期待はしないけれど『希望』は持つ
この言葉をどこかで聞いたことがあるのだけれど、残念ながら忘れてしまった。
素敵な考え方だなと思う。
人は何かに対して期待してしまう節がある。
例えば、旅行に行って職場の人達にお土産を買ったとする。
職場の休憩室に(〇〇に行ってきました。皆さんで食べてください。自分の名前)
というメモ書きをお土産の箱の上に置いておくとすると、誰からのお土産かチェックし、もらった人はすれ違った時に一言「お土産ありがとうございます!美味しくいただきました」だとか、何でもいいからお礼をすることになると思う。
この時、お土産をあげた人は“お礼”を言ってもらえる、という期待が生まれる。
さらに欲を言うとするなら、お土産をあげのだから、もしかしたらそのお礼に他の何かをもらえるかもしれない…なんて考える人もいるかもしれない。
この状況で言えば常識的に考えて、誰かから何かをもらったら相手に一言でもいいからお礼の言葉を言うのは、当然のことだろうと思う。でも、
もし、誰からも声をかけられなかったら
(何で?誰もお礼を言ってくれなかった)って思うだろう。
これは一つの期待だ。期待を持ってしまったが為に、何で?という不満に繋がる。
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私は今まで、相手に過度の期待をして勝手に落ち込んだことが沢山ある。
自分はこんなに相手のためを思ってやったのに、相手は私が思ってたほどの思いはなかったということが…
期待を抱かなければ傷つくこともなかったろうにと、後からいつも思って後悔する。けれども、相手のことを思えば思うほどに期待値は自然と上がっていってしまうもので。無意識に期待してしまう癖がついているのだ。
この期待を“希望”に変えたらどうだろうか。
期待と希望は似た意味のようで微妙に違う。
期待は相手に見返りを求めることだけど、
希望は相手に見返りではなく、
自分がこうでありたいという少しの願いというか…
違いを表現するのが難しいけれども。
とりあえず、考え方の違いで人というものは心の持ちようが違ってくるわけなので
過度の期待は控えて、自分自身も楽でいられようにしたい。
読んでくださってありがとうございます。
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