Cage. #4【帰宅】

神田和泉町にある橘香のアパート。
ネイルを塗りながらテレビを見ているのは、ルームメイトの『立花(たちばな) 美咲(みさき)』

立花「なんなの? この女ムカツク! 絶対引いちゃダメよセーラ… そうそう! その調子。ガツーンと言っておやりなさいガツーンと… オーマイガッ! 何よこのビッチ! まるで悪魔ね。プラダの皮を被った悪魔よ! プラダ・スキン・ディック! あら失礼デビルの間違い…え? 終わり? マジで!? ホント海外ドラマってアレよね、毎回毎回肝心なとこで… やーだ! っとにもーワタシったらまんまと制作側の罠にハマってるわね」

玄関の扉が開く音。

立花「キッカ~? アンタ遅いじゃないのよ。仕事昼までじゃなかったの?」

力なく部屋へ入ってくる橘香。

橘香「ただいま」

立花「いくら気ままなルームシェアって言っても連絡くらい寄越しなさいよね」

橘香「うん、ごめんね咲ちゃん」

立花「もう、待てずに全部見ちゃったわよDVD。小公女セーラ。あんたも早く見なさいよ? アタシ話したくてうずうずしてんだから。…どしたの? 疲れた顔しちゃって。あーひょっとしてアレ? 通り魔事件に駆り出されちゃった?」

橘香「…………」

立花「あっちゃーやっぱり? お昼過ぎに起きてテレビつけたらもビックリ! どのチャンネルもやってたわよーテレ東以外。で、どうだったの? 現場突入して犯人と対決! なんてやってないでしょうね?」

橘香「…………」

立花「オーマイ! あれほどアブないことに首突っ込まないでって言ってるのに!」

橘香「どうしてわかったの?」

立花「アタシの嗅覚ナメないでくれる? 女の勘よりオカマの鼻よ! 射すを願うは陽の光、だのに差される後ろ指、報われないのが運命(さだめ)なら、いっそ気ままに咲いて散る。照らして下さいお月様、貫くわが道オカマの花道! それでは聴いて下さい立花美咲が唄います『恋してエルニーニョ!』チャチャラチャラチャラ♪ あやっべ仕事の支度しなくちゃ!」

両手をオペ前の医師のように前に挙げ、つま先を上げてかかとで歩きながら自室へ戻る立花。
それを見送って少し口元に笑みを浮かべるも、ため息をついてその場に座り込みソファに突っ伏す橘香。
さっきの動きを巻き戻すように後ろ歩きで戻ってくる立花。

立花「ねえキッカ~、アタシが前にあげたエッシーのトップコート、アレまだ残ってる? …ってアンタ大丈夫?」

橘香「うん、ちょっと色々あり過ぎて疲れちゃった。えっと、なんだっけ?」

立ち上がった橘香の頭を両手で挟む立花。

立花「無理しちゃダメよ? 熱は?(ヘッドバット気味に額を合わせる)…あ~ちょっとあるかも。ていうか服濡れてるじゃない! 髪も、ほら~! お風呂で体あっためてきなさい。アタシシャワーしか使ってないからお湯綺麗よ。あ~でも追い焚きしなきゃ…」

風呂場へ向かう立花。

橘香「ありがとう」

立花「上がったら湯冷めしないように着込むのよ? デロンギのオイルヒーター貸したげるから部屋もあったかくして。そうだ、アレあげる! やずやのにんにく卵黄。効くわよ~」

橘香「咲ちゃんお母さんみたい」

立花「うるさいわね。ママって呼ばれるのは店だけで充分よ。明日は?」

橘香「ん、休み」

立花「あらそう、ちょうど良かったわね。ゆっくり寝られるじゃない」

橘香「そうも行かないんだ~。色々やることがあってさ~」

立花「なあにそれ~? 後回しにできないの?」

橘香「できないと思うなあ」

立花「明日昼間なら手伝えるわよ?」

橘香「いいって。身内のあれだから」

立花「何よ? 法事とか?」

橘香「まあ、法事って言えば法事か」

立花、風呂場から戻ってくる。

立花「5分で沸くわ。支度しなさい。なんだかはっきりしないわね。あ! ひょっとしてお見合いとかじゃないでしょうね? オカマの嗅覚では男の匂いは検出されなかったけど」

橘香「違うって。お通夜とかお葬式の手配しなくちゃなんだ~」

立花「え?」

橘香「お父さん… 死んじゃった」

立花「…………」

橘香「自殺かも知れなくって。まだ警察病院で遺体の検査中。早くても返してくれるのは明後日になるって」

立花「知らなかった」

橘香「いいのいいの。咲ちゃんにお父さんの話とかしてなかったし。それに高校卒業して家出てから一回しか会ってなくってなんか実感ないっていうか…」

立花、真剣に考え込んでいる様子。

橘香「ちょっと咲ちゃんそんな深刻になんないでよ! 大体さー、家にいる時だって将棋ばっかでほとんど喋んなかったし、まあ親子だからあたしはお父さんが何考えてるか大体わかるけどでも、親子なのにお父さんなんか気ぃ使ってるように思えて、あたしはそういうのがすごくイヤで」

