①「逃げる」コミュニケーションがあってもいい
幼稚園、小中学校・・・って、結構狭い地域のコミュニティ。高校も、私は、同中から行く人がたくさんいるところに進学したので、「価値観の違い」などを感じることはなかった。
そして大学・・・北は北海道、南は熊本から来ている様な、マンモス大学でした。私は、電車で通えないこともなかったけれど、『キャンパスライフ』を充実させたかったので、親を説得して大学の寮から通うことにしました。
寮生活が始まり、当然遠方の人達と同室になる。
運が良かったのか?!3人部屋で、そのうち一人は同じ学部学科でした。課題を教えあったり、いつも一緒にいたので、当然、傍から見れば「親友」。彼女もそう思っていたに違いありません。
でも、私はなんだか違和感を覚えていました。
◎初めて友人関係に悩む
背格好も似ていた彼女とは、キャラクターが被っていた様子。
どこにどうという違和感は、ちょっと説明しづらいけど、深く付き合っていくには、「分かり合えない」と。でも、同じ部屋だし、クラスも同じだし・・・でも親友ではないような・・・
今までは、話をすると、感情が、感覚が「あーそうそう、それね」みたいな感じになったのが、そうはいかない。
そんな時、CMで、♪人間なんてラララ~ララララ~ラ~♪
(後で、原曲は吉田拓郎の「人間なんて」ということを知る)
そんなの、適当に合わせたっていいし。人はみんなそれぞれだし~
まじめに考えることもないよ~
って言われている気がした。
そこから、悩まないようにし、彼女とは、当たり障りない関係を続けることができています。
◎4世代同居
①大学時代、学生寮2年(3人、2人部屋)その後、友人とシェアハウス
②大学を卒業して、社会経験が少ないうちに結婚してしまった
夫の家族と同居するのに、周りは「大変だから、考え直して」と言われたけれど、自分は上記の経験①があったので、「私は大丈夫」と思っていました。
よく働き、愛想のよい姑を手本とし、私も心を込めて私にできることを精一杯やりました。
◎雲行きが変わってきたのは・・・
大姑は、私が結婚した時は、既に台所に立つことはありませんでした。
息子が幼稚園に上がったころには、危ないからと、ガスの元栓は閉め、包丁も大姑がわからないところに。
食事以外は、部屋に籠るように。それでも体力があるときには、庭の草取りをコツコツやる大姑でした。
そんな大姑、お正月に息子、孫、ひ孫に見守られている中息を引き取りました。数えで100歳という大往生。
はりきって世話を焼いていた姑は、今度は「世話を焼かれる立場」になることを受け入れたくないのでしょう・・・
「嫁という名の他人には世話になりたくない」というのが、言動の端々に見え隠れするようになってきたのでした。
のちに、大姑は、私と姑の間のクッションのような存在だったことを認識する。