その分類が逆にしんどい/書く習慣1ヶ月チャレンジ19日目
お気付きの方もいるかもしれないが、ゆんは昔にお付き合いしてた人を書く時に「元カレ」という言い方をしていません。
「元恋人」という言い方をする様にしています。
理由は単純。恋人が異性とは限らないから。
こう言うと、「男も女もどっちでも行けるってこと?」「バイなの?」と問われるのだけど、それとも違う。
多分、ゆんの場合はパンセクシュアルになるのだと思います。
とにかく、好きになる時にそもそも相手の性別というものを考慮しない……というか、できないんですよね。
その人が恋愛的な意味で好ましいと思う時に、性別って要素を考える必要あるのか?
だって人間性とか、性格とか、言動って、男女関係なくないか?
どうやって皆が性別を考慮してるのか、その感覚がまず自分の中に無さすぎて分からない。
例えば、よく漫画とかドラマであるじゃないですか。
「自分が異性なら絶対〇〇に惚れてる!」みたいなセリフ。
あれが一番よくわかんなくて。
「そんなに魅力的に思うなら、なんでそもそも今好きになってないんだ?」
「皆、そうやって魅力的だけど異性なら好きにならないって恋愛に対して理性的に制限できるもんなのか?」
ってなる。
でもね、ゆん、割と最近まで自分がマイノリティーである事を意識したこと無かったんですよ。
意識する必要性もないと思ってた。
意識し始めたのは、LGBTQが言われ出してからかもしれないです。
確かに、分類があるって便利だよね。
便利。
だけど、分類の説明自体を分かって貰えないことっていうのも凄く多くて。
例えば、ゆんの場合は「あらゆる性別の人が恋愛対象になる」って言葉だけ捕らえて、要するに誰でもいいんだろ、なんて言われる事が多い。
性別とか関係なく、ただ、その人って存在に心底惹かれる恋愛をし続けた結果が今なんだけど、
その人って事だけしか、見てないだけて。
それが、ずっと当然のことだと思ってて。
でも、分類された途端、一気に少しやましくなるのはなんでだろう。
少数派ってレッテルを貼られている気がするのは何故だろう。
言葉は確かにその通りだけど、その意味を曲解されてしまうのは何故だろう。
必要な人がいるのも分かる。
けれども、こんなに色んな人が増えている世界で。
何からなにまで全く同じ価値観を持ってる人なんていなくて。
それならば「分類」して、説明して、理解を求めるよりも。
同じ価値観でも皆違うのが当たり前ってことを一人一人が忘れないようにするほうが、もっと楽にのびのび生きられるんじゃないかと思うんだ。
何もかもを分類して、名前をつけて、多数派と少数派に分けてしまう世界の常識が苦手です。
マイノリティーってレッテルを貼られている気がして、後ろめたい気分になる感覚が苦手です。
もっと、もっと、色んなものがあるって事が前提の世の中になればいいよねって思う。
マイノリティーじゃない人なんて居ないんだよ。だって、皆一人一人なんだから。
もっと、それを皆が忘れないでいてくれたらいいのになって思う。
ねぇ、その分類って本当に必要ですか?
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