悲しくてまとまらないかもしれないけれど…②

続きです。

私の場合は、死にたいのが思春期でしたが、その時は、【共感】してもらえるのが嬉しかった記憶があります。

わたしの母は、学校へ無理矢理行かせることはしませんでした。でも同居している祖父や祖母には見つかると何て言われるかわからないから、母方の実家へランドセルを持って出かけていました。

ある日、その状況を母が同居の祖父祖母にカミングアウトしてから、休んだ日は自宅で過ごせるようになりました。

同居していた祖父は、かなり厳しい人で、母が何て説明してくれたかは知りませんが、とても勇気のいることだったと思うんです。

それまでは、コソコソ身を隠すようで、やっぱり悪いことしてるんだっていう罪悪感もありました。

心療内科へ通って、カウンセリングを受けて、薬を飲んで、少しずつ良くなっていくんですが、それよりも私に効果を与えた一言があります!

それは母が言った「お母さんも一緒に死んであげる」でした。

え!!!それは困る!!と思ったのを鮮明に覚えています。

今、これを書きながら涙が止まらなくて…嬉しかったんだなぁって思い返しているところです。

一緒に死んでくれることが嬉しいんじゃなくて、大人が子どもに共感してくれたことが嬉しかったんだと思います。

それまでの私は大人の力に押さえ込まれ、大人の顔色を伺って、いい子でありたいという気持ちが強い子どもでした。いい子でいるのが当たり前でありました。だから、周りの大人が言うことは絶対であったし、自分の意見は子供同士の中でしか通用しないとも思ってました。

言葉のチョイスというよりも、やっぱり【共感】という部分が大切で、よく言う、相談する女性はアドバイスが欲しいんじゃなくて、ただ聞いて欲しいだけ。わかってほしいだけ。わかったフリでもいい。っていうソレに似ています。簡単に言い過ぎるとそんな感じです。

そして、今回の件で、自分のことアレコレ書きましたが、そこで私が決意を新たにしたのは、

心が健康なうちに…

あなたは愛されています

あなたが生きていることが嬉しい

そのままでいいんだよ

立ち止まっても大丈夫

逃げたってカッコ悪くない

自分の好きな道を生きていいんだよ

っていうのを、子どもにも大人にも伝えていきたいということ。

私は絵本に救われた人間なので、絵本で伝えていきたいんです。

本当にまとまらなかったし、悲しいのは悲しいまんまだし、タイトルと内容ちぐはぐですが、最後まで読んでくださってありがとうございました(ت)♪













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