を緩めてしまえば、ラクな方へラクな方へと流されていくでしょう。
流されて流されて流された末、私はきっと、遅すぎる後悔をします。
そうはなりたくありませんから、プラスの方向へと進んで行こうだとか、強くなろうだとか、変わろうだとか、そう思おうとしているのです。
こうやって、無理に必死になって頑張ろうとするから、うつ病になってしまうのかもしれませんけれど。
そうだとしても、自分の負の感情には、負けたくないなって。
じゃあ、大人になろうよ
私の敵は、いつだって私でした。
高校入試を目前に控えた中学三年生の頃、周りの人の点数より、過去の自分の点数と闘っていましたし。
高校がしんどくなってきた時も、心の重さをどうにか引きずって、学校へ向かったり、クラスへ向かったりしていました。
働き始めた時だって、波の激しい自分のコンディションをどうにかしようと、がむしゃらに頑張っていました。
今だからこそ、あの時のやり方は良くなかっただとか、あの時は頑張るべきではなかったとか、そういうふうに考え直すことができますけれど。
あの時の私にとっては、そうするしかなかったからそうしていたのだという考えは、今だって変わりません。
そりゃ、今の私があの時に戻ったならば、別の行動を取るかもしれませんけれど、あの時の私があの時の私ならば、あの行動が最善だったでしょう。
前置きが長くなってしまいましたね、私の悪いクセです。
私は、私に対して、負けず嫌いなんだと思います。
だから今回だって、負けてやるつもりなんかありません。
このままでもいいじゃんとか、なるようになれとか、そういう甘い私をねじ伏せて、『二十歳』という節目を機に飛躍したいと思っています。
必ず、飛躍します。してみせます。
今度は、そうですね。
この決意を元に、私が『二十歳の私』や『大人の私』に求める理想像というものを記事にしたいですね。
するかは分かりませんけれど。
そんな感じで、今後も気まぐれにお付き合いください。
よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。