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読書日記①『言葉の地層』vol.2

引き続き『言葉の地層』の感想を書き進めていきます。

できないままでもレジには立たなければいけません。(省略)できないならできないなりにお客さんに「初めてなんです、少し待って」と言ってカンペを覗いたり、リントンさんや店員のポンさんにコードを見てきてと頼もう。そうやって謝ったり、人の助けを借りながら、やっていこう。
できない自分が恥ずかしくて嫌で逃げ出したくて仕方ないけど、できるふり、わかったふりをしたって本当にできるようになるわけじゃない。これからは、できないなりにここにいられる方法を考えてここにいよう。

『言葉の地層』p92-93

わ~。絶対この問題は私も直面するはず。フィリピン留学や東南アジア旅はまだいいとして、予定しているデンマークでの生活では、これまで出会ったことのない国籍の人と大量に出会い、"英語を"ではなく、"英語で"学ぶ経験をし、暮らしも共にする。

きっとそう短期間で英語はぺらぺらにならないし、強烈なこの英語への苦手意識が吹っ切れるわけでもないし、これまで関わったこともない国々の人たちと、満足のいくコミュニケーションが取れるようになるわけではないと思うのです。

この確実に起こりうるであろう「英語ができないままその場にいなければならない」という期間をどのようなスタンスで向かえるかが、すごく大事だと思うのです。
きっとできないことだらけで恥ずかしくて引きこもりたくなる日もあるだろうけれど、そんなときにはここに立ち返って、紙やスマホで文字にしてもらうとか、逆に後日お手紙やメッセージなどでその場で伝えられなかったことを伝えるとか、「できないなりにここにいられる方法」を考えるのだと強く思いました。

待っていました。呼びかけられるのを。でも気づいたのです。挨拶は「おはよう」と言われて「おはよう」というものじゃなくて、返ってこなくても「おはよう」と言うものだということに。私の声は私をここに繋ぐ縁としてあるのです。

『言葉の地層』p102

わ~。これは国内外問わず言えることかもしれない。余談ですが、私が毎晩のように通う温泉では、浴室にはいるときには「こんばんは~」、出るときには「おやすみなさい~」という文化があります。そんなやりとりが、「あ、わたしはここにいていいんだな」感に不思議とつながったりするのです。最初はなんだか気恥ずかしいんですけどね。私がここにいることの証明でもあるのです。たくさん声をかけて、その呼びかけに反応する誰かの声から、自分の輪郭を、存在を、思いっきり感じて過ごしたいと思います。

 人にはこれまで生きてきた時間と場所が積み重なった独自の言葉の地層があって、それは「標準」と「正しさ」と「言葉の乱れ」で測りきれるものではありません。
(省略)
 新しい言葉は時間をかけ、それまでの言葉の地層に変化を与え、その人の話しぶりや考え方、生き方に少しずつ影響を与えていきます。
 その人の中にある言葉の地層に、新しく身につけた言葉が積み重なって、その人の声ができあがっていきます。慣れない言葉でも使ううちに話し方が変わり、考え方が変わり、最初はぎこちない言葉遣いも、使ううちにやがてその人の話しぶりとなっていきます。

『言葉の地層』p.172

英語を学ぶことが、わたしにどんな影響があるのかやはり興味があります。というのも、英語を話すとき、心なしか違う人格になったような気がするのです。抑揚や表情筋、使う程度や、脳の使い方など。おおざっぱに言うと、全体的にすごく「シンプル」になります。そうならざるを得ないというのもありますが。でも、きっとこれまでのちょっと複雑化しすぎた言葉の地層がいい感じにすっきりするんじゃないかという期待があります。

シンプルにシンプルに。力みや恐れのない軽やかな声になれたらいいなあなんて思ってます。


2024年1冊目の感想文は、ひとまずこんなところで。
今週から重い腰をあげてようやく始めた英語の勉強と並行して読むことで、英語の勉強のモチベーションも何とか保たれる、というありがたい伴走本となってくれました。どうにか三日坊主にならず毎日勉強を続けているし、週で10時間くらいの勉強時間に達しそう。頑張った!!!やっぱり本はいいね。


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