ペットが死んだ。

焦げ茶色のトイプードル
飼い始めた当時だとかなりレアなカラー
16年と8月も生きた
大往生も大往生だろう

ビックリするくらい愛想が悪くて、
撫でてやろうと思って少しでも手を近づけようものなら容赦なく噛み付いてくる。
手を近づけるだけでこれなのだから、抱き抱えるなんて流血を恐れていてはまるで出来ない。
尻尾を振って近づいてくるのはこちらが食べ物を見せびらかせた時くらいで、目的の食べ物を得た後は直ぐにいつもの定位置、彼専用のソファに一直線に戻る。
人間が犬に期待する可愛げというものを持ち合わせていない犬
最後に抱いてあげたのはもう何年も前の事だろう。

初めて家に来た頃はもっと犬っぽい犬だった。
初めて買ってやった玩具は確かペンギンの形をした人形だった。
その人形をえらく気に入ってくれた彼は、可愛らしい青色をしたそれが黒くなるまで遊んでくれた。
その玩具は最終的には家の中に置いておくにはあまりにも汚くなったため程なくしてゴミ箱に捨てられた。
当時幼かった自分はそれがなぜか悲しかった。

時間の経過とともに彼の体はグングンと大きくなっていき、平均的なトイプードルのサイズを大きく上回ったところでその成長は止まった。
飼い主としてペットが無地に大きくなってくれる事は大変喜ばしいことであったが、今思えばもう少し小さくても良かったな、なんて意味の無い考えを起こしたりする。なんせ一度気合を入れてからでなくては抱き上げられないほどに大きくなったのだから。

過ぎた成長に関しては多少裏切られた感がある。
だか、昔はそれなりに愛想も良かった彼が無愛想になった理由だけは少し心当たりがある。
両親共働きで、日中は自分も兄弟も学校に行っていたからその間はずっと1人だった。
狭いゲージの中で1人。
犬といえども、幼い子どもにはあまりにも酷だ。
こればかりは、犬だからそんなの当たり前だろだなんて都合良く納得することは出来ない。
この経験のせいで壁が出来たのかもしれない。
見苦しい言い訳だが、はじめてのペットで家族の全員が犬を飼うという事に不慣れだったのだ。
無愛想こそが彼の本質でありのままの彼だったのなら否定はしないが、
もし、もっと近い距離で接する事が出来たなら、仲良く遊ぶ事が出来たならと考えてしまう。

彼が6才の時に新しく犬を飼った。
白い毛が綺麗なトイプードルの女の子。
これをきっかけにゲージを捨てた。
彼が12才になった時にまた新しく犬を飼った。
薄茶色の男の子。こいつもまたトイプードル。
長老の彼を差し置いて、後発の2匹の間には子供が出来た。何匹かは知り合いに譲ったりしたが結局彼合わせて6匹の犬と暮らしていた。
どうかしてる。普通じゃない。
でも、きっと1人ぼっちでいるよりかはマシだろう。
これも人間の勝手な思い込みなのかもしれないが。

少し前から予兆はあった。
というより、ここ数年は飯食べる時以外は走り回る子ども達を横目に寝てるばかりで正直いつそのまま死んでしまってもおかしくない様子だった。
だが、この数日は食欲も低下したりと今までの比ではない程に弱っているように見えた。
死が近い犬は急に徘徊しだすと噂に聞いたことがあった。
死ぬ前の犬のどこにそんな元気があるんだと半信半疑だったが、実際に息を引き取る前日の彼は夜通し家の中を歩き続けていた。
何かを目指して歩いている訳でもなく、何かから逃げているような雰囲気だった。

そんな事があったから家族全員、覚悟は決めていた。
今度ばかりは本当に本当なんだと。
次の朝彼はいつものソファにいた。
息をしていた。いつもの光景だ。
このまま家にいたかったが、支度を済ませてアルバイトへと向かった。
今日働けば明日と明後日は何もないからゆっくり彼の近くちにいてあげられる、なんて考えていた。
定時でアルバイトが終わりいつものように帰った。
最寄りの駅の改札を抜けると母親の姿があった。
普段は迎えなんてないのに。
そして乗っていた電車が出発するよりも先に僕は全てを察した。
家に帰りながら聞いた話によると、母親が夕方仕事先から帰ってきた時はまだ生きていたようだ。
だが、その後母親が彼に毛布を買って帰ってきたときにはもう息を引き取っていたらしい。
犬や猫は飼い主に死ぬ所を見せないと聞いた事があるが、どうやらこれも本当だったらしい。

彼はいつものソファの上でいつもの格好で横たわっていた。
確かにそれはいつもと何も変わらない、何なら見飽きた光景でもあるはずなのだが、まるで違う。
ソファに寝ているのは間違いなく彼なのに、彼の気配を感じることが出来ない。
自分は小さい頃から剥製や赤ちゃん人形のようなものが苦手だった。
その理由が今日初めて分かった気がした。

家族は誰一人として彼の最後を看取る事は出来なかったが、
5匹の犬に囲まれて彼は息を引き取った。
彼にとってこの5匹は家族なのか友達なのか、はたまた何とも思ってなかったのかは分からない。
分からないが、良くも悪くも賑やかになった家を少しでも気に入ってくれていたのなら嬉しい。

彼と過ごした時間は宝物のようにはキラキラしていないかもしれないが、コンクリートの柱のようにこれからも自分を支えてくれることだろう。
家族になってくれてありがとう。
月並みな言葉で申し訳ない。

・追記
元気な親戚や友人のおかげもあって、22年間生きてきて初めて身近な死に直面した。
最初は少し冷静でいられたが、急に腹の底からこみ上げてくる悲しみと寂しさに折れそうになった。今はその波がひいてまた落ち着きを取り戻したのだが、圧倒的な虚無感を前にどう立ち向かっていけば良いのか分からずに少しでも気休めになればと思ってだらだらと文章に起こしてみた。

余計に寂しくなった。



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