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「挫折に感謝」/ 4年 #9 迫 大翔

愛媛大学フットサル部広報部です。この度、部員によるnoteを初めました。
昨日の元主将の亀山に続き、本日投稿をしてくれたのは愛媛大学フットサル部の大黒柱としてチームを引っ張ってくれたものの、ラストシーズンの半分以上を怪我に泣かされたエース#9迫大翔の投稿になります。




今回は部活を引退した身であるにも関わらず、愛媛大学フットサル部初の取り組みであるブログの機会を頂くことができた。少し恥ずかしいが、せっかくの機会ということで自身の人生を振り返りながら、読者に何らかの感情を抱かせる事ができればいいな、と思いながら書いていく。

「挫折に感謝」

私は生まれも育ちも大分県で、高校卒業までの18年間を同県で過ごし、大学進学のタイミングで愛媛県に来た。愛媛大学に決めた理由は、当時仲の良かった担任に勧められた、というしょうもない理由である。そんな動機で大学に入学したばかり自分は、こんなにも4年間フットサル漬けの日々になるなんて知る由もなかったであろう。しかし、そんな4年間を過ごす選択をした自分は間違っていなかったと、今では胸を張って言える。


 私はそもそも大学で部活動をする気なんて一切なかった。小学1年から高校3年までの12年間、ある程度レベルの高い環境に身を置いてサッカーをしてきたため、もうやりきっていた。大学では、これまで部活動や勉強に時間を充てていてできなかったことや、純粋に最後の学生生活を楽しもうと考えていた。


そのため大学に入学して間もなく、部活ほど活動頻度が高くなく、自分のペースで楽しめるフットサルのサークルに所属した。そこでは高校までの部活動とは異なり、多くの人がそれぞれ参加したいときに参加し、個々人それぞれが楽しみながら過ごしていた。

私もその環境を純粋に楽しんでいた。部活動にはない、サークルならではの楽しさがそこにはあった。

 
しかしサークルに所属して半年ほど経過すると、自分の心の中にある何らか物足りなさに気がつく。サークル自体は、参加する度に新たな友人ができたり、ボールを蹴ったりして楽しいものだったが、何か物足りなかった。この物足りなさはサークル活動中だけでなく、日々生活しているときにも常に心の中にあった。最初はこの違和感の正体が分からなかったが、時間が経つにつれて理解する事ができた。

その正体は、「一つの目標に向かって本気で取り組めていない自分」に対しての物足りなさであった。ここで初めて、いかに過去の自分がサッカーに対して本気で向き合っていたかを実感する事ができた。それと同時に「全国大会に出場する」という高校まででは果たすことのできなかった目標を再度追いかけることを決断した。

そこでサッカーにおける自身の実力とチームの実力を考慮した上で、サッカー部よりもフットサル部の方が目標を達成できると考え、フットサル部に入部した。そこから自身のフットサル漬けの日々が始まった。

前置きが長くなってしまったが、これは自身がどんな思いで部活動に取り組んできたかを伝えるためである。その思いは、「全国大会に出場する」ということ。これだけ。

そのためにわざわざサークルから部活動に転部というなかなか難しい、環境を変える決断をした。そのために大学生という多くの時間を自由に使える中で、もう一度自身に制限をかけ、部活動を選択した。この目標を達成することで初めて、今までサッカーを通じて関わってきたチームメイトや指導者、親への恩返しができ、自身の人生が肯定されるような気がした。この思いは4年間一度も揺らぐことはなかった。 

そして目標に向けて4年間意識してやってきたことが3点ある。

1点目がフットサルの動画を見るということ。フットサルはサッカーと比べてコートが狭く、人数が少ない分、同じ状況が起こりやすい。その分自身の考えをプレーに反映させやすい、実現性の高いスポーツである。


そのため自身より高いレベルでプレーしている選手の動画を見ることで新たな気づきが生まれる。その後、実際に練習でプレーに反映してみて、その自身のプレーを動画で振り返り、また気づきを得て、また反映の繰り返しである。最初は意識して動画を見ていたが、今ではインスタグラムのおすすめにフットサルの動画しか流れてこない程、無意識的に趣味として見るまでになった。

