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嫉妬は自分の奥底からの声

前の記事で「嫉妬」について考えていたら、嫉妬っていいなと思い始めた。

「嫉妬」それは、人が人を妬み、羨み、執着する感情。これ以上に人間らしい感情はないのではないかという気がしてきた。

色で言うと、ボルドーのような赤だろうか。肚の下の方から突き上げる赤黒いエネルギー。毒々しい色の大きなユリが頭をもたげるような感じ。

嫉妬は自分を毒して、苦しめる。なんで神は人間に嫉妬という感情を与えたのだろうか。

嫉妬されたら気持ちいいってあるよね。嫉妬されたら人が持っていないものがあるということだ。
だからと言って嫌がらせとかは嫌だけど…。

しかし、この感情を手懐けるのは非常に難しい。

私が初めて狂うような嫉妬を感じたのは、12歳の時、二つ歳下の後輩にコーラス部の公演に出るメンバーの座を取られた時だった。自分は才能がなくて、彼女には才能があるとはっきりわかった。今でもあの時、自分が出られなかった公演の、彼女の後ろ姿と、その時の灼けるような嫉妬を鮮明に思い出す。彼女の着ている服や靴でさえ嫉妬の対象だった。

次は大学生の時、好きだった女に彼氏ができた時だった。駅のホームでうずくまって動けなくなったことを覚えている。なんで自分を選んでもらえないのか。そんなの理由は明白だ。その彼氏の席はわたしがずっと欲しかったものだったのに。

最近では、仕事で活躍している同業者を見ると気持ちが暗くなる。自分が働けてない今は尚更だ。

嫉妬をよく観察すると、自分の直球の欲望が見えてくる。例えば私は「才能」に嫉妬して、才能が欲しくて欲しくてしょうがなかった。それを自然に持っている後輩に嫉妬したけど、それは恋に似ているのかもしれない。そのような人間になりたいという感情。

好きな人の彼氏になりたかった。恋は、「乞い」で、足りないものを欲する気持ちだと言う。

そう考えると、嫉妬は抑圧せず、自分にとってとても重要なことを教えてくれる感情だ。嫉妬がないと人は成長しない。変化したいというエネルギーだ。

ただ、嫉妬を持ち続けるのは苦しい。できればこんな感情は捨てたいと思うだろう。だからこそ、苦しみから逃れるために必死になる。そうすると、嫉妬のエネルギーを活用するには人を引きずり下ろすのではなく、自分を変える方向に使った方が効率がいいということが自ずと見えてくる。

嫉妬を受け入れると、泥の中から真っ赤な花が咲くように、色々な感情と欲望を連れてくる。
自分の奥の奥の方から声が聞こえる。なんと言う人間の業の深さ、愛おしいことだろうか。

その花は、醜く見えても、自分自身の声なのだ。しっかり耳を傾けて、その声を聞くことで、嫉妬を手懐けることができるだろう。

最近何に嫉妬しましたか?と周囲の人に聞いてみたい。

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