Cage. #1【事件】

雨の降る午前11時過ぎ。
万歳橋警察署内休憩室。
気怠さを持て余すようにトランプに興じる男女2人。

男は万歳橋署交通課課長「小堺 周平(こさかい しゅうへい)」警部。
女は刑事課「相澤 橘香(あいざわ きつか)」警部補。

お互いに広げた手札からカードを引き合う二人。
どうやらババ抜きをしているようだ。

小堺「じゃあ例えばだ。キッカ、お前がある犯罪の被疑者として俺に逮捕されたとしよう」

橘香「ええ!?」

小堺「あともう1人、共犯と思われる男……ええとそうだな、上山でいいや。2人は同時に捕まった」

橘香「イヤですよ! 何であたしが師匠に逮捕されなきゃなんないんですか? しかも上山さんと共犯だなんて死んでもムリ」

小堺「署内じゃ師匠って呼ぶな。例えばの話だ黙って聴けよ……俺はお前らに余罪があると踏んだ。手っ取り早く吐かせるためにそれぞれ別の部屋に入れて、ある条件を伝えた。もし2人が余罪について黙秘したままなら2人とも懲役2年、片方だけが自供すればそいつは1年に減刑で、黙秘していた方にはガッツリ15年、2人ともゲロった場合は仲良く懲役10年だ。さあ、お前はどうする?」

橘香「……ていうか課長、なんであたしの質問に対して質問で返すんですか?」

小堺「お前のその可愛らしいハムスター並の脳みそにも解りやすくしてやってんだよ」

橘香「ひっどいなもー! ……えーと司法取引制度は日本にはないので」

小堺「めんどくせーコト言うなよ例え話だっつってんだろー?」

橘香「だって課長がそういう難しい問題出す時って引っかけ問題が多いじゃないですか。こないだなんて3択問題だと思ったらその中に答え無かったし」

小堺「勝手な思い込みと適当な思いつきで行動すんなってコトだ。お前は勘に頼りすぎなんだよ」

橘香、最後の1枚を小堺の手札から抜いた1枚と合わせてあがる。

橘香「あたしの勘、外れたコトないですから。課長のは負け惜しみの嫌がらせにしか思えないんですけど?」

小堺「いちいちうるせー女だなー。いいから早く答えろって。話が全く進みゃしねぇ…」

橘香、トランプをまとめながら答える。

橘香 「(溜息)……えーと、黙ってればぁ、良くて2年悪くて15年。供述すれば、良くて1年悪くて10年。じゃあ喋っちゃったほうが得じゃないですか?」

小堺「その通り。簡単な比較の問題だ。しかしキッカ、相手の出方について考慮はしたかー?」

橘香「相手の出方?」

橘香、トランプをタロット占いのようにめくっている。

小堺「別室の上山がどういう選択をするか。お前それを計算に入れてないだろ?」

橘香「あ! ……そうか、上山さんも同じように考えてたら悪い方の目しか出ない」

小堺「そういうコトだ。それぞれが自分の利益に最適な解を求めると必然的にそうなる。じゃあ利益の視点を個人から全体に置き換えるとどうなる?」

橘香「全体の視点? どういうことですか?」

小堺「もう一回各パターンでの懲役年数を、今度は二人の合算で出してみろ」

橘香「えーと……二人とも黙ってれば合計で4年、片方がしゃべれば16年、二人ともしゃべったら20年。あ、さっきと逆だ。黙ってる方が一番得……」

小堺「そう。全体で考えると黙ってるのが最も得策だ。しかし実際はなかなかそうはならない。大体の場合において人は自己の利益を優先させようとするからな。現実でもこういうシチュエーションは結構あるもんだ。お前が入りたてのとき担当だった違法駐車なんかはその最たる例だなー。 “自分ひとりだけやっても” 、“自分ひとりくらいやらなくても” ……で、何だっけ?」

