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『攻殻機動隊』 誤訳検討[1巻]

本記事では、攻殻機動隊の原作漫画版を英訳と比べ、誤訳と思われる箇所を挙げていきます。比較には、講談社のDeluxe Edition Complete Boxed Setを使用いたします。攻殻の英訳にはいくつか異なる版があるのですが、訳の間に大きな差異は無いものと思われます。では、早速見ていきましょう。

※ページ数は英語版に準拠します。
※全ての画像を容量内に収めるために、限界まで画像を縮小しています。ガビガビですが、ご了承ください。


03章, p.58

日:(少佐が)3 1/2バレルのセブロ・スナブで25ヤード12発3秒ピンヘッドできるって情報は正しい?

英:(装備班の真由美が)3 1/2バレルのセブロ・スナブで25ヤード12発3秒ピンヘッドできるって情報は正しい?

典型的な主語の省略による誤訳です。「装備版の真由美から聞いたんだけど、少佐は〜」という話が「装備版の真由美から聞いたんだけど、真由美は〜」という話に変わっています。


03章 p.60

日:昔はアジアとEC 電脳規格が違ったから HA-3は敵にだけ作用してたんだけど…

英:昔アジアとEECは異なる電脳規格を使用していたから HA-3は敵だけが使っていたんだけど…

もともと敵が使っていたウイルスなら、現在においても日本人に作用するのは当たり前です。そうではなく、HA-3はアジア側のウイルスで、アジア人の電脳には作用しないはずだったのです。


03章, p.64

日:俺達も外国人労働者みたいに抗議運動やらなきゃアームドスーツ買ってもらえないだろーなあ

英:ボスがアームドスーツ買ってくれたらなあ…海外の労働者みたいにストライキ起こさないとだめか…

日本語版で"外国人労働者"と呼ばれているのはおそらく移民のことですが、"日本以外の国の労働者"と誤読されています。移民と対比する形で、労働運動に消極的な日本人というイメージが描かれているのですが、その文脈は少し伝わりにくいのかもしれません。


03章, p.79

日:
(フチコマ)なぜジャマするんです?
(少佐)頭狙ってどうすんの! 足よ 足!

英:
(トグサ)なぜジャマするんです?
(少佐)頭を狙うな トグサ! 足だ 足!

場面の解釈が間違っています。フキダシの中にフチコマの絵が掛かれていることからも分かる通り、ここで会話しているのは少佐の乗るフチコマです。自分の乗るフチコマが犯人の頭に照準を定めているという事に少佐が気付き、フチコマの照準に(無言で)介入したのです。その介入のためにコンマ数秒発砲が遅れ、犯人とズレた位置に弾痕が残ります。そして、その少佐の介入にフチコマが抗議して「なぜジャマするんです?」と聞くわけです。トグサはこの時点では爆発に巻き込まれて混乱しており、会話できる状態にありません。

このページにはもう一つ誤訳があります。


日:標的は市場の人ゴミに紛れこむルートですけど 私もろとも突っ込みます?

英:標的は市場の人ゴミに向かっていますが 追跡しますか?

質問の意図がズレています。フチコマが聞いているのは、「このまま犯人を追いかけると、戦車の私もろとも一般人のところに突入しますが、それで大丈夫ですか?」ということです。次のコマにて、質問に答える形で少佐がフチコマから降りていますね。


05章, p.98

日:工作機械もMM(マイクロマシニング)の応用で変わっていくから 光繊維の細さもMM(マイクロマシン)級だってさ

英:ナノテク工作機械も変わっていくから 光繊維の細さもナノ級だってさ

士郎正宗はナノマシンとマイクロマシンを厳密に分ける作家です。英訳では、おそらく極小サイズに関する一般名称として"ナノ"を使っていますが、ここは厳密にマイクロマシンとする必要があります。マイクロマシンによって部品の製造方法そのものが大きく変わり、部品サイズの下限が引き下げられたわけですね。


06章, p.115

日:
(バトー)俺ならハード面で「ガマンしろ」と仕込むね
(鑑識)根拠は報告書の備考欄に書かれた私の感想? 出世せんよ
(バトー)俺もよくやるからね 「感想」

英:
(バトー)俺ならもっと頑丈なハードを作って解決するね
(鑑識)それ 報告書の「個人的意見」欄に書くつもり? 出世せんよ
(バトー)俺は好きなんだよ 「個人的意見」

