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幼少期から感じていたモヤモヤの正体は「フェミニズム」

現在(2023年6月)公開中の
「ウーマン•トーキング ー私たちの選択ー」を観にいってきました。

▼ストーリーを公式サイトより拝借

2010 年、自給自足で生活するキリスト教一派の村で起きた連続レイプ事件。
これまで女性たちはそれを「悪魔の仕業」「作り話」である、と男性たちによって否定されていたが、ある日それが実際に犯罪だったことが明らかになる。タイムリミットは男性たちが街へと出かけている2日間。緊迫感のなか、尊厳を奪われた彼女たちは自らの未来を懸けた話し合いを行う―。

https://womentalking-movie.jp/#


彼女たちの話し合いの様子がじっくり描かれていて、
自分も参加しているかのような感覚になれました。


「その場しのぎでなく、長い目でみて平和になるには
 どうしたら良いだろう。。」

「いや、そんなことよりも、明日傷つけられるかもしれない我が子を
 救う為だったらその場しのぎでもいいかもしれない」

「まって、自分の我が子が加害者側だったら、どういう感情だろう。。」

 とか色々考えているうちに、
 自身のフェミニズム体験がアタマをよぎりました。

が、「いや、今は映画に集中。終わったらちゃんと思い出そう」と
一旦、アタマの片隅にとどめておくことに。


映画を観終わってから、改めて「フェミニズム体験」を思い返してみました。

以下の文中で言葉の使い方などを間違えていたら、
ご指摘いただけますと幸いです。


フェミニズムとは

フェミニズム: 女性の社会的・政治的・法律的・性的な自己決定権を主張し、性差別からの解放と両性の平等とを目指す思想・運動

広辞苑より

初めてこの言葉を知ったとき、
自分の中にあったモヤモヤがクリアになった感じがしました。

というのも、ものごころがつきはじめて幼稚園に通いだしたころ、
先生やクラスの子、友だちのお母さんなどから
「女の子なんだから」
「女のクセに」
「女らしく」
という言葉をかけられると、
無性に反抗したくなったのです。

幸い、自分の両親からはそういう言葉を聞くことがなかったのですが
成長するにつれて、周りの環境の中で差別的な
不快な思いをすることが増えていきました。

成長過程で感じた「性差別」や「心の違和感」

幼少期

幼稚園の年長さんくらいのころ、
男の子に何か差別的なことを言われた私は
「クッソ〜!」(今思えば、女だからってナメるな〜)と思って、
殴り合いのケンカをしたことがありました。


小学生になって、学校で「スカートめくり」が流行りだすと、
それをやる男子にも腹が立ったし、
スカートをめくられてキャハハと笑顔で嫌がっている女子にも腹が立ちました。

そんなある日、自分もスカートをめくられて、もう怒り大爆発。
スカートをめくった男子のズボンを
「ガッ!!」と下ろして仕返ししました。

思春期

さらに成長して小学高学年になってくると、
相変わらず差別されることはイヤでしたが
明らかに男女で体格の差が出てきて、
「対等に闘ったらもう負けそうだな。。」と感じたんです。
そのときに、心と身体のズレを感じて苦しくなりました。

当時、なにかで「性同一性障害」という言葉を知り
わたしってソレかも。と考えた時期もありました。

さらにさらに成長して中高生になってくると
「男女差別はイヤだけど、しょうがないのかな。。」
「こっちだって都合よく女を利用すればいいのかな。。」と諦めモードに。

この頃には、自分は「性同一性」では無さそうだと気づいたのですが、
じゃあ、あの時の心と身体のズレはなんだったんだ?!と
謎は深まるばかりでした。

青年期

これまた年ごろになってくると、
イヤらしい目で見られているな〜と感じることが増えていきました。
(ちょっと自意識過剰だったかもしれませんが)
こういうことにもモヤモヤ、イライラしていました。

異性を魅力的だなと思ったり、恋をしたりすることもありましたけど
ふと、差別的な場面に遭遇すると、たちまち嫌悪感が込み上げてきて
「なんで皆が気にしないことを気にしちゃうのだろう。。」と苦しかったです。

転機がやってきた

ものごころついた頃〜20代前半まで感じていた
「性差別」や「心の違和感」のモヤモヤは、
大学卒業後にワーキングホリデーでカナダへ行ったことをきっかけに
少しづつ晴れていったのです。

セクシャリティを知る

カナダへ到着後、まだ生活にも慣れていないころだったかな〜と思いますが
Pride parade(プライドパレード)というイベントが開催されました。
色々な人に、「行ってみたほうがいいよ!」
「その日は身につけるモノが何でもアリだから、すごいよ〜(笑)」などと
おすすめされたので、学校の友人たちと参加しました。

カナダのトロントは多様なセクシャリティに寛容で、
このイベントもそういった、セクシャリティでマイノリティな人たちを
リスペクトするお祭りです。

「すごいよ〜(笑)」とおすすめされた通り、
レイザーラモンHGの衣装の、大事なところに穴開いちゃっているよ!
みたいな格好のおじいちゃんが真横を通り過ぎていったり、
ブリーフ一丁の男性カップル。。というだけでも「ワオ!」と
思ったのに、振り返ったらお尻の部分が切り取られていて
綺麗なオシリが丸見えでした。

スポンサーもアダルトな企業たちだったのが印象的でした。

と、カナダへ着いて早々
こういったイベントに参加してみたり、
様々なセクシャリティの友人ができたりするうちに、
やっぱり、一人一人違う感覚を持っていて当たり前だよね!と
確認できた感じがして、安心しました。

みんながそういうのをリスペクトしている環境にも
とってもしっくりきて、心地良かったです。

変化

そんな経験をして、気持ちがスッキリしたら
今までみたいな差別的な場面に遭遇しても
行き場のないモヤモヤやイライラが発生することはなくなりました。

それは、見過ごせるようになったわけではなくて、
差別する人たちもいれば、
理解してくれる人もたくさんいるから大丈夫って
心に余裕ができたからだと思います。


ながーーく書いてしまいましたが、
映画を観た後にアタマのなかで
こんな事がグルグル思い出されたので
書き出して整理したくなりました。


これから自分たちにできること

男女差別をする人に変化を求めるよりも
これから育っていくジュニア世代に話し伝えることが大切なのかな〜。
それなら自分にもできるよね。
なんて事を考えました。

もし、ジュニア世代と関わる方で、
こういう話って伝えたほうがいいのかな?どうかな?
と悩まれている方がいたら、伝えて欲しいな。と、
10歳くらいのころの気持ちを思い出して、
個人的にそう感じました。


(性差別に悩む人たちが少しでも気楽になれたらいいな。
自分にできることを継続的に考えてみよう〜。)※心の声


まとまりが無いですが
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

映画を観た方も、観ていない方も、
フェミニズムについて思うことなどあれば
コメントやDMでお話聞かせていただけたら嬉しいです。

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