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反対派はどこへ?2020東京五輪を巡る”凄まじい違和感”

どうも、こちらでもお久しぶりです。怪しい男江川です。
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興味がありましたらぜひ覗いてみて下さい。

★【裏川】日本の裏側
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それでは早速本題に入ります。

見るも見ないも自由、だから情報を選ぶ

前置きするが、俺は五輪反対派でも賛成派でもなく、中止派でも開催派でもない。
シンプルに”興味がない事には関わらない”スタイル、言わば”傍観者”だ。

もともと自分にプラスにならない事には全く興味が湧かない。
五輪に関して言えば、どんなにアスリートの方々がメダルを獲ろうが、素晴らしい競技をしようが、実生活には1ミリも影響がない。当然ながら仕事や収入が増えるなど、現状が好転するわけではないからだ(関係者は除く)。
これは決して批判などではない、純然たる事実である。

上記は五輪に限った話ではない。
W杯や芸能ニュースなど、通常世間が一喜一憂するような事柄にはメリットがないから関わらない。と言うより関わる意義がない。
知人友人ならまだしも、あくまでも”他人”である競技者の活躍や、有名人のスキャンダルなどで喜怒哀楽できる人たちが不思議でならない。
薄情かもしれないが、ごく現実的で合理的なロジックだと思う。
自分の人生は、根本的に自分の感情や行動でしか変わらない。その逆もまた然りだ。

だから、今回の五輪のように自分にメリットがない、かつ世間が特定の話題一色に染まる時は、ノイズ(不要な情報)が極力目に入らないようにする。
そもそも家にテレビはないし、ニュースはWebに頼っている。一大イベントの際に、ネット上がそのテーマばかりになるのは仕方がない。
ただTwitterなどでは関連ワードをミュートし、特に言及せず関わらず、自分のすべきことだけを静かにこなす。

『見るも見ないも自由、だから情報を選ぶ』
それが俺のスタンスだ。

何かを選択し、享受する権利は誰しもあり、誰にも邪魔できない。
今の世間は五輪反対派と賛成派で揺れているが、『観る』『観ない』『関わらない』、本人の意志ならそれらは全て正解だ。
そもそも不正解などないし、この記事で俺の価値観を押し付けるつもりも毛頭ない。

「イベントを楽しめないのはもったいない」
「感動できないのは人として悲しい」
「日本を応援しないのは非国民だ」

俺のような傍観者に対し、こう思う人も多いだろう。
が、やはり個人の自由であり、何事も他人に強要されるものではない。

今回記事を書いたのは、2020東京五輪に対する人々の反応に”凄まじい違和感”を抱いたからだ。現状俺の中では、答えの見えない”究極の謎”でもある。
もともと社会考察が好きということもあるが、気になる人だけ読んでほしい。

よくもまぁ、ここまで問題を詰め込んだな

知っての通り、2020東京五輪は開催前後ともにトラブルだらけだ。
コロナ禍での開催強行、聖火リレー・会見中の反対意見の揉み消し、IOCやトーマス・バッハ会長(同氏が元オリンピック・フェンシング選手である事は意外に知られていない)の横暴や発言、菅首相のIOC寄りの対応・異常な五輪推進、開催後の演出メンバーの不祥事による解散・辞任、東京・国内で過去最多のコロナ感染者数(相関性は不明)などなど。

これらの事案については、当記事の趣旨とは逸れるため言及しない。
ただよくもまぁ、これだけの問題を1つに詰め込んだなという印象だ。
もはやワザとやってるんじゃないかとも思えてくる。

結果的に、発足当初とはかけ離れた”五輪の醜悪さ”が露呈し、反対派と賛成派の2大勢力が生まれた。
事実、中止署名運動やデモなども起こり、開催前は反対派の意見が席巻していた。
反対派と賛成派の実際の割合は不明だが、最終的に五輪は開催される事となった。

今回の五輪に関して、道中色々と思うこともあったはずだ。

「今の政党には任せられない」
「アスリートが可哀想」
「五輪はもう要らない」

ただ今回の五輪騒動は、コロナ禍ゆえに本質が見えた部分もあり、それはそれで1つの(数少ない)収穫だろう。
だが混迷を極めた動向は、政治家やメディアへの一層の不信感を定着させた。

…が、もっと違和感があったのは、五輪開催後の世間反応だった。

「中止してほしい」「おめでとう!」驚きの落差

先述の通り、五輪開催前は反対派の声が大きかった印象がある。
俺はたまにYahoo!ニュースのコメント(以下:ヤフコメ)を見るが、その時は

「中止してほしい」
「メダルを取っても喜べない」
「もう今後は観ない」


などなど、人々の大半は否定的だった。
そして、それらが『国民の共通認識』だと思っていた。

反対派(修正後)

※五輪開催前のヤフコメの一部。
 当記事は商用ではないため転載させて頂いております。問題がありましたら迅速に削除します。

無論『ヤフコメ=国民の総意』とは到底思わないが、「多数派」と「少数派」は見えてくる。
テレビを持たない俺にとって、社会情勢を把握できる情報でもあった。

ところが、いざ五輪が始まるとその様相は180度逆転した。
それまで開催に懐疑的だったメディアは一斉に競技内容を報じ始め、そのニュースには

「楽しく観てます!」
「金メダルおめでとう!」
「感動しました!」


上記のような称賛のコメントで溢れ、そこに反対派の存在はほとんど感じられなかった。

賛成派2(修正後)