会話のウィットがゴッソリ削除されています。バトーが「ハード面でガマンしろと仕込む」と言ったのはなぜか。それは、鑑識のレポートに書き込まれた社会情勢への皮肉を見つけたからでしょう。本来の職分を超えた意見ではありますが、バトーはその鑑識の態度に共感し、さりげなく賛意を示したわけです。だからこそ鑑識は「(そんな態度では、私だけでなくお前も)出世せんよ」と返したわけです。この粋な会話が見過ごされているのは残念ですね。


06章, p.121

日:血の巡りが良くなったところで「お喋り薬」を注入するよ この様な古典的な手法は好まんのだが… 電脳化ぐらいしておきたまえ

英:心拍数と血圧が安定したら「お喋り薬」を注入しろ この様な手荒な手法は好まんのだが 電脳もスキャンしろ

二つ間違いがありますね。

一つ目。「血の巡りが良くなった」と言っているのは、この久保沼という男がロボットに殴りつけられて血の巡りが早まり、自白剤が早く効くようになった、ということです。久保沼が落ち着くまで待ってくれるわけではありません。

二つ目。この久保沼という男は電脳化していません。だからこそ社長は、自白剤などという「古典的な手法」に頼らざるを得なかったわけです。電脳をスキャンできるなら自白剤など不要です。


06章, p.125

日:
(トグサ)阪華精機はどうする!?
(バトー)車で監視しろ 援護はいらねえ!
(トグサ)ワンマンすぎるぜ 元レンジャー!

英:
(トグサ)阪華の建物はどうする?
(バトー)車を使って監視しろ 俺たちの方に援護はいらねえ
(トグサ)あんた本当にワンマンアーミーだな バトー!

"ワンマン"というカタカナ英語に引きずられて場面を誤解しています。日本語版のバトーはトグサに対し、「お前はここに残って阪華の監視を続けろ。襲撃犯は俺一人で追う。お前のバックアップは要らない。」と言っているわけです。トグサはその指示を無視してバトーを追いかけ「ワンマンすぎる」と文句を言うわけですね。


06章, p.137

日:もし警察なら ゴーストダビングは終身刑か死刑だ

英:もし警察なら ゴーストダビングは終身刑か脳消去だ

推測ですが、英訳者は社長がロボットであると勘違いしたか、もしくは電脳というものを誤解したようです。電脳は、生身の脳にマイクロマシンとプロセッサーを取り付けて拡張したものです。社長の場合も、この箱のような機械の体に生身の脳が入っています。そのため、普通の生物と同様に死にますし、殺せます。死刑をわざわざ"脳消去"という造語に変える必要はありません。


07章, p.163

日:この世界じゃ愛想いいのはキラわれるわよ

英:このあたりで愛想よくするのは難しそうね…

"この世界"という言葉を誤解しているものと思われます。別にこの風景を見て治安悪そうだなあと愚痴っているわけではありません。

情報屋の世界で妙に愛想が良いと不要な注意を引くから、そんなふうに振る舞うなよ、と警告しているのです。


07章, p.183

日:それに今の私は三佐じゃないの 情報古いわよ 皆は私の事少佐って呼ぶけどね

英:参考までに言っておけば 私はもう大尉じゃない 草薙少佐だ…!

素子が昇進を勝ち誇っていますが、そういう場面ではありません。この世界では自衛隊の組織改編が進んでおり、階級の呼称が変更されています。草薙素子は元は"三佐"であり、組織改編に伴って"少佐"になりました。つまり同等の階級で呼称だけが変わったのです。少佐はその後、現役軍人でなくなったため、この時"少佐"と呼ばれるべきかどうかは厳密には微妙なところです。だからこそ「皆は私の事少佐って呼ぶけどね」と控えめに言っているわけです。この時点では"少佐"は愛称でしかありません。自衛隊の階級や攻殻の世界観を理解していないと、翻訳が難しい箇所です。


07章, p.187

日:ところが癒着 横領で佐川電子を佐川グルーブ8本足の1ツにする程の資金を得たわけね

英:ところが癒着 横領で 佐川電子を佐川グルーブというタコのような巨大企業に変貌させる程の資金を得たわけね

"8本足の1ツ"というのは、佐川電子がグループ企業のビッグ8になったという意味であって、佐川電子をタコに例えているわけではありません。


08章, p.195

日:それとも君まで「1課はザルだ」と思ってる?

英:むしろ君が1課でルーズ過ぎたのかな?

