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ハバナのひとよ⑦

『あたしバカよね🎶 おバカさんよね🎶』

と、細川たかしは唄っているが、全くもってその通りだと思う。
猛省していただきたい。

冒頭より怒りが込み上げてしまった訳は以下に続く…

古着屋訪問を終えた私は、
再度、色男と合流し、札幌の地下でひっそりと営業している「答えバー」に居た。
シングルどころかダブルをゆうに越えるほどなみなみと注がれたアードベク10年のロックをちびりちびりとすすりながら、心地よい音楽に耳を傾けていた。

「あしたどーしましょかァ………」
『そうですなァ…………』

そんな、とりとめのない会話をしながら札幌の夜に身を溶かしていく。
札幌の夜も3日目。
自由に動ける日は明日の日曜を残すのみとなっていた。
いつまでもこれが続くと錯覚していたものが、
有限だということに気づくと途端に寂しくなるものである。

そんな中、突如として店内に藤圭子が流れた。
曲は『新宿の女』。彼女のデビュー曲である。
このドスの利いたハスキーボイスに、私は弱いのだ。こればかりは脳へ直接作用する。
今思い返すと興奮のあまり、気持ち悪いオタク特有のはしゃぎ方をしてしまった。
反省している。

日本歌謡界史上最高峰の歌声を聴き終えたとき、私の気持ちは決まっていた。

「あすは真狩村にいくか。」(は?)

男と簡単に打ち合わせをし、
あすは車を借りて札幌市外へ赴くことにした。


………………………

明朝、
宿泊先のホテルのロビーに男は待ち構えていた。
『どもッス………………』
まるで我が家のように振る舞う彼の佇まいには面食らってしまったことを鮮烈に記憶している。

合流した我々は、
まず札幌といえばの大戸屋で腹ごしらえをした後、
悪戦苦闘を強いられながらもレンタカーを借り、
色男の運転でハバナへ向かった。(亡命?)

やや混雑する札幌市内を抜けたあと、有料道路に乗り換える。
ふだん仕事の上司との同行車内はあれだけ地獄の空間なのに、
彼と過ごした道中はそんなことを微塵も感じさせなかった。

八代亜紀の「おんな港町」を歌っていると、
あっという間にハバナへ到着した。
ハバナで散策、は叶わずだったが、男は勤め先や100名店の幾つかを案内してくれた。
いつの日か、またハバナを訪れた際には
昨年まで存在した伝説の喫茶店跡や、鰊御殿、それに石狩挽歌歌碑を拝みたい。

小休憩を取ったあとは、私の運転で積丹半島へ向かった。

積丹半島へ向かう理由。
勘のいい読者であれば既にお気付きであろう。
当然ウニなどではなく、積丹に現存する老舗・裏風俗店である。
かつてニシン漁で栄えたこの地。
肉体労働で激しく身体を消耗した男たちを癒す場所があることは疑いようもない。

ハバナから余市を通過し、海岸線で車を走らせる。
途中、みえる景色をすべて覆い尽くすような海鳥たちの群れが私たちを出迎えてくれた。
歓迎の意を込め、かもめ町・港町/五木ひろし を歌ってあげたが、海鳥たちには届かなかったようだ。

ほどなくして、積丹へ到着。
観光案内所に車を停め、我々は調査を開始した。

ここもかつての遺構だろうか(クソ失礼)

引き寄せられるように港へと辿り着いた。

海猫が泣くから鰊がくると 赤い筒袖のやん衆がさわぐ…

港には、やん衆すら居なかった。
その後もくまなく町を歩いて回ったが、
営業中との噂の店は見つけることができずに終わった。
もしかすると、
我々の訪問前に摘発を受けてしまったのかもしれない。
そう信じこむことしか出来なかった。

温室のような観光案内所で
レンチンおやきを胃に詰め込んだあとは、
早々に積丹を離れ「真狩村」へ向かうこととした。

積丹から車で約2時間と思うと気が乗らないが、
それでも尚、私たちを駆り立てるものは何か。

そう、真狩村出身の英雄・細川たかしに関連することである。
民謡でならしたこぶしと、伸びのある高音を武器とした彼は、
若い頃はすすきののクラブで頭角を表し、
「札幌の森進一」との異名を付けられていたらしい。
札幌から上京した彼は「心残り」で鮮烈なデビューを飾り、瞬く間にスターダムへとかけ登った。

肝心なのはここから。

歌手として一代にして富を築き、
真狩村の英雄として讃えられた彼は
故郷の村に性風俗が存在しないことを憂い、
多額の財産を投入し、特殊浴場を設置した。
彼なりの、育ててくれた地元への恩返しなのだろう。

表向きはスナックとして運営されているが、店頭の椅子に座る老婆にとある合言葉をかけると、
手招きをされ、地下の浴場へと案内される。

DMでいただいた唯一のタレコミを手掛かりに、私たちは山道を飛ばしていった。

道中は私のLINE MUSICプレイリストから流れてくる曲を歌ったり、
夜のヒットスタジオの番組冒頭メドレーで玉置浩二が中森明菜のサザン・ウインドを歌うときの物真似などをして過ごした。(これ誰に伝わるんだよ)

辺りが夕暮れ色に染まりだす頃、
我々は雪多く残る真狩村へと到着した。

嫌な予感しかしない。

足を踏み入れると短靴ではまるまる埋まってしまうような雪深い道を歩くとそこには


おい………………………

全てがビニールシートで覆われた細川たかし像が我々を出迎えてくれた。

考えてもみれば、雪による被害を抑えるべく、
なんらかの処置がされていることは想像できたが、
まさかこれほどまでとは予想だにしていなかった。

冒頭で私が怒りを露にしていた理由がお分かりいただけただろう。

その後の散策でも、結局、細川たかし記念特殊浴場は見つからなかった。

細川たかしは真狩村に何を残したのだろうか。
我々は理解に苦しんだ。
彼は故郷・北海道を捨て、東京の男になってしまった。
そう理解することでしかやるせない気持ちを落ち着かせられなかった。

その後は陽も暮れていたので、
レンタカーを返却しに、札幌市内へと車を急がせた。
市内へは、またしても車で約2時間ばかりを要した。
時間が経つごとに細川たかしへの怒りが込み上げてきた我々は「細川たかし被害者の会」を結成したが、
道中、我々の共通の知人である極上の女性たちへ想いを馳せたり、
最終日である明日のことや、すすきのの百名店たちについて語り合った。

不完全燃焼ながらも長時間のロング・ドライブですっかり疲弊しきった我々は、
レンタカーを返却したあとに、すすきのの居酒屋で海鮮に舌鼓を打ち、
彼が案内してくれたバーでマティーニをいただいたりした。

男と細川たかしへの鬱憤を煙と共に吐き出した

『ほな…』

日付が変わる前に彼と簡単な約束をし、解散した。
あすは泣いても笑っても、北海道最終日。
3日間濃すぎたが、まだ私は満足していなかった。

それは彼の百名店レビューがまだだったからである。
彼の渾身の『どもッス…』を聞くまで、静岡には帰れない…。
そんなことを考えているうちに、
私はコ↑コ↓ホテルのベッドで眠りに落ちていた。







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