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「また来るね」幼少期に出会った最高齢のフリーランス『野菜売りのお爺さん』

どうも、江川です。
最近めっきり寒くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

最初に言っておきますが、この記事はただの僕の昔話で、あなたのプラスになるような内容はないでしょう。ふと思い出したので書いたまでです。
しかし、人によっては得ることがあるかもしれません。いずれにしろ、暇潰しにでもお読み頂けると幸いです。

自信を無くしてしまった方へ

僕は現在、フリーの動画編集者をしています。
クライアントから案件を頂き、黙々とAviUtl(動画編集ソフト)をいじる毎日。でもやっぱり、自分のイメージを動画として形作るのは楽しい。
少なくとも以前よりは確実に充実し、有意義なモノを生産する日々を送っています。

今の状態で仕事を頂けるのは、本当にありがたいことです。
動画編集歴は約3ヶ月、一度も就職したことがないため一般常識は皆無。加えて根暗・コミュ障・引きこもり。
依頼を下さる方々には感謝しかありません。その温情に報いられるよう、より良いサービスを提供していく所存です。

大学卒業後に就職をしなかったのは、人の下に就きたくなかったから。上司との関係に耐えられる気がしなかったから(バイト時代に経験しました)。
そして、「会社員」という道から逃げたからです。

その結果、我ながら酷い茨の道を歩んできました(もちろん、会社員の方も非常に大変な事は重々承知しています)。
ですが、今は「フリーランス」という選択をして良かったと思っています。人や仕事を選べる。好きな場所に住み、やりたいことが出来る。マイペースに働き、休める。平日に出かけられるなどなど。
文字通り、“自由な生活”を謳歌しています。

しかし、その自由さは諸刃の剣にもなり得ます。
フリーランスとは、言わば自分1人だけの会社、そして自分が社長です。
仕事をしなければ収入は減るし、仕事をすれば収入は増える。何かを生み出さなければ、何も得られません(フリーランスに限りませんが)。

そして窮地に立たされた時、今の事業を継続するのか、あるいは新たな事業にチャレンジするのか。
やるかやらないか、動くか動かないか、その全ては自己判断であり、結果もまた然りです。

そんな良くも悪くも“まっさらな道”が広がる中、どう進むべきか迷い、どこを目指すべきか見失う事もあります(事実、僕がそうでした)。

●【閲覧注意】8年間エロビジネスを続けた男の闇と、1からの再出発(※最後に追記あり)
https://note.com/egatake18x/n/n3a476c4f28f2

仕事が軌道に乗らなかったり、思うように収入が伸びなかったり、人間関係が壊れたり、時には目の前に現れた巨大な障害物に押し潰されたり。
その過程で、『自分はダメ人間だ…』『何をしても上手くいかない…』などと自信を喪失してしまった方もいるかもしれません。

そんな時、僕の心にはいつも“彼”が浮かんできます。おそらくは、僕が出会った中で“最高齢のフリーランス”でした。
今回はフリーランスに限らず、人生に悩み、苦しんでいる方に読んで頂きたい、嘘偽りない昔話です。

野菜はいらねぇか?

僕の地元は雪国の東北です。春は涼しく、夏は過ごしやすく、秋は寒く、冬は雪の多さもあり町中が白銀に染まります。
冬は車や家の屋根の雪かき、ストーブのための石油が必須で、酷い時には吹雪で視界がほぼ見えず、腰まで埋まるほどの雪が降る事もあります。
若者はまだいいですが、特に高齢者の方に厳しい場所、そこが僕の故郷です。

初めて“彼”を見たのは、小学生の頃でした。
ある日家のチャイムが鳴り、当時存命だった祖母が玄関のドアを開けると、そこには祖母以上の年齢であろう高齢男性(おそらく当時70代半ば)が立っていました。
頭は雪が積もったような白髪で、薄汚れて摩耗した服を纏い、目はしょぼくれたように小さい、小柄な老人でした。
しかし、彼はハッキリとした声でこう言ったのです。

「野菜はいらねぇか?」

よく見ると、彼の後ろには年季の入った荷車があり、その上に被せられたシートの隙間から色鮮やかな野菜が覗いていました。
その時、僕は子供ながらに

『野菜を売るお爺さん』

だと認識しました。
それが、彼との初めての出会いでした。

今まで一体どのくらい歩いて来たのだろう

特に田舎では、彼のような「野菜売りのお爺さん」は珍しくないかもしれません。
むしろ山道などでは、今も「野菜の無人販売所」をよく見かけます。

ですが、彼は自分の脚で野菜を売り回っているようでした。
老体にも関わらず、大量の野菜を積んだ古い荷車を引き、手にはタコ(厚い角質)がいくつもありました。
いつから荷車と共に、いや…今まで一体どのくらい歩いて来たのだろう。そう思わずにはいられない風貌でした。