※五輪開催後のヤフコメの一部。
 開催前のヤフコメ投稿主とは違う方です。

『え、どういう事?』
と真っ先に思った。

スポンサーなどのしがらみがあるメディアに、ハナから”報道の一貫性”は期待していない。
忖度ありきの業界に、真実も信念もない。多くのメディアは金(スポンサー)が第一、ジャーナリズムは二の次だからだ。
故に各メディアの対応は予想通りであり、何も感じなかった。

予想外だったのは、まるで南極と砂漠のような温度差の人々の反応だ。
匠も驚きの劇的ビフォーアフター、盛大な手のひら返しとも思える変わり様に、凄まじい違和感を覚え、理解に苦しんだ。
この落差に疑問を感じたのは、おそらく俺だけではないはずだ(多分)

要するに、そもそも現実では五輪を楽しみにしていた人が大半だったという事か。ヤフコメは評価も含めて”ただの私見”であり、実情とは異なる空間だったのか。俺が国民の多くは反対派だと思い込んでいただけなのか。
それとも、まさか開催前にあれほど反対していた人たちが考えを翻したのか。

もしこの推測が実態と違ったり、当初から賛成派の人には以降の内容は関係ない。
謝罪するとともに、「アホな事を言ってる奴がいる」と思って忘れてほしい。

今までの反対はなんだったんだ?

もし仮に、反対派の人たちが立場をコロッと変えたのなら

「節操はないのか?」
「信念はないのか?」
「それでいいのか?」

こう思わざるを得ない。

“バッカ会長” ”ぼったくり男爵”などと揶揄され、嫌悪されているバッハ会長は開催前にこう言っていた。
『日本の方は五輪が始まれば歓迎してくれる』

開催を強行し、念仏のように”安全安心”を唱えていた菅首相は
『五輪で希望と勇気を世界に』
と言っていた。

奇しくも開催後、彼らの発言と全く同じ状況になっている。
どんなにバカにされようが、どんな問題が起ころうが、いざ一大イベントが始まると何もなかったかのように熱中する。政治家やメディアと同様に一貫性もなければ、反骨心のカケラも見えない。

言わば”究極の事なかれ主義”。日本人はなんて単純で、扱いやすい人たちなんだろうと思った。
これでは、国が国民を軽視するのも無理はない…と。


無論、上記はただの凡人の私感だ。
今まさに活躍されているアスリートの方々や、観戦・応援している人たちを否定しないし、肯定もしない。あくまでも傍観者だからだ。
特にアスリートの方々は、途方もない努力をされた事だろう。
だが”一凡人”にはその全容を知ることは出来ないし、(少なくとも俺は)そこまで共感はできない。

また開催決定時、人々にも様々な葛藤があっただろう。

「アスリートに罪はない」
「納得できないけど応援する」
「始まるからには全力で楽しむ」

ただそれならば、

『今までの反対はなんだったんだ?』

と思ってしまう。

”五輪とアスリートは別物”という理論なのだろうか…。
俺はここまでアッサリと心変わりできない、逆に凄いと思った。

もちろん、上記は”反対派が賛成派に鞍替えした”ことが前提の話だ。
もう一度言うが、実情と異なるなら一笑に付してほしい。

ただ少なからず、今回の五輪をクリーンな目で観ることはやはり難しい。

各々、胸の内に俺のような違和感はあるだろう。
だが国は自分を中心に動いていない。結局のところ、不満やモヤモヤは自力で消化するしかない。
俺はこの記事を公開したことで、五輪のモヤモヤをある程度は解消した…が、未だに”日本人(俺も含む)の節操のなさ”の答えは出ない。
魚の骨のような飲み込めない違和感は残ったままだ。

逆に誰か分かる方がいたら教えてほしい。
今回の人々の”凄まじい手のひら返し”の理由を。

最後に

思えば、日本人には古来より『長い物には巻かれろ』精神が根付いているのかもしれない。
現代はYouTuberやブロガー、動画編集者やライターなどのフリーランスは珍しくない。働き方も多種多様になり、個人にスポットライトが当たる時代だ。
だが一昔前はいい大学に入り、いい会社に就職する”人生電車”が当然のごとく運行していた。

権力者や組織に反発する事なく、収入や地位を得るために大人しく従い、黙々と働く勤勉性。
良くも悪くも、やはり『事なかれ主義』こそが日本人の本質なのだろう。
まぁ、就職経験のない俺が偉そうに言う事ではないが。

いずれにしろ、2020東京五輪は既に始まっている。
今回の五輪にどう接するかは個人の自由であり、
『観る』『観ない』『関わらない』
全ての選択権は自分にある。

極論を言えば、反対派も賛成派もない。
最初は好きだったが、騒動を見て嫌いになった。最初は嫌だったが、開催したら観たくなった。どちらも全く問題ない。
自分が物事にどう対応するか、ただそれだけの話だ。

俺は冒頭の通り五輪に限らず、自分にメリットがない事には興味が湧かないし、関わらない。
それもまた個人の自由である。

前代未聞とも言える論争を巻き起こした今回の五輪。
アスリートの方々や反対派・賛成派の人たちが、終了日の8月8日まで、これ以上のトラブルなく穏便に過ごせることを願う。

●補足①
この記事で「もう既に五輪に関わってるじゃん!」とのツッコミは無しでお願いします。純粋な傍観者の疑問なので。

●補足②
興味深い記事を見つけたのでご紹介します。
「運動嫌い」に関して以外は概ね筆者に同意です。

▼「感動の押し付けはたくさんだ」運動嫌いの私が東京五輪に感じる"排除の空気"
https://news.yahoo.co.jp/articles/f9cf1aa7c112d2d13ee552d11fc74c1c9b350baa

●補足③
何か記事にしてほしいテーマがあったらご連絡ください。頑張ります。

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