歯ブラシで奥さんが窒息しかけた話
先日の夜、いつものように寝る前に歯磨きをするため、洗面台へ行った。
何も考えずに自分の歯ブラシを手に取り、歯磨き粉をつけて、歯を磨き始めたのだが、奇妙な違和感があった。だが、それが何かは分からない。
口の中を一通り磨き終えた頃、ようやく気付いた。
目の前の鏡に張り付けている歯ブラシホルダーに自分の歯ブラシがあったのだ。
では、今使っているこの歯ブラシはなんだ?
その直後、浴室で洗濯物を干していた奥さんが叫んだ。
「あーっ! それ、なっちゃん(※次女)のウンチこすったやつだよ!」
そこで全てを悟った。まず、僕が咥えていたのは、使い古した自分の歯ブラシだった。現在は洗濯物の落ちにくい汚れをこすって落とすために使われている。
落ちにくい汚れとは、醤油やケチャップの染み、油汚れ、そして子供のパンツによく線状に残っているウンチの筋、通称“うんすじ”などだ。ほかにも、お風呂の排水口のフィルターや洗濯機のフィルターの汚れをこすり落としたこともある。
なんで、そんなものに使う歯ブラシが、無意識に手に取ってしまうような、すぐ手元に置いてあったのか。普段は、万が一にも間違えないように洗面台の端の牛乳パックで作ったペンスタンドに立てかけられているはずだ。
そして、思い出した。夕飯前に娘がアイスチョコバーを食べていた時、不用意に母親に近づき、溶けたチョコを彼女の服に落としたのだった。
あの時、僕はすぐに奥さんの服を脱がせ、使い古し歯ブラシでチョコの汚れをこすり落とした。
その後、使い古し歯ブラシはそのまま置きっぱなしにしていた。何のことはない、不幸な偶然でも誰かが仕掛けた罠でもなく、手に取るきっかけを作っていたのは僕自身だったのである。
以上の事を、奥さんの叫び声から0.5秒で把握した僕は、次の瞬間、猛然と口をすすぎまくっていた。
それを見ていた奥さんは、心配してくれていたかというと、横で爆笑していた。
むしろ爆笑しすぎて、息をしてなかった。
正確には、笑う時に吐く息が絶えず続き、それを自分でコントロールできないため、息を吸うことができてなかった。
「ちょっ……!、ウヒャ!……待って……!、ハハッ……息が……ハフッ!……できない、ヒャーハッハッハッハ!」
ひとしきり笑って、ようやく収まったように見えたが、今度は思い出し笑いという波が、第2波、第3波と寄せては返し、彼女の呼吸を奪い続けていた。
夫の不幸を笑う奥さんに”愛憎”という感情が久しぶりに湧いたので、ちょっと大げさに叫び声を上げたり、口をすすいだりしてみると、さらに笑いという名の蟻地獄にもだえ苦しみだした。
溜飲も下がったので、最後は良い頃合いで落ち着かせたが、僕がウンチ歯ブラシで歯を磨いた現実は覆せない。
直前に落とした汚れがチョコだったという記憶が、せめてもの慰めだ。
その夜、布団の中で「腹痛を起こしてO157とか検出されちゃったら、保健所になんと説明しようか」と考えていた。
「ウンチ歯ブラシでうっかり歯を磨いてしまったのが原因かもしれません」なんて絶対言えない。
(結局、何ともなかった)
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