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愛でたいひとたち

原著は1966年初版のSLEEPY PEOPLE。近年、石田ゆり子さんがゴフスタインの『海のむこうで』(ACROSS THE SEA)を翻訳されたので、関心がおありの方も多いと思います。シンプルな線で描かれた味わい深いイラストは不思議と人々の心をとらえてやみません。【以下ネタバレあり】

M.B.ゴフスタイン 『ねむたいひとたち』谷川俊太郎訳(あすなろ書房、2017年)

ねむたいひとたち』は12センチ四方の小さい絵本です。本文はもちろん、扉、本カバーのそでに至るまで、ねむたいひとたちがねむっている姿が描かれています。

ねむたいひとたちは
ねむれるばしょさえあれば
どこでもいいのです。
(中略)
いつもとってもねむいんです。

プロフィールにある通り、私もいつもねむい人なので、この人たちの気持ちはわかります。でも、あくびをして、のびまでしたあとに、とうさんが夜食のココアとクッキーをさがしてきて家族全員で夜のおやつを食べる意味がどうもわからない🤔  しかもクッキー食べたり温かいココア飲んでる最中に寝てしまうんです。どうみても歯は磨いてないし(笑) ねむたいかあさんだけが、子どもたちに歌を歌ってきかせるのですが、とうさんなんて真っ先に寝落ちしてます。

まぁ、わが家でも創作話を聞かせていた父親が先に寝入ってしまって、よく息子が「とうちゃん、ねちゃったよ」と嘆いていたので、この家族と似たようなものなんですが、それでもこのねむたいひとたちは子どもの教育上どうなんだろうと思ったりもしました。

と同時に、今回この絵本の良さを思い巡らす中で、自分の中の思い込みというか、刷り込まれている規範のようなものにも気づかされました。

例えば「どこでも寝るのは非常識」というもの。たしか中央線高尾行きの快速電車内でしたが、両手でそれぞれ吊り革をつかみながら、大車輪さながら八の字を描いて大揺れに揺れてねむっているサラリーマンを見たことがあります。どこでもねむれる凄さに圧倒されながらも、周囲の人たちの迷惑を考えない大胆さに呆れたものでした。

その他にも「ねむりすぎは身体に悪い」とか「ねてばっかりは怠け者」だったり「早起きは三文の得」など。社会規範に照らせば、この絵本のねむたいひとたちはだらしがないひとたちの部類に入ることでしょう。

でも仮に、この家族に睡眠障害のような特別な事情があったとしたら?
長旅を終えて時差ボケでつらい中、ようやく寝入る直前だとしたら? 
実は寝たきり一歩手前の人たちだとしたら?
……そんなふうに想像力を働かせてみると、彼らがどこでもねむる意味がちがってみえてきます。

もっともこの家族はこびとなので、そんなに深く考える必要はないと思うのですが、自分の物差しで一概に人を判断することの危うさも感じました。

だからここはひとつ、シンプルに考えてみてはどうでしょう。そもそも好きなときに好きなものを食べて、なにも考えずに眠れるなんて、至福の瞬間じゃないでしょうか。幸せって案外こういうことかもしれない……そう思うと、このねむたいひとたちを心から愛でたくなるのです。