言語的思考と視覚的思考
言語的思考と視覚的思考
みなさんはこの言葉を聞いたことがありますか。
わたしはビジュアルシンカーの脳という本を通して先日この言葉を知りました。
思考する際に、言語を用いるか、絵や写真などのイメージを用いるかの違いだそうです。
この言葉を聞いたとき、わたしはどちら寄りなのだろうと考えました。多くの場合、スペクトラム的になっているのだとか。
たぶんわたしは、視覚的思考寄りの言語的思考者だと思います。基本的に多くのことを言語化して理解しますし、その方が分かりやすいです。また、他者の考えを知るときも言語化されたもののほうが理解しやすいです。
しかし
大麻を吸っていたときはどうでしょう。
視覚的思考にかなり寄っていたのではないかと思っています。
以前の投稿で、絵を描くことが楽しかったや、運動能力が上がった気がしたと書きました。
当時描いた絵について、今のわたしが言語化して説明することは一応可能で、そのことに関する投稿もあるのですが
当時のわたしの思考そのままを理解することは、今のわたしにはできません。とても抽象度が高く、概念的であるからです。
また、視覚から得た情報を今のわたしよりもより精密に処理することもできていたと思います。(それでも完全な視覚的思考はできていなかったと思います)
たとえば、当時なにかに登ることが好きだったのですが
木や、都会のビルの側面などを見てわたしは「線が見える」とよく言っていました。今のわたしからすると本当によく分からないのですが、この出っ張りを掴んで、そこに足をかければ、その上の何かに掴まれる、そしたら次は..
みたいな、正確な順序と身体の動きが線になって見えていたような気がします。実際わたしは、結構どんなところでも登れました。
現在のわたしにできないわけではないですが
やはり言語的思考に寄っているため、絵も完全に言語化できるものしか書けないですし
登るにしても、どうしてその順序でその身体の動きになるのか
言葉にできないと、なかなか登ろうとは思いません。
登るのは今でも好きですが、言語化する気力を使う必要はないのではと思っています。
また、視覚的思考は右脳を使うらしいのですが
それなら当時「右脳が全開だ」と言っていたことも、説明がつきそうです。
でもそれは、わたしの思い込みの強さや、世界は自分が作っている論からきているもので
シラフでもそうなろうと思えばなれるのだと思います。
なってないということは、本来わたしは言語的思考のほうが好きなのだと思います。
それから、この社会で生きるにあたって言語的思考者がかなり有利なのだとか。だからわたしはそちらを選択しているのだと思います。
視覚的思考者には天才が多いらしく、現代の教育の方針でふるい落とされているそう。
わたしの周りにも、視覚的思考寄りなのかなと感じる人が何人かいます。視覚的思考には、物体視覚思考と空間視覚思考のふたつがあるのですがどちらも、います。完全に偏っているわけではないけれど、かなりそちら寄りだなと感じる方。
追記
みなさんこのクイズの答えはすぐに出ますでしょうか。
こたえは①たこやきなのですが
私はこたえをみても、あまりピンときませんでした。
しかし!!わたしが視覚的思考者なんだろうなと思っている友人にこのクイズをしたところ
すぐに「たこやきやろ」と言われました。
なぜかと訊いたら「あたりまえやん、丸いねんから」
と言われました。
わたしはこの時
自分はやはり言語的思考者なんだ..と痛感しました。
たこやきと聞いてわたしが浮かぶのは
大阪、ソース、船、あつい、タコ、なんでやねん、銀だこ
などの単語で
たいやきと聞いて浮かぶのは
さかな、あんこ、カスタードクリーム、お祭り、和風
などの単語です
しょうわくせいと聞いて浮かぶのは
彗星、砂、石、流星、重力
などの単語です
たこやきとしょうわくせい
たいやきとしょうわくせい
どちらにもなんの共通点もなく、本当に意味が分かりませんでした。それに小惑星は、あんまり丸くないことが多いし。
しかし、その友人は小惑星を球体の絵として思い浮かべたのちに
たこやきとたいやきを絵として思い浮かべたのだと思います。
このクイズはなかなかいいなと思いました。
これからの判断に使おうと思います。