この前のコマに「9課はタイトすぎるよ」という彼氏のセリフがあり、そのコマと呼応する英訳と思われますが、"ザル"の意味を誤解しています。素子が出かける際に目的を明かさなかったため、「(自分の属する)1課からの情報漏洩を警戒しているのか?」と彼氏は問うているわけです。(1課は信用に値しなかったという事が、この章の結末で明かされます。)


08章, p.203

日:
(トグサ)半ドア
(バトー)?
(トグサ)俺意外と器用なんだぜ ヤバそうなら呼んでくれ
(バトー)かーッぬかったぜ!!爆弾仕掛けられたかな

英:
(トグサ)そのドア開けておいて!
(バトー)?
(トグサ)俺 結構器用なんだぜ ヤバそうなら呼んでくれ
(バトー)くそっなんで見逃しちまったんだ!誰かが爆弾仕掛けやがった!

"トグサがバトーの車の半ドアを指摘した"というくだりが無くなって、意味不明なシーンになっています。半ドアという語句の意味が分からなかったものと推察します。同僚、つまり素子が爆弾テロの被害にあった直後なのに自動車を半ドアで放置し、敵がその隙を狙ったかどうか不明というのが、この場面の面白さです。仕掛けられたかどうか不明の(実際には仕掛けられていない)爆弾を巡るシチュエーションコメディです。


08章, p.205

日:市民誘導とか……爆弾処理班呼べば?

英:市民誘導呼ぶか……爆弾処理班呼べば?

"市民誘導を呼ぶ"では意味不明です。トグサが聞いているのは、「町中で堂々と爆弾のチェックをしてるけど、通行人の避難誘導はしなくていいのか?一人じゃ手が回らないだろ?意地張ってないで爆弾処理班呼んでチェックしてもらえば?」ということです。バトーは処理班を呼びませんし、爆弾も存在しません。バトーさんのオッチョコチョイと意地っ張りに関するコメディです。


08章, p.210

日:弁天も奴の事はよく思ってないから潜伏は自前だろう

英:弁天は奴の事を重視していないから 地下に潜らざるをえないはずだ

元のセリフで強調されているのは"自前"の方であって、"潜伏"の方ではありません。相馬はヤクザの庇護下には入れてもらえないだろう、という事を言っているのです。


08章, p.232

日:アナコンダ暗殺作戦の成功を祝って ね

英:アナコンダ暗殺作戦が成功したことを祈って ね

アナコンダを暗殺したのは素子自身でしょう。(そうでなければ、彼女がパーティーに出席する意味がよくわかりません。)なので、"Here's hoping/祈って"ではおかしいです。


09章, p.234

日:よし その区画を重点的に捜索しろ!

英:よし 来たな この区画から捜索を開始しろ!

ここで荒巻が会話しているのは、通信機の向こうにいるバトーであり、一緒にいる素子とトグサではありません。バトーと会話中であるため、素子とトグサに対してはジェスチャーで指示しています。その後、雨の中で捜索するバトーが描かれることで布石が回収され、読んでいて快感が生じます。士郎正宗はそういう細かい構成が得意なので、是非見落とさずに翻訳して欲しいところです。


08章, p.250

日:
(部下)9課襲撃犯人を仕立ててバラまきます?
(中村)我々は慈善事業家と違うぞ!

英:
(部下)9課襲撃が奴の仕業だとでっち上げますか?
(中村)我々は9課のスピンコントロールと違うぞ!

英訳の"奴"が誰を指しているのか不明瞭ですが、会話の流れからして人形使いのように思えます。ですが、ここで部下が言っているのは「適当な人物を9課襲撃の犯人に仕立て上げますか?」ということです。

9課が襲撃され、人形使いのボディと襲撃犯人(実は6課)が行方不明という状況なのですが、それで困るのは9課の方です。犯人自身である6課は別に困りません。「なぜ犯人が見つからないんだ」と適当に9課を叩いておけば済みます。だから中村は「我々は慈善事業家と違う」と部下の提案を一蹴したわけです。


09章, p.266

日:私の原型には元々なかった端末(効果器)だが 失うとなるとまた特殊なモードになるものだな……

英:私の原型には元々なかった端末(効果器)がある… これを失うと非ユニークなモードに戻るのだな……

なぜか文意が逆になっています。そして、"今、端末を失って分かったが"という意味ではなく"将来失った場合に"という意味に変わってしまっています。
新しく得た女性サイボーグの体(端末)との接続を失ったにも関わらず、体を得る前の状態には戻らず、別の特殊なモードに移行している、ということを人形使いは言っているのです。この時の人形使いは、ハードの変化に伴う自己変化に自分で感心しているのです。その事が分からないと翻訳は難しいかもしれません。


09章, p.267

日:信号がハモって 少佐が奴をとりこんでるのか奴が少佐に組入ってるのか分からなくなってきた!

