狼牙風風拳

夏ですね。夏なんですね。
日中セミが狂ったように鳴くのが窓を閉め切った家の中でも十分煩いと思えるくらいに聞こえていたから予感はしていたが、まさかまた夏がきてしまったようだ。うっとうしい。
最近は外に出るといっても日が沈み切ってから近所のコンビニに行くくらい。汗でtシャツが濡れるとまではいかないがそれでも暑いものは暑いなあと思っていたが、いざ実際に日中、憎いくらいに晴れ切った青空の下を歩くと夜の気温との差に驚く。引くくらい暑い。
これほどまでに暑いとは今は一体何月なんだとカレンダーを見るともう8月らしい。

コロナウイルスの名を初めて聞いてからどれくらい経つのだろうか。気づけばソーシャルディスタンスもマスクもすっかり馴染んだ。ただのしがない一大学生の自分の生活も一変までとはいかないがたしかに変わった。アパレルのアルバイトは店自体は開いているがシフトは社員優先でかれこれ4ヶ月くらい一度も入れていない。来週契約更新があるので恐らくそのタイミングで辞めることになるだろう。自発的に言うのか、そういう風に促されるのかは分からないし別に辞めたいとも思はないけど。
授業もオンラインで通学というものが無くなった。週に二回自室でパソコンを開くだけで良い。友達と遊ぶこともない。不本意ではあるがほぼ完璧なソーシャルディスタンス。気づけば社会そのものとも距離が出来ていた。

そんな生活を送っていると月日の感覚がなくなってしまった。授業のおかげで曜日感覚は残っているが月曜日の次が火曜日で、数回寝ればまた月曜日が戻ってくるといったもので、月や日の概念が欠落した新しいサイクルだ。それでも家の外の世界は今まで通り正子を迎えるたびにきちんと日付は進んでいたようで、知らぬ間に8月になっていた。暫く曜日の中でだけ生きていて気がつかなかったのだ。
知らぬ間に8月を迎えたことに驚き、慌てて学年暦を見るとあと一週間で今学期が終わるらしい。
学期末にはレポートの提出がある。期限が近付けば手を出せば良いと思い放置していたわけだが、レポートの存在を忘れていたわけではなく、ただ月日の概念を忘れていたのだ。まさかもう学期末に差し迫っているとは思いもしなかった。寧ろこっちの方が大問題な気もする。

一週間の猶予がある間に思い出せたのが不幸中の幸いだと自分を慰め、レポート作成を開始。手話に関するレポートだ。手話の授業で出された課題だから不自然な事は何一つ無いのだが、そもそも手話の授業とレポートという物の関係性が良く分からない。授業自体は面白く、さっと挨拶や軽い会話を出来るくらいには話せるようになりたいと思っているがやはりレポートには納得できない。実技メインの授業とレポート課題は相反する物のように思える。レポートがただ面倒くさいだけだろうと言われれば大きく頷いてしまうだろうが、それでも形容し難い違和感が残る。黙ってやれと言われた場合には返す言葉もない。やらない訳にはいかないのだから。

参考文系を求めて地元の図書館に訪れた。電車に乗って大学の図書館に行くのは気がひけるし、インターネットで探しても別に良いのだが、一つくらいは紙の文献を使ったほうが内心的なものに響くかもしれないと成人男性のそれとは思えない稚拙な願いがあった。ここに来るのは恐らく14年ぶりとかそれぐらいだろう。小学校低学年のいつかの夏に冷房を求めてこの図書館に来て遊戯王のカードを広げて遊んで怒られ事、また別の日にも冷房を求めて訪れたら知らない少し年上くらいの男子2人が格闘アニメの真似事をして怒られていた事などを思い出す。当時はただの街のフリー冷房スペースとしか思っていなかった。

初めて本を求めて図書館に入ったわけだが、そもそも館内は狭く、その上スペースの半分は幼児向け、小学生向けの本のコーナーに割り当てられていて本の数がとても少ない。普段本を買うとなるとわざわざビッグシティーのビック本屋に行っている事もあって余計にそう感じるのかもしれないが、やはり少なく思える。他の図書館のデータが無いので比較は出来ないが図書館とういうのはこんなものなのだろうか。
そういえば地元にある唯一の本屋も敷地はやや広めだが2/5がレンタルコミック、1/5が雑貨で本を置いているスペースは僅かしない。もしかすると本に弱い街に住んでいるのかもしれない。これも正確なデータがないので何とも言えないが、文書に弱い自分はそう感じた。

狭い図書館でも手話に関する本は10冊ほど見つかった。手話の本に対する需要がどれほどのものなのかは分からないが、そもそもの分母が少ないこの図書館に10冊も有ればかなり多い方だと思う。十二分くらいの感覚だ。レポートのテーマに合う内容の本も見つかった。
他にはどんな本が置いてあるのか館内をごろつく。クーラーの設定温度が丁度良い。涼しいから1ミリだけ暑いに寄った館内は長居に最適だった。小学生の頃の自分の気持ちも良くわかる。カードゲームは確かに宜しくないが。
夏もずっとこれくらいの気温だったらまだ好きになれるなと思った。あくまでクーラーありきの夏だ。本を借りて外に出ると風情も糞もない熱風に身体中を舐められる。やはり夏は嫌いだ。
お互いに啀み合っているような気もする。
いつでも自分の好きな温度に設定出来るのだから空調はお天道様なんかよりよほど格の高い存在に違いない。

いつもより低めに設定した冷房の風を浴びながらこの文章を書いている。今回はいつもに増してだらだらと締まりのない文になった。自分でも何を書きたかったのか分からないし、文頭の方で何を書いたのかも忘れてしまった。それもこれも目の前にあるレポートから目を背けるためだ。意味の無い悪足掻きはこの辺にしてそろそろ始めよう。今始めないと取り返しのつかない事になるだろう。こういう事は長年自分をやってきた自分が一番良くわかっている。

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