立花「キッカ」

橘香「だから高校出てすぐ一人暮らし始めたの。別にお父さんのこと嫌いだったわけじゃない。お父さんの方があたしを嫌ってたんだ」

立花「そんなことあるわけないじゃない」

橘香「あるんだって。あたしが5歳の時にお母さんが病気で死んじゃった。あたしを産んでからずっと体調が悪くって結局そのまま… あたしは小さかったしあんまり憶えてないけど、お父さんあたしがいるとお母さんのこと思い出しちゃうのかなって。それにあたしが生まれてこなければお母さんだって死なずに——」

立花「キッカ!」

立花、橘香が言い終わる前にチョークスリーパーをかける。
タップしてもがく橘香。
男言葉で話し始める立花。

立花「そりゃあこんな世の中だ。親子の絆を見失ったバカな人間も中にはいるさ。でも橘香の親父さんは違う! そんな事も分からないくせに女の勘がどうだとかエラそうな口を叩くんじゃない! …あ、しまったやり過ぎた!」

途中で意識を失ってしまっている橘香。
立花、橘香を座らせて背中に膝を当て、活を入れる。

橘香「うっ…」

立花「キッカごめん大丈夫?」

橘香「あれ? あたしどうしたんだろ?」

立花「え! 憶えてない?」

橘香「一瞬、夢見てたみたい。お父さんがいた。その隣に若い女の人。たぶんお母さん。川の向こうで仲良さそうに笑ってた。どこだろう? お花がいっぱい咲いててきれいな川だった」

立花「リバー・オブ・三途!」

橘香「二人のとこに行こうとしたら、いきなりヒョードルに捕まってチョークスリーパーされ… 待って、なんか思い出しそう…」

立花「無理しないで! 疲れてるのに興奮して喋るからのぼせちゃったのよ。今日はもう考えるのはやめて休みなさい」

立花、携帯で電話をかける。

立花「もしもしアイちゃん? ごめんねアタシ今日急用で出られそうにないの。ユウちゃんがもうお店開けてるはずだから、悪いんだけどできるだけ早めに行ってくれる? …ありがと助かるわ~。まあどうせ雨だし、お客さん来なかったら早く閉めちゃっていいから。…うんよろしくね。じゃ」

電話を切り、橘香の隣に座って頭を撫でてやる立花。
立花の肩に頭をのせる橘香。

橘香「…思い出した」

立花「えっ!?」

橘香「あたしのお父さんプロの将棋指しでさ。小さい頃、お父さんの将棋の相手がしたくって、一生懸命本を読んで憶えようとしたのね。あたしが相手できればお父さんずっとうちにいられるって思ったのかな」

立花「ああ、なんだ小さい頃の話ね」

橘香「将棋会館の前にある神社でお父さんの対局が終わるの待ちながら本読んでた。でもお父さんの持ってた本だから難しくてさー。全然わかんなくって泣きそうになってたら知らない女の子が話しかけてきて、将棋好きなのかって。まだルール覚えてないって言ったら、どっからか将棋盤と駒を持ってきて教えてくれたんだ」

立花「へ~すごいわね。アタシなんか今だによくわかんないわ」

橘香「その日から、神社に行くといつもその子がやって来て将棋を教えてくれた。っていうか全部実戦で習うより慣れろってカンジだったけど」

立花「強かったの? その子」

橘香「そりゃこっちは初心者だし。毎回手加減なしでメタメタにやられてた。けどやってるうちに段々相手が次どうしようと思ってるかなんとなくわかるようになってきて」

立花「…なるほど。そこでアンタの勘が鍛えられたのかもね」

橘香「たぶんそうだと思う。それで半年後くらいかな?その子に初めて勝てたのは」

立花「すごいじゃない!」

橘香「あたし嬉しくって。早速その夜、お父さんに将棋しようって言った。ビックリさせようと思ってそれまでのことはずっと内緒にしてたのね。お父さんちょっと驚いてたけどすぐに将棋盤を出してきてくれた。駒を並べながらお前わかるのかって聞くから、うんって答えたら、そうかって一言だけ。怒ってるみたいな顔してたけどなんだか嬉しそうに見えた」

立花「そんなの嬉しいに決まってるじゃない」

橘香「結局歯がたたなかったけどね。お父さんがどう打とうとしてるか必死で探ろうとしたんだけど全然わかんなくってさ。そのうち頭ん中がグルグルしてきて、気がついたらベッドに寝てた。目を開けるとお父さんすごく心配そうな顔で覗き込んでて。大丈夫か? 気分悪くないか? ってしきりに聞いた後、ゴメンなって言って泣いてた。大げさだな~って思ったけどでも、あんなお父さん見たことなかったからなんかちょっと、嬉しかったんだ…」

橘香、話の途中から涙を堪えている。
立花、橘香の頭をそっと片手で抱き抱える。
橘香、立花の膝に突っ伏して号泣。
雨の音が橘香の鳴き声をかき消していく。

暗転

§

Cage. #5 【張り込み】へ続く

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