見出し画像

ポケットの中の貝殻

姉夫婦と平戸までドライブに行ってた母が、帰ってくるなり、
上着のポケットからティッシュの包みを出してきて、テーブルの上で開いて見せた。

ティッシュに包まれていたのは、
小さな小さな貝殻と珊瑚のカケラだった。

一瞬私は(ぇぇぇ~、そんなちっっちゃいの拾ってくる〜w?)って笑いそうになったけど、母は嬉しそうに「こがんとしか落ちとらんやったとよ〜」と言いながら、小さな貝殻を手のひらの中で転がして見ている。
・・・まるで少女みたいではないかっ😳😳😳

不意に母のそんな一面に出くわして、私は内心、ドキッとして見て見ぬふりをした。

「母」じゃなくて、素のまま、ありのままの存在の光を見たような気がした。

来月で84歳、体力的には下り坂にさしかかり、
今までできていたことができなくなることも多くなってきた。
ともに過ごせる時間のことも、正直いつだってチラチラしている。

だけど私は”老病死”の不安よりも
いつもこの人の存在の光が見たい。
不自由な体を通り越して見たい。
「私はそれが見たいです」ということ即ち
光の方を常に向きます、と宣言することが祈り(=意宣り)なのだと知った。
ほんとうにそうだ 
それだけが私ができることだな

身体の不自由さは、昨日と比べると増えているのかもしれないけど、
過去と比べないで今日をみれたらいいな。

今できることをともに喜びたい。味わいたい。
それはいつだってできるはず。

まいにちがあたらしい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?