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『在りし日の歌』中原中也

もしも…もしも本当に「あの世」というものが存在し、この世で亡くなった人と会えるとしたら、あなたなら誰に会ってみたいですか?
私は…何故か会ってみたい人が二人、英国の作家オスカー・ワイルドと詩人の中原中也。両親とか祖父母みたいな身近な人は何故か思い浮かばないのです、罰当たりなことに。

中也の詩に初めて出会ったのは、小学校5年生の時。日記帳の巻末に書かれていた詩や格言の中にあった『月夜の浜辺』でした。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打ち際に、落ちてゐた。

それを拾って、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
  月に向ってそれははふれず
  波に向ってそれははふれず
僕はそれを、たもとに入れた。

『月夜の浜辺』より 中原中也

この詩の何がどうしてよかったのかいまだに上手く説明できません。一つにはリズムがいいこと、それからこのボタンは何かしらインスピレーションを示しているのだろうと勝手に推測していました。

高校の国語の教科書に載っていた『一つのメルヘン』も忘れられない詩です。

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

『一つのメルヘン』より 中原中也

やさしい語り口調ですよね。中也の詩って句点が結構多いんだと入力してみて感じました。水の流れていない川床に一匹の蝶が現れ、去ったあと水が流れ出す…という文字通りメルヘンチックな詩です。これは情景が思い浮かび、表現の美しさに感動ししまいました。
シンガーソングライターの久保田早紀さんが『25時』という楽曲の中で
さらさらとこの身がくずれてしまう などと歌っていたので、絶対あの方、中也のファンですね。

思えば遠くに来たもんだ…で始まる『玩是ない歌』、在りし日の幼い息子との思い出を歌った『また来ん春』、海にいるのは人魚ではない…という『北の海』など名作はたくさんある中で、今回読み返してみて妙に引っ掛かったのが『曇天』という詩。

 ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
 はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆえに。

『曇天』より 中原中也

最初この連だけ読んだ時は黒い旗は「死」を予感するものだと思ったけど、続きを読んでみると少年の頃から何度となくいろいろな場所で目にしてきたそうなのです。ということは「運命」とか「宿命」のようなものかもしれない。しかしやはり「死」の影は着いて回っているように思える。
この本が世に出て間もなく彼は亡くなるので、あながち間違えてもいないように思う。

何故中也にこんなにも思い入れがあるのか自分でも不思議なのだけど、おそらく思春期の一時期、私は彼の詩に恋をしていたのかもしれない。オスカー・ワイルドについても同じことが言える。好きな作家はたくさんいるのにあの世で会ってみたいのは、この二人だけだから。

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