見出し画像

「全国を目指せる環境と挫折」/ 4年 #76 楠 嵩弘

愛媛大学フットサル部広報部です。この度、部員によるnoteを始めました。

本日の投稿は元副主将の楠嵩弘。彼ほど【努力】という言葉が似合う人はいないぐらいフットサルに向き合い、フットサルにも後輩にも熱く接してくれた人間です。



自分の大学フットサルを語る上で、まず最初に全国を目指すチーム体制、組織を作ってくれた響君(2021年度卒)、大地君、義樹君、佳祐君(以上3名 2022年度卒)、幹太そして、指導者として携わっていただいた藤岡さんには感謝しかないです。
ありがとうございます!

「全国を目指せる環境と挫折」


自分は小学1年生から高校3年までサッカーをしてきて、全国とは無縁の人生でした。
小学生、中学生の頃は県大会に出ることが目標のチームに所属した。(それなりに良い経験はできた)
高校生の頃は、選手権1回戦敗退するようなチームでサッカーをして、試合には勝てない上に、サッカーは好きだけど純粋に楽しんではいなかった。

とまあそんなこんなで、愛媛大学に来て、友達にも恵まれ、最初に仲良くなった友達は偶然にもサッカーをしていた人たちが多く。みんなサッカー部は朝練だから嫌だと理由で、みんなでフットサル部に入った(幹太、啓世、健悟、けいし)。
入った当初はまあ3年夏くらいまで続けて、就活するために辞めるみたいな感じで過ごすだろうと思っていた。しかも、自分たちの代はがっつりコロナで1回生の頃はまともに部活も出来なかった。

転機となったのは、1回生の3月くらいだと思います。
フットサル人生初の公式戦の後、藤岡さんが指導者としてやってきた。7月の選手権で優勝して全国大会に出るためだった。
自分の人生の中で、初めて全国というワードが出てきて、自分もその目標達成のために必死に練習した。
けど、結果は予選負け、しかもほぼ自分のせいで負けたといっても過言じゃなかった。結構落ち込んだ。


そこから1ヶ月後にリーグ戦が始まって最初の方は試合にも出場していたが、自分は失点に絡むことが多く。ほぼ毎試合失点に絡む。試合の出場時間も減って。正直フットサルは楽しくなかった。そんなこんなで2年の11月くらいになっていた。

多分2年の11月くらいにチームで3セット案が出て、クアトロをすることになって、自分はクアトロをすることになった。正直、フットサルの基本である3-1はめちゃくちゃ下手だったし、できる自信はなかった。
けど、まあやり始めたら思ったよりも上手く行って、結構楽しかった。
クアトロをやり始めた頃から、フットサルの楽しさに気づき始めて、自分でも何か掴んだ気がした。試合でも、失点に絡むことは減って、得点もできるようになった。

フットサルの楽しさを知って、めちゃくちゃ動画見初めて、大地君(上野 2022年度卒)とか響君(高山 2021年度卒)と飲みに行ってはめちゃくちゃフットサルの話をして楽しかったし、自分のモチベも上がって、心の底から全国に行きたいと思い始めた。

2年の春には神戸カップを経験して、愛大フットサル部の弱さを実感して、その頃には自分たちの代になって、幹太がキャプテンでげんきと自分が副キャプテンになっていた。

3年のシーズンは、フットサルに没頭していた。練習して、フットサルの動画見て、練習して。めちゃくちゃ全国に行きたかったから。チームとしても全国に行くっていうムードが浸透していた感はあって、練習の強度も高かった。何回か喧嘩もした。(怒らせた人すみませんでした)

全国に行くためにめちゃくちゃ準備したけど、7月の選手権、松大に負けて行けなかった。この一年は松大に勝って全国に行くために練習してきたみたいなものだった。その試合の後めちゃくちゃ泣いたし、今までの何よりも悔しかった。目標見失った感はあったし、自分たちの代の半数はそこで引退した。

そこから全日も負けて、学生リーグは松大に負けて準優勝。神戸カップに行けたけど、地域CL、大学選手権には出れなかった。めちゃくちゃフットサルに費やしたけど、全国には出れなかった。辛うじて県リーグ優勝というタイトルは獲得できた。
県リーグ優勝して、入れ替えも勝って四国リーグに参入することになった。