そんな彼を多少不審がりながらも、

「どんな野菜があるの?」

と尋ねる祖母。

彼が荷車のカバーを取ると、そこには様々な野菜たちが同居していました。トマト・大根・かぶ・にんじん・じゃがいも・ピーマン・カボチャなどなど。そして、それぞれの値段を流暢に話し始めました。
確か当時、野菜1つ数十円から百数十円ほどだったと思います(高いのか安いのかは不明です)。

祖母は

「じゃあトマトとピーマンをちょうだい」

と言い、数百円の代金を支払いました。
すると彼は、

「ありがとね、また来るよ」

と言い、また荷車を引いて去って行きました。

そして夜、その野菜が夕食に並びました。
彼の野菜は美味しかった。今思えばどこから仕入れているのか分からないし、祖母と母の料理の腕もあるでしょうが、少なくとも当時はそう感じました。

野菜を売るのは、このお爺ちゃんのお仕事なんだ

その日以降、彼は数日おきに僕の家を訪問してくるようになりました。
チャイムを鳴らし、

「今日はxxの野菜もあるよ」
「今日はxxの野菜が安いよ」

と。相変わらず見た目に反した流暢な言葉を携えて。

正直なところ、野菜が欲しいなら近くのスーパーに行けばいいだけです。
当然祖母も分かっており、彼が訪問するたびに買うか買わないか悩み、結局押しに負けて買ってしまう。
そんな光景が、その時期の我が家の日常でした。

ある日、近所の人たちと話す機会があり、家に彼が来ることを伝えると、

「ウチもなのよー」

という答えが返ってきました。
どうやら、彼は僕の住むエリア一帯の家を回っているようでした。
彼の名前も、どこに住んでいるのかも分かりません。好き好んで聞く人はいないのでしょう。
そして、そんな彼を近所の人たちは疎ましく思っているようでした。

しかし、彼は必ず数日おきに僕の家を訪問してきました。他の家では体よく追い払われたり、キツい断り方をされたり、売れなかった時も多かったでしょう。
それらは、彼の荷車の野菜の量を見れば明らかでした。

それでも、雨の日はカッパを身に着け、雪の日は道に荷車の跡を付け、吹雪の日も傷んだ防寒具を纏い、寒さで赤くなった顔でチャイムを鳴らしました。
そして、疲れが見えない様子で言うのです。

「野菜はいらねぇか?」

と。

『野菜を売るのは、このお爺ちゃんのお仕事なんだ』

子供心ながら、そう確信しました。

今までありがとね、また来るよ

驚く事に、彼の訪問は僕が中学に入っても続きました。その時は、おそらく80代にはなっていたと思います。
さすがに加齢のせいか、彼は見るからに足腰が頼りなく、滑舌も悪くなっていました。
ですが、あのセリフだけは変わらずハッキリと言うのです。

「野菜はいらねぇか?」

ある日の事、いつものように彼が来訪し、祖母が根負けして野菜を買った後、彼はこう言いました。

「今までありがとね、また来るよ」

と。
どこか違和感を感じるセリフに、思わず当時の僕は

「また絶対来てね!」

と返しました。
その日以降、彼が僕の家のチャイムを鳴らす事はありませんでした。

おそらく、もはや心身ともに限界だったのでしょう。
体の不調は明らかでしたし、荷車を引くスピードも目に見えて遅くなっていましたから。

けれど当時、

『どこかで元気にしていてほしい』

そう願わずにはいられませんでした。

彼にできて、俺にできないのは恥ずかしい

結局、未だに彼の名前や家などは全く分からないままです。
家族はいるのか、どう生活しているのか、どんな人生を歩んできたのかも不明です。

今思うに、彼は身寄りがなく、本当に野菜だけを売って生活していたと思います。収入は微々たるものだったでしょう。
ですが、どんなに疎まれようと、断られようと、悪天候だろうと、彼はチャイムを鳴らし続けました。
それは本当に大変だったでしょうし、誰にでもできる事ではありません。

彼は、僕にとって“立派なフリーランス”でした。
やる気が湧かない時、気力を失った時、荷車を引く彼の姿がよぎり、

『彼にできて、俺にできないのは恥ずかしい』

と幾度となく鼓舞されたものです。

人生は山あり谷あり、嬉しい事や楽しい事、辛い事や苦しい事、本当に様々なイベントがあります。
むしろ僕は、辛さや苦しさのほうが大半でした。我ながらよくギリギリ精神崩壊しなかったなと思います。
ただ少なからず、今の自分が元気でいられていて、日々を有益に過ごせているなら言うことはありません。

最後に

この記事を読んで下さっているあなたにも、本当に色々な事があるかと思います。
日々の糧となる趣味や目的。『なんのために』『誰のために』というその対象。反面、心の内に巣食う悩みや苦しみ、誰にも言えない身を削られるような葛藤。

しかし、あらゆる環境が整う現代は、PCさえあれば、脳が動く限り何歳からでも再起できます。
あとはあなたがどう動くか、何をするか、どこに向かうか、それだけです。

絶望したり、崖っぷちに立たされた時、今回の昔話を思い出してみて下さい。

『彼にできて、あなたにできないことはない』

少しだけ、元気と勇気が湧くかもしれません。

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