主語を大きくしないよう気をつけたい
SNSで色んな方のつぶやきを見ていると、こんなに色んな人の考えに触れられるのってすごいことやなと、ふと気づかされる。著名な人から顔も名前も知らないような人まで、多種多様な価値観に溢れている。そのおかげで、何度も自分の価値観とすり合わせて、更新することが出来た。ほんと、今の時代は言うほど悪くないな~。
と思う一方で、どうしても気になることもある。
それは、「世の中の大半の人は~」という類の文言。「男(女)は~」「若いもんは~」「日本人は~」というのも含まれる。そうした不特定多数の人間を一括りにして決めつけたような発言がどうしても気になる。
この前目にしたのが、「世の中の大半の人は、ただただレールの上に沿って生きるだけで行動を起こそうとしない」という発言だった。趣旨としては、その人は進学や就職といったイベントにただのっかるのではなく、自分と向き合ったうえでベストな選択肢を見つけ出すことが大事と伝えたかったんだと思う。とても大切なことだなと思って見ていたけど、さっきの文言を目にした途端、それまでのありがたみが薄らいでしまった。軽薄はものに思えた。
「世の中の大半の人は~」って言ったりする人がいるけど、果たして世の中のどれだけの人のことを知ってるんだろうか?
その人がくくる「大半の人」の中には、もしかしたら見えないところで行動しているかもしれないし、実は行動し回った末に力尽きてしまった人がいるかもしれない。その行動のしかたは決して人に見せられるほど真っすぐで輝かしいものではなく、泥臭く何度も回り道をしているかもしれない。その結果、結果が出ずに行動していないように見えるかもしれないのに、それを「世の中の大半の人は行動しない」と一刀両断するのはあまりにも軽はずみに思える。
その人は行動の末に答えに辿り着いたから、「行動することが正しい」と思ったのかもしれない。その人がしてきたことはすごいことだし、参考にしたいと今でも思う。けど、だからといって不特定多数を一括りに決めつけた発言をするのは違うと思う。顔が見えないことをいいことに、その不特定多数を土台に自分に光を当てようとするのは極端に思う。まるで、優生思想を聴いている気分になる。
今回のこと以外にも、いわゆる「主語を大きくする」発言や主張は多い。でも、このような発言は多様性を重んじる流れにある今の社会において、危険だと思う。一時の高揚感で誰かをないがしろにするような発言を拡散しないように常に気をつける必要があるなと、今回の一件で改めて気づかされた。
そして、最後に。その人の言う「世の中の大半の人」にこの発言を目にする読者が含まれているということを肝に銘じないといけない。(これは自分もよく覚えておかないといけない)
その読者の中には、大切な人がいるかもしれない。
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