英:信号がハモって少佐が奴に同調してるってことかよ くそ 奴が少佐に侵入したのかどうか分からねえ!

句読点がないため、元々一つの文章だったものを二つの文章に誤訳しています。元の意味は「少佐と人形使いの脳信号が同調し過ぎているために、少佐が人形使いの情報を自分の脳内でコントロールして出力しているのか、それとも人形使いが少佐の脳を支配して出力をおこなっているのか、違いが曖昧になってしまった」ということです。


09章, p.267

日:あまり深く潜ると 記憶やネット自体が融合しちまうぞ!!

英:あまり深く潜ると 記憶がネット自体と融合しちまうぞ!!

ここでバトーが警告しているのは、情報としての記憶だけでなく、それを含む脳のシナプスネットワーク全体が人形使いの影響を受けて変わってしまうということです。インターネットと自分の記憶がごっちゃになることを心配しているのではありません。


10章, p.295

日:
(法務省の男)貴様が法務省の存在を覚えていたとはな
(荒巻)その価値はあったか?

英:
(法務省の男)貴様が法務省を忘れていなかったとはな
(荒巻)お前にとってその価値はあったか?

これはちょっと意図の分からない訳です。「その価値はあったか?」とは「法務省を覚えている価値があったと思えるような情報を、お前は私に提供してくれるか?」という意味です。単に"Was it worth it?"で良かったのではないでしょうか。


10章, p.301

日:
(素子)デッチ上げだけどシリアのカードで外務省と取り引きする要度が落ちたわ
(トグサ)デッチ上げ!?
(素子)標的が外にいるのに爆破するのはあんたぐらいよ シャピロがコケたのは私達を助けソ連の利益を守るため…

英:
(素子)全部デッチ上げよ トグサ でもこれでシリアのカードで外務省と取り引きする重要性はなくなったわ
(トグサ)デッチ上げ!?
(素子)そう 他の標的を狙ってるのに あんたを爆破するわけないでしょ シャピロがコケたのは私達を助けソ連の利益を守るため…

英訳者は、"外(そと)"を"ほか"とを取り違えたようですね。また、"爆破の対象はあんたぐらい"という誤読もあります。

ここで素子が言っているのは、「ターゲットであるはずのシャピロが建物の外にいるのに、建物を爆破する意味はないでしょ。そんな馬鹿なことをするのはあんたぐらいよ。つまり爆破の目的はシャピロではなく私だったってこと。シャピロがわざとコケてくれたから、私は建物の中に入らず助かったけど。」ということです。ここで素子は三つのことをトグサに伝えています。 一つ目。爆破の標的はシャピロではなく素子であったこと。二つ目。爆破の犯人は(テレビニュースやトグサの理解に反して)モサド自身であること。三つ目。当のモサドにいるシャピロが素子を助けてくれたこと。

流れを整理しましょう。素子がテロリストの少年を射殺し、それがニュースになります。テロリストの少年は親イスラエルの外相を暗殺するつもりだったらしい、という計画書が発見されますが、この時点では世間に公表されていません。その計画書の内容が本当なら、外務省はそれを追い風にアラブを叩き、親イスラエル政策を強行することができます。よって、秘匿された暗殺計画は、素子が外務省を味方につける場合には取引のカードになります。

しかし、計画書がデッチ上げであり、この状況を仕組んだのがイスラエルと外務省なのであれば話は別です。その場合には外務省は素子の敵であり、交渉の余地はありません。

モサドの建物爆破による素子暗殺が実行されたことで、後者のケースであることが明白になったわけです。


10章, p.307

日:でも殺した!なぜですか?

英:でも殺した!なぜですか?草薙少佐

繰り返しになりますが、草薙素子は既に現役軍人ではなく、公式の場で"少佐"と呼ばれることはありません。あくまで私的なニックネームです。


10章, p.310

日:法廷から逃げた部員は9課の手で連れ戻すべきです!

英:法廷から逃げるエージェントは誰であれ9課が連れ戻すべきです!

