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噴火被害に遭った7日目

2022年1月21日(金)
朝6時頃、子供が寝ている間に旦那とビーチを散歩した
行ってなかった方まで足を伸ばしてみたら、たくさんの人骨が散らかっていた

ビーチ沿いにはたくさんのお墓があったが、津波で壊され、中身が流されてしまったのだ

私たちは出来る限りの骨を集め、砂に埋めた


8:30、まずは私たち家族がリゾートを出発した
ガソリンが入ってる車が1台しか残っていなく、しかもその車はレンタカーだったで、3往復することになる

そのため、早め早めに行動した


船着場の周りにあった建物は全て津波で破壊されていて、写真で見た福島の被災地の光景と同じだった

船はもう着いていて、中に積んできた水や食料などを下ろしていた

船着場周辺はトンガタプ島に行きたい人たちや車でごった返していた


船は行きに乗ってきたフェリーと、一回り大きなフェリーと、ネイビーの船の3隻来ていた

引き潮の時間帯だった為、船着場に着けられず、少し離れた場所に船は待機していて、そこまで小さなボートで移動した

まさにレスキューといった感じだった

係の人に、私たちはネイビーの船に予約している事を伝えたら、ネイビーの船は荷物を下ろすのに夕方までかかるから、フェリーに乗るように言われた

12:18
係員が私たち全員を同じボートに乗り込ませてくれた
そして行きに乗ってきたフェリーに運ばれた
炎天下の中長い間待っていたのでみんなクタクタだったし、子供達もよく頑張っていた

16:30
ようやくトンガタプ島に到着した
途中椅子から落ちるほど揺れたが、誰一人として船酔いせず、全員無事に元気なまま到着できた


国際電話ができるようになったというアナウンスを受けたので、早速チャージして母親に電話した

やはりかなり心配していたようで、外務省に電話を掛けたりしていたらしい

あ、それで自衛隊が安否確認に来たのか
やっと辻褄が合った

電話を切ったあと、すぐに妹から電話がかかってきた

とても心配していて、私の友達とも連絡を取り合っていたらしく、本当に助かった


家に帰ってきたが、火山灰の量はこっちの方が多かった
車が多い分道路の灰が砂埃のように常に舞っていて、窓なんか開けられなかった

電気も水道水も止まっていて、こっちもかなりの被害を受けていた

私たちが留守の間、旦那の両親がうちに泊まっていたので、しっかり掃除されて綺麗になっていた
外のコンクリートや、屋根の灰は全部洗い流されていて、相当大変だったろうなと感謝した

それでも風で灰が家の中に入ってきてしまうので、スリッパを履いているにも関わらず足の裏が真っ黒になるくらいだった

家庭菜園のトマト、バジル、セージ、オルガノ、ヴィ、パパイヤは全滅していた
灰にまみれ、葉が太陽の光を吸収できず、枯れていた

窓ガラスが割れていた
どうやらあの噴火の爆音で割れたらしい
どれだけデカい音だったのかが分かる

そしてその爆音でビックリして心臓が止まってしまったお年寄りもいたと聞いた

耳鳴りのような音が消えない、と言ってる人もいた

噴火は、音で人を傷つけ、津波で家を流し、灰で空気を汚し、生き物を苦しめた

恐ろしい災害である事を自分の身で体験した

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