4年になった時に部活にいたのは、自分と迫と庄野だけでした。一個上の代の3人は卒業して、自分たちの代のほとんどは就活とかで、辞めたから。

最後の1年は正直めちゃくちゃしんどかった。
シーズン始まって、四国リーグ開幕5連敗。学生リーグの初戦も引き分けスタート。チームの柱だった迫が怪我。ドン底のチームだった。

なんとか選手権前の学生リーグで今季初勝利挙げて、選手権が始まった。
迫が怪我で出られないと知ってから、迫のためにも絶対に全国に行きたかったけど、結果は負け。めちゃくちゃ申し訳なかったし、最上級としてチームを勝たせられなかったことが悔しすぎた。

それと同時にもう目指すものがなくなって、ここで辞めようかなと思っていたけど、気付いたら普通に部活に行っていた。

もう一回チームのために頑張ろうと思って10月の全日って四国大会行くために、必死になって練習に取り組んだ。けど、また負け。

正直、ここで大学フットサルは引退しようかとも思ったけど、ここまで続けてきて、残り2ヶ月やり切らないのはダサいなと思ったし、フットサルのない生活は考えられなかったから続ける決意をしました。

そして、12月23日大学フットサル最後の試合、学生リーグ最終節松山大学戦。
最後が松大っていうのは結構ワクワクしたけど、自分はその2週間前にインフルにかかって、練習もまともにできてない状態で試合に出た。

まず、この状況で出させてくれた、藤岡さんやチームに感謝です。
アップ中も試合中も死にそうだったけど、最大限尽くした。
途中まで4-1で勝っていたけど、追いつかれて引き分け。またまた、準優勝に終わった。

今までだと、多分悔しくて、泣いたと思うけど今回は結構楽しかった。やり切った感があった。
最後勝ちきれなかったのは悔しいけど、今までずっと怪我でできてなかった迫と一緒にプレーして、後輩がめちゃくちゃ活躍して、引退した同期が見に来てくれて、めちゃくちゃ楽しくフットサルができた。

引退した後も、時々部活に行ってボール蹴って、YouTubeや Twitterでフットサルの動画とか情報は見ていました。

各地方の大学も大学リーグ最終節くらいで、優勝したチームは4年生が結果を残していた。それは松山大学もそうでした。やっぱり優勝するチームは4年が点を取っていた。

そう思うと、松大戦から1ヶ月くらい経って少し悔しさとか自分の不甲斐なさを痛感しました。
だから、悔しいままフットサル人生終わりたくないし、もっと上手くなりたいと思ったので社会人になってもフットサルを続けていたいと思います!

自分の大学フットサルは同期、先輩、後輩、指導者がいて、全国を目指せる環境があったからこそこんなにも充実したと思うし、ここまでフットサルにどハマりすることもなかったと思うので、この環境を作ってくれた皆さんには感謝しかないです。

また、これまで自分の好きなことをさせてくれた両親にも感謝しかないです。少しずつ恩返しします。

同期へ
自分は結構すぐアツくなるタイプで、練習中とか色々言ってしまって、申し訳なかったです。
けど、みんなとやるフットサルは楽しかったし、個性のめちゃくちゃ強いみんなが同期で良かったと思います。

幹太はキャプテンお疲れ様
正直、幹太はめちゃくちゃ怖かったし、幹太に色々言った時もあったけど、幹太がキャプテンで良かったし、あそこまで厳しくチームに言えるのは幹太だけやと思います。ありがとう!
迫、庄野は最後まで続けてくれてありがとう!
2人の存在は心強かったし、頼りになりました!
迫は多分社会人でフットサル続けると思うし、セットもずっと一緒だったから、次は敵同士で対戦できたら面白いなと思います。迫に勝てるように努力します。

後輩へ
今のしんぺいの代は本当に全国に出て、結果を残さないとおかしいってレベルで人は揃っていると思うから、絶対に目標達成してほしいです。


そして、最後まで続けた立場から言うと、3年夏で引退しようと考えている人は最後まで続けろとまでは言わんけど、やれるとこまでやって欲しいです。 

ここまでメンツが揃っているからこそ、やれるとこまでやって全員で目標達成してほしいです。
それができるポテンシャルがみんなにはあると思う。
頑張れ!応援しています!

長々とした、まとまりのない文章でしたが、読んでいただきありがとうございました。

この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?