"法廷から逃げた部員"とは草薙素子個人のことを言っているのであり、法廷から逃亡するエージェント全般のことを言っているわけではありません。

ここで片桐は、「別の部隊に身柄を確保されるより、9課自身の手で逃亡した素子を連れ戻す方が良い」という、優しい意見をくれているのです。9課が閣僚から袋叩きにあう中で、荒巻の古巣にいる片桐くんだけが9課に少し親切である、という状況です。


10章, p.311

日:
(片桐)尾行はバレると思ってましたよ
(荒巻)あたりまえだ わしの仕込みだからな

英:
(片桐)尾行はバレると思ってましたよ
(荒巻)あたりまえだ わしの仕組んだ状況だからな

荒巻が状況を仕組んでいるのであれば、当然ながらそんな事を片桐くんに教えてはなりません。日本語版で荒巻が言ってるのは、「誰が公安局員を仕込んだと思っとる。手の内を知っとる奴らの尾行など 気付いて当然だ。」という意味でしょう。


10章, p.312

日:
(片桐)何とか時間を稼いで──
(荒巻)スピード勝負のプロ相手にか!?

英:
(片桐)何とか時間を稼いで──
(荒巻)最もスピードの早いプロ相手にか!?

荒巻は、草薙素子の行動の素早さを云々しているのではなく、プロ全般に対して時間稼ぎは無駄だと言っているのです。


10章, p.312

日:
(荒巻)マスコミの前で恥をさらして退職するのはみっともいいもんじゃないぞ
(片桐)その時は9課だって解散モノですよ

英:
(荒巻)マスコミの前で恥をさらして退職したい気分じゃないな
(片桐)その時は9課は終わりですよ

「マスコミの前で恥をさらす」かどうかを問われているのは、素子を追っている公安局と片桐くんです。荒巻もいずれ責任を追求される立場にありますが、それを分かった上で、あるいは既に首相とのやり取りで9課の今後が確約されているからか、余裕たっぷりに片桐くんをおちょくっているのです。


10章, p.313

日:
(パズ)指定時間7分前!狙撃班到着予定まであと5分!
(片桐)2分しか余裕がないのか!?
(荒巻)我々の行動が彼女の予想を2分上回ったという事さ

英:
(パズ)狙撃班は指定時間の7分前に到着予定…あと5分です
(片桐)2分しか余裕がない!
(荒巻)我々の行動が彼女の想定より2分遅いということだ

ここに至って英訳は大混乱しています。しかし、日本語版で言っている事はとてもシンプルです。現場に到着した時点でデッドラインまで7分しか無く、その5分後に狙撃班が到着するのですから、7-5=2で、素子を狙撃する猶予は2分しかありません。片桐くんはそのことに焦っているのです。

この前の荒巻と片桐くんの会話を思い出してください。車で出発する前に荒巻がせっつかなければ、片桐くんは狙撃班を急行させることも無く、故にそもそも狙撃の猶予など無かったはずなのです。荒巻が言っているのはそういうことです。荒巻が急かしたおかげで、2分の狙撃時間が稼げたわけです。

荒巻が表向きどちらの味方をしているのか、訳者は把握できなかったのではないでしょうか。荒巻は、素子が身代わり等の方法で状況を切り抜けると既に確信しています。そのため、表向きは公安局と政府の側に立ち、素子と対立しています。


10章, p.318

日:でも奴等 狙撃隊の1人に少佐を消させる計画してますよ

英:でも部長!奴等 狙撃隊の1人と取引して草薙少佐を殺させようとしてますよ!

狙撃班に少佐を殺させる方法は、取引ではありません。電脳ハックです。次の次のページにて、モサドに雇われた変装ハッカーが狙撃手の脳を操っている場面が描かれています。翻訳時に見落としていたのでしょう。


10章, p.318

日:公安局がトロいんで 草薙が人質の足を撃った音だ── ヤミ医者にはいい薬になるだろ

英:草薙が人質の足を撃った音だ 公安局はトロ過ぎる 奴等には良い教訓になるだろ

ヤミ"医者"と言っているのですから、銃撃がいい薬になると思われているのは人質の造顔作家の方であり、公安局ではありません。


10章, p.322

日:ネットが不十分な… 使いこんでない脳のダミーを鑑識に残しちゃったわ…

英:私のネットも不十分ね… 使いこんでない脳のダミーを鑑識に残しちゃったわ

三点リーダーで文章を区切っているのか繋げているのか分からず、混乱が生じているようです。ここでは、ニューラルネットワークが十分に発達してない脳のダミーを用いたため、それがダミーだと鑑識に気付かれるおそれがある、という話をしています。


11章, p.324

英:留守番に第6世代つけたの?

