心を開いて

会社でリーダーは何をするべきかという講演があった。繰り返し語られていたのは、胸の内を明らかにし、意思、信念、理想など目標となるものを指し示すこと。そして、自らの理想だけでなく、チームメンバーの意思、信念、理想も汲み取って、両者をすり合わせること。これが大事なようだ。

その路線に沿ったものだろうか。つい先日も会社のスタッフで相互理解を深めようというイベントが行われた。コンテンツはメンバー同士の相互インタビュー、会社の目標に対する自分の目標を語るストーリーテリングの二本立て。

このイベントの意義や必要性については最初に書いたとおり「相互理解のため」という一言に集約できる。メンバー同士が仲良くなれば、仕事はうまくいく。組織として大きなことを成し遂げるにはチームワークは欠かせない。

理屈に異論はないが、イベント自体に参加するのは気乗りしなかった。今まさに抱えている仕事を放っておいて、雑談せよと命じられたような気がしたからだ。しかも、相手は同じ会社にいるとはいえ、話したこともないような間柄だ。そうそう会話が弾むことはない。

イベントのスローガンは「家族になろうよ」というものだった。何かの掛詞になっているのかもしれないが、私には受け容れがたいものだった。家族とは一朝一夕になるものではない。換えのきかない特別な存在だ。深い愛情によってあらゆる有り様を認めている関係だ。そういうかけがえのないものは少しずつ、少しずつ時間をかけて作り上げていくものだ。力任せに金づちで叩きつけて仕上げようとするのは間違っている。そんな風に思った。

では私にとって、どんなやり方が良かったのだろうか。心を探ってみる。

おそらくは、知りすぎないことを望んでいる。誰かと仲良くなるとしても、その人のことをほんの少し。核心だけでいい。細かなことを知りすぎると、どうしても自分と比較してしまう。違いを思い知る。憧れ、羨み、不公平を呪って、心が波立つ。自分が持っているのは歪な宝物だけだ。分かち合えない。分かり合えない。

だからたぶん、心を開くことは難しい。開けばいちいち傷つくし、修繕に時間がかかる。私は、誰かとチームを作るのは、向いてないのかもしれない。



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