見れば見るほどハマる、面白いスポーツだと思う。


 2点目がお風呂上がりにストレッチをするということ。これは高校時代に怪我を何度もし、悔しい思いをした経験から同じ思いをしないために始めた。ストレッチをすることで体が柔らかくなり、怪我をしにくい体を作ることができた。

更には、股関節の可動域が広がったことでシュートの威力も強くなった。お風呂上がりに1人の時間を作り、15分から20分もの間、体が痛くなるまでストレッチをすることは意外と難しいのではないだろうか。目標があるから継続してできたことだと思う。

 3点目は常に意識を高く持つことである。高校の先輩がプロのフットサル選手として活躍していたり、サッカーを一緒にやってきた人たちがプロになって結果を残している姿を見て、無理やり自分と比較することで、「もっとやらないといけない」と自身に喝を入れたり、四国は全国的に見ても高いレベルとは言えないため、四国内で結果を出すことは当たり前と考えるなどして、意識を高く持ち続けた。そうすることで常に自身のプレーに満足することはなかったし、目標に向かって上を目指す事ができたと思う。

 大学4年間はこれらのことを主に意識して取り組んできたが、全国大会出場という自身の目標を達成することはできなかった。何度も全国に行くチャンスはあったが、一度も達成できなかった。あと1勝出来ていれば、あと1点取っていれば、全国に行くことが出来ていたが届かなかった。これは一生の悔いとして残るが、次に繋げていくしかないのだと思う。

そんな4年間だったが、総じて今は「挫折に感謝」している。これは本論のタイトルにもしているが本当にそう思う。

私は小中の所属チームでは常に試合に出る事ができており、中学3年時には大分県選抜にも選出されて高校はサッカー推薦で入学した。高校一年時には大分県予選を優勝して全国に行く事ができた。しかしメンバーに入ることが精一杯で、個人として出場することはできなかった。

高校3年間は怪我の影響と周囲のレベルの高さもあり、継続して試合に出ることはできないまま終わってしまった。この挫折をもとに大学では前述した取り組みや意識を持って、フットサルに向き合った。

入部当初から幸いにも試合には常に出れていたが、また挫折の機会が訪れる。

それは3年時の愛媛県選抜の選考会で唯一自分だけが落選したことである。

約20名程度がメンバーやバックアップメンバーに選ばれる中、私1人だけが落選した。この悔しさを糧に一年間取り組み、4年時には無事に県選抜に選出され、試合にも出場し、愛媛県選抜初の四国大会優勝を果たす事ができた。ここで初めて自身の実力で全国大会の切符を手にする事ができた。

意識して取り組んでいたストレッチの成果もあって大学では大きな怪我をしていなかったのだが、全国大会前に全治6か月の怪我をしてしまい、全国大会でプレーすることはできなかった。この時点で引退することも考えたが、目標を諦める事ができず、4年の11月になんとか復帰して、12月の勝てば全国という試合に臨むが全国まで1点足りず、引き分けに終わり、その試合で引退した。



今思えば面白いサッカーフットサル人生だったなと思う。これらの度重なる挫折の経験がなければ次のステップには行けていないだろうし、今の自分はないと思う。一方で目標を達成できなかったという、自身にとって最大の挫折の経験に対して、現時点では感謝することはできない。


だが、これらの挫折の経験があったからこそ生まれる今後の人生もあるかもしれない。社会人として競技フットサルに取り組むときにこれらの経験が花を咲かすのか、はたまたそれ以外で花を咲かすのかは分からないが、いつか自身の人生の中でこれらの経験があったから今の結果を残す事ができた、と全ての挫折に感謝することができる日が来ることを望んでまた前に進んでいこうと思う。

想像以上に長くなってしまいましたが、総じて大学4年間を愛媛大学フットサル部の一員として過ごす事ができて幸せでした。最高でした。
自分と関わってくれた先輩、後輩、同期、指導者、愛媛県内外のフットサル関係者の皆様、ありがとうございました。
愛媛大学フットサル部のOBとして胸を張れる日を楽しみにしています。
後輩たちがんばれ!

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