日:彼女は留守で、第6世代に取って代わられたとか?

これも意図のよくわからない英訳です。バトーがAIの名前をしきりに呼ぶので、「ベッドの留守番用に第6世代型のAIを導入したのか」と素子が何となく聞いているという、ただそれだけの場面です。


11章, p.326

日:大扉はただの鍵で 本扉はコレってわけ

英:ふむ 大扉はただの鍵で こちらが本当の扉ってわけか

本扉を開けたのはバトーなのですから、バトーがそのことに自分で感心していてはただのバカです。これは、扉の仕掛けについてバトーが素子に解説しているという場面です。この箇所に限りませんが、"~ってわけ"という文末はニュアンスが曖昧になり、誤訳を生じやすいのだと思います。


11章, p.333

日:遺伝子(ジーン)や模倣子(ミーム)は君が消えた跡も成長を続ける… ドーナツ状にね

英:遺伝子(ジーン)や模倣子(ミーム)は君が消えた跡も成長を続ける… 1孔トロイド状にね

"ドーナツ化現象"は英語では通じません。"ドーナツ"に引っ張られて"1孔トロイド"という訳語になったのだと思いますが、意味不明です。"波紋のように広がる"で良いでしょう。


11章, p.336

日:宇宙は回転し そのモーメントにあたる「時間」に従って進行している……

英:宇宙は回転し その瞬間「時間」に従って 進行する

「宇宙の回転運動のモーメントは時間である」という抽象的・SF的な部分が理解の妨げになったのでしょう。"瞬間"ではなく"モーメント"です。


11章, p.338

日:それじゃあ私が死ぬ時どうするの?遺伝子は当然 模倣子としても残れないわよ!

英:それじゃあ私が死ぬ時どうするの?私の遺伝子は当然生き残れないわよ たとえコピーでさえも!

「模倣子としても残れない」の模倣子を"遺伝子のコピー"と訳した理由はよく分かりません。ここで素子が言っているのは、全身サイボーグの素子は繁殖が出来ず、また第2・第3の人形使いをミームとして再生産することもできないということです。その対策については、人形使いが同じコマで述べています。


11章, p.338

日:融合後の新しい君は事あるごとに私の変種(グライダー)をネットに流すだろう…

英:もし何かがあれば 融合後の新しい君は私の変種(グライダー)をネットに流すだろう…

"事あるごとに"とは"頻繁に"と似たような意味であり、特別な機会のことではありません。


11章, p.340

日:まるで塩基列が対応する様に対応する事をエンという…

英:生物の塩基列が適応する様に適応する事をエンという…

"対応する"の意味を取り違えているように思います。ここで人形使いが言っているのは、DNAのアデミンとチミン、グアニンとシトシンが結合するように、人間関係もまた不可分なエンで結合されたペアであるという事です。


11章, p.343

日:暗証番号はビバルディRV256の頭8秒の数列だ…

英:暗証番号はビバルディRV256のヘッダーを8秒級数にしたものだ

英訳の方はちょっと何を言っているのか分かりませんが、日本語の方も少し難解です。ヴァイオリン協奏曲集 変ホ長調 「隠退」の冒頭8秒を何らかの"数列"に変換したものが自動車の暗証番号になっているようですが、何を数列化したものなのか、よく分かりません。

フキダシの改行のせいで、"RV256の頭"で一度文章が区切られたものだと勘違いし、"頭8秒"とは分からなかったようです。

 

まとめ

この記事の中にも、「この解釈は違うのではないか」と思われる記述があるかもしれません。もしそういうおかしな箇所があれば、コメント欄やTwitterでお聞かせください。

この記事の趣旨は、訳者を叩くことにはありません。そもそもかなり古い翻訳であり、この程度の誤訳はSF小説の邦訳にもまま見られます。ですが、アニメを通じてとは言え攻殻は日本を代表する有名SFであり、何度も版を重ねてきた作品です。それにしては、翻訳の見直しが無さすぎたのではないでしょうか。特に現在の出版元は講談社なのですから、自分のところのIPはもう少し丁寧にチェックしてもよいのではないかと思います。今回扱ったのは1巻だけですが、誤訳の量だけで言えば2巻の方が圧倒的に多いです。

この記事が講談社に届くことはないでしょうが、1ファンとして、何かの機会に見直しがなされることを望みます。


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1.5巻

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