見出し画像

熊本の夜①

『2軒目は飲みませんか?───、』
彼女からの一言に、正直驚いた。
ひさしぶりの再会を喜ぶなんて書き方をしたが、ぼくと彼女が実際に会うのは片手の指で足りるくらいの回数だった。
ただ、信頼をおける関係性を築き上げるにあたって、大学2年間で彼女とSNSでやり取りした時間は濃密で充分すぎるものだった。
そんな彼女に連れられ、地下喫茶を脱した。
地上に出ると辺りは暗くなっていたが、熊本の夜は、我々の行動など気にならないほどに賑わいをみせていた。
『煙草買っていいですか?睡眠障害さんが吸っていたら、私も吸いたくなっちゃって』
ぼくは声にださずコクと小さく頷いた。
健康志向だという彼女は、ラークのメンソール5mmを得意気にみせてきた。
ぼくは「買っちゃったなら仕方ないな、もくもくタイムしようか。」と応えた。

二次会の会場は、彼女が煙草を買ったファミリーマートからほどなくだった。
階段を上るとそこに、小綺麗な居酒屋があった。
『この間はお世話になりました、麺職人です』
開口一番そんなことを言い出す彼女に思わず笑ってしまったが、それよりも彼女が熊本で「心を許せる場所」を作っていたことに安堵した。
『大学時代にお世話になりまして』と、彼女は私のことを大将に紹介した。
大将は、はぁ、そうですかと言ったが直後に『◯◯ちゃんの紹介なら変な人だね』と続けた。
ぼくも笑って「ハードルが上がりますが、まぁ、そんなところです」と返した。
着席したときは我々2名、その後、常連らしいうるさいアラフォー女が2名来店し、ひたすら「男は乳がデカければいいのか」とくだらない話を延々としていたが、それよりも彼女の5年間に興味があったので、雑音として耳が処理した。

料理がうまいと彼女から紹介されたこの店では、シマアジのごま和え、あげ銀杏、里芋の唐揚げなどを適当に頼み、ぼくは九州らしい焼酎、彼女はレモンサワーを頼んだ。

お酒が入ると、彼女はさらに饒舌になった。

今まであまり私に話さなかったが、
熊本では最初のころ馴染めずに苦労したこと、
だが、今ではこうして通う飲み屋ができたこと、
また、それぞれのお店を橋渡しの役目とみんなの相談役を担う「熊本での姉」の存在ができたことを語ってくれた。
嬉しそうに語る彼女をみて、ぼくは心の底から満ち足りた気持ちになった。
互いに大学で同じ立場に立ち、互いに拘りが強いゆえ、人間関係でうまくいかなかった過去を知っていたから、そんな彼女が心の拠り所を遠い熊本の地で見つけてくれたことが本当に嬉しかった。
異性ではあるし、当然のことながら可憐な彼女ではあるが、先に述べた大学での共有体験もあり、我々は友達の関係。
今以上、それ以上(安全地帯)はこれからも何もないし、ほくも彼女とは友人関係を維持していきたいと切に願っていた。
そもそもが、私風情が女性とお茶をするところから始まっており、身分不相応な立ち振舞いだ。熊本の夜風に当たらなくとも、それを理解するには冷静だった。

酔いは徐々に深まりながら、
彼女とは「親との話」だとか「彼氏との話」など、想像以上にプライベートな話まで踏み込んでしまった。
自分はそういう話はセンシティブだと、自分から切りださないよう心掛けているが、彼女が少し、自分を信頼してくれているかのようだった。
親から離れてうまくいっていること、
仕事を変えたばかりで大変だが少しずつ軌道にのっていること、
彼氏とは結婚するつもりはないが、良い関係性でやれていること、
を教えてくれた。
ぼくは「うんうん、それでそれで?」と相槌をいれながら、長崎出身の大将と共に彼女の話に聞き入った。

夜も更けるころ、
彼女は『次のお店、バーなんですけど早めに開けて貰いますね。いまから予約の電話をいれます』と言い出した。
ぼくは、おいおい、それは想定していない。と思った。
彼女は熊本市街地から遠くはなれた市に住んでいることを知っていたし、送迎ドライバーである彼氏くんが今この時間帯も熊本市街地で待機してくれていることを知っていたからだ。
「もうぼく飲めないよ」
冗談抜きに顔がすぐ赤くなるぼくは、必死に顔をみせ、アピールしたが

『私の本当にお世話になっているお店で、そこの人に会ってほしい』

そう懇願してくる彼女の強い言葉に屈服してしまった。
そして、会計でも『浜松土産いただいたのに、私は何もお土産わたせなかったから』と
彼女に全額払わせてしまった。

想定していなかったことが次々と起きることに恐怖を感じ、
彼女にひかれ、連れていくバーの扉が重かった、
この扉の先で、何が起こってしまうんだろうと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?