橘香「は?」

小堺「お前の質問」

橘香「あ、えー、これだけエコだなんだっていろいろ騒いでるのにどうして地球温暖化が止まらないのかって」

小堺「さっきのが答えだろうな。自分ひとりってのが、うちの家・うちの会社・市区町村都道府県、しまいにゃ国単位まで大きくなって……」

橘香「みんなで取り組めば効果が出るのに」

小堺「誰だって正直者がバカをみるなんてのはゴメンだろう? 結果、誰にとっても最悪の状況に陥ってしまう」

橘香、トランプを乱暴にまとめ、机に置く。

橘香「あーやだやだ、人間ってほんっとサイテー。他人を出し抜く事ばっかり考えて。上山さんなんか特にそう! 刑事としての正義感とかこれっぽっちも持ち合わせてないんだから!」

小堺「まああいつはあいつなりに信念っていうか哲学みたいなのを持ってる。それに出世とかにゃ興味なさそうだし」

橘香「ただの変人じゃないですか! 合法的に人をイジメたいだけなんです。ドSですよドS! しかもオヤジギャグ連発でサムいったらありゃしないイタイタイタイタイタイ! ちょっと誰?」

橘香の背後に現れた男は、刑事課「上山 忍(うえやま しのぶ)」警部補。
橘香の両耳をつかんで持ち上げる上山。
たまらず立ち上がる橘香。

上山「ドSの上山どえーす」

橘香「ぎゃーーーーーー!」

耳元でオヤジギャグを囁かれ身震いする橘香。
上山の手を振り払って離れ、小堺の後ろに避難する。

上山「なに油売ってんだ相澤」

橘香「売ってません! ししょ、いや課長と社会問題についての熱い討論を」

上山「小堺さん、弟子甘やかしたいなら交通課に返却しますから署長に言って下さいよ。こいつは刑事課にゃ向いてない」

小堺「まあそういうなって。剣道の腕は俺が保証する。それに勘もいい。お前にくっついて刑事のイロハを勉強すりゃ化けるかもしれないぞ?」

上山「確かに逃げは上手ですがね。臆病なだけですよ。ウサギと一緒だ」

橘香「そのウサギちゃんに負けたのは誰さんでしたっけ?」

上山「負けた覚えはないな」

橘香「試合放棄で反則負け」

上山 「お前が守ってばっかりだから積極的戦意に欠けると見做したんだよ。ガタガタ言ってないで早く来い」

橘香「え? なんですか? もしかして……」

上山「臨場(りんじょう)だ」

橘香「ああーーーー! あと1時間で上がりだったのに~!」

上山「さっき刑事としての正義感がどうとか聞こえたが、気のせいか?」

橘香「う!」

上山「固まってないで動け馬鹿。刑事課の連中はみんなもう出張(でば)ってんだぞ! 大輔は?」

橘香「あ、今日代休取ってます」

答えながらも椅子にかけてある上着を取りにいく橘香。

上山「使えねーなー。交番勤務(アヒル)に戻すか」

小堺「岩本町の彼? えーと……」

橘香「岡嶋くん。交番から上がって来て2ヶ月は経つのに、未だに「本官は」とか言ってますしね。ていうかバカボンのお巡りさん以外で使ってる人見たの初めてかも」

上山「いいから早くしろ! 事件はまだ進行中なんだぞ!」

小堺 「何の事件(ヤマ)だい?」

上山「通り魔ですよ」

一瞬、空気が凍りつく。
顔つきの変わった橘香。

橘香「 現場(げんじょう)は? どこですか?」

上山「バンザイカメラ。目と鼻の先だ。車出すより走った方が早い。急げ! ……あ、小堺さん、もしかしたら道路封鎖とかで交通課が出張る必要が出てくるかも知れない」

小堺「わかった。態勢は敷いとくよ」

上山、頷いてさっさと外へ向かう。
慌てて椅子に掛けた上着をつかんで追う橘香。

小堺「キッカ、気をつけろよ!」

橘香「了解、師匠!」

橘香、振り向き様に敬礼して飛び出す。
手をふり見送る小堺。

小堺「あっ!」

小堺、椅子から立ち上がり、橘香を追って出口まで小走りで移動する。

小堺「師匠って呼ぶな! 課長だ!」

戻ってくる小堺。
橘香が上着を架けていた椅子に拳銃の収まったホルスターを発見し手にとる。

小堺「あのバカ!」

転換

§

Cage. #2【現場(一